じろう丸の徒然日記

じろう丸の徒然日記

私こと、じろう丸が、日常の出来事、思うことなどを、気まぐれに書き綴ります。

今年も、「終戦の日」を迎えた。
東京都日本武道館で、政府主催全国戦没者追悼式が執り行われた。

 
この追悼式には天皇皇后両陛下も出席、天皇陛下お言葉を述べたが、それには「過去を顧み、深い反省の上に立って」と、はっきりと「反省」という言葉が入っていた。
 
だがその後壇上に立った高市早苗は、「戦争の惨禍を二度と繰り返させない。この決然たる誓いを、世代を超えて継承し、貫いてまいります」と言った。
そう、「繰り返さない」ではなく、「繰り返させない」と言ってのけた。
つまり、先の戦争はあくまで外国が仕掛けてきたものだという認識で、式辞を述べているのである。

 
そんな風だから高市早苗は、もちろん「反省」という言葉も式辞に入れなかったのみならず、「歴史の教訓を胸に刻む」といった表現も入れなかった。
「歴史の教訓を胸に刻む」石破茂氏はもちろん、岸田文雄や、さらには高市早苗政治の師とあおぐ、あの安倍晋三でさえ式辞に盛り込んでいたにもかかわらず、である。

 
高市早苗は、常に被害者はこちら側(自分)だ、という考え方しかしない。
 
【THE PAGE(ザ・ページ)】
81回目の「終戦の日」 政府主催の全国戦没者追悼式(2026年8月15日)

(公開日:2026年8月15日、再生時間:1分54秒)
 
高市早苗の筋違いな被害者意識
 
作家で哲学者の適菜収さんが、高市早苗の著書『30歳のバースディ』の中に書かれていたあるエピソードについて、次のような指摘をしている。
(以下、引用)
 先述の「30歳のバースディ」には、こんな話がある。高校時代、大学生の彼氏に、デパートで買ったマフラーを「手編み」だと偽ってプレゼントした。彼の母親は「機械編み」だと見抜いたが、それでも彼は毎日そのマフラーをして高市に会いに来てくれた。高市は「おめでたい男だった」と記している。騙される人間は「おめでたい」のである。自分が仕掛けた嘘を信じ、けなげに思いを示し続けた相手を嘲笑する。高市は公約を平気な顔で破るが、高市は「騙された有権者」をせせら笑っているのだろう。
(引用終わり)
 
マトモな良心の持ち主なら、「彼には悪いことしちゃったな」と、デパートで買ったマフラーを「手編み」だと偽ったことを後悔するはずだが、高市早苗はむしろ騙した彼氏を見下し、「おめでたい男」といってバカにする。
 
この彼氏は、プレゼントされたマフラーを本当に「手編み」だと信じていたのか、あるいは市販品だと見抜いていたけれど、あえて気づいていないふりをしてくれていたのか。
いずれにせよ、この男性高市早苗の「味方」だったといえるが、私が思うに、高市早苗はむしろこの人「敵」と見なしていたのではあるまいか。

 
何しろ高市早苗は、この男性嘘を言って騙したわけである。ということは、いつ、その嘘がバレて攻撃されるかわからない。
それで高市早苗は、仮にも自分の彼氏に対して警戒心を抱きはじめる。やがてそれは敵愾心となり、強い憎しみへと変わっていく。

 
あきらかに、高市早苗「加害者」であり、男性「被害者」なのだが‥‥。
 
正直に自分の非を認めて謝罪するという選択肢は、この女の頭の中には最初から無い
「嘘をついてゴメンね」とか「私のことを大事に想ってくれて、ありがとう」などと思うどころか、「嘘がバレて攻撃されたらどうやって復讐してやろうか」などと考えていたのでは、と私はそんな気がするのである。

 
【これが本物の編みかけのマフラー

(引用元: あんどねこさん 編みかけのマフラー
 
わざわざ敵をつくり続ける高市早苗
 
「核兵器のない世界」の実現や、軍縮を求める人たちもまた、高市早苗にとっては「敵」なのだろう。
 
それにしても、もともと最初はリベラル派だったはずの高市早苗は、どうして今のような外道になってしまったのか。
今や高市早苗批判しているのは左翼リベラル派だけでなく、右翼保守派の人たちも同様なのである。

 
ところで高市早苗が若いころから「飲みィのやりィのやりまくり」で、男遊びにうつつを抜かしていたことは、周知の事実である。
私の想像だが、高市早苗は、リベラル派の集団に所属していたときにも、男漁りをやろうとして、激しく𠮟責されたのではあるまいか。

 
それで高市早苗は、逆恨みをして、世の中のリベラル派の人びとや、彼らが守ろうとしている社会的弱者に対して、強い憎しみを抱くようになったのだとしたら。
 
何にせよ、史上最悪の総理大臣のもとで迎えた今年の「終戦の日」
一日も早く、高市早苗という毒婦権力の座から引きずり降ろさなければ、日本は破滅する。

 
【太平洋戦争 終戦記念碑

(引用元:ゆずきんぐさん 終戦記念碑
前回の記事からの続きです。


赦しがたい小泉進次郎と高市早苗
 
今月4日、つまり「広島原爆の日」2日前防衛大臣・小泉進次郎は、自身のXに、こんな投稿をした。
(引用)
昨日はこの動画を海上自衛隊の護衛艦「ちょうかい」の艦長以下乗員のみんなと一緒にみて、トマホークミサイルの実射試験成功を喜び合いました。ぜひご覧ください。これからも着実に日本の抑止力を強化し、平和を守り抜く決意です。
(引用終わり)
 
この「トマホークミサイルの実射試験」なるものは、今年の7月29日に実施されていた。その様子を撮影・編集した動画が、そのX投稿に添えられていたのである。
 
その動画は、「防衛省 海上自衛隊」3日に投稿していたものを、小泉進次郎がリツイートしたのだが、あきらかにトマホークミサイルプロモーション動画である。(私も実際に視た。)
 
しかし、今年の2月28日に、イラン南部ミナブ小学校へのアメリカによるミサイルが撃ち込まれ、何の罪もない大多数の女子児童の命が奪われた。
この空爆アメリカが使用したミサイルこそ、トマホークミサイルであった。駐日イラン大使館がそのように発表している。

 
仮にも2日後恒久平和を誓う「広島原爆の日」を控えている中で、防衛大臣・小泉進次郎はそのような殺傷兵器のPR投稿をしたのである‥‥!
 
【空爆直後のミナブの小学校の様子】

(引用元:メフル通信社, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons)
 
小泉進次郎無神経さにも呆れるが、高市早苗も例によって酷い。
 
平和への願いを踏みにじる高市早苗
 
高市早苗は、8月6日広島市平和記念公園で行われた原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に出席したあと、ほとんどトンボ返りと言っていい速さで東京に戻ってきた。
何せ、東京に戻るために、12時44分広島空港に到着していたそうだから、広島市には実質午前中しかいなかったのだ。
このことについて、ある人がXに次のように投稿している。

(以下、引用)
高市早苗、8月6日の「広島原爆の日」の現地の視察はわずか16分、記者会見はたった14分。大慌てで東京に帰ったのは歯医者の予約を入れてたからだそうだ。高市は歯医者に3時間もいたけど、百歩ゆずって「治療」なら仕方ない。だけど高市は「歯のホワイトニング」だったらしい。ふ・ざ・け・ん・な!
(引用終わり)
 
そして、高市早苗が歯科医院で「歯のホワイトニング」の施術を受けている時に、北朝鮮弾道ミサイルを発射したという報せがきた。
高市早苗は歯科医院から関係各省に指示を送ったそうだが、施術を受けながら同時に指示がだせるものだろうか?
そもそも8月6日「広島原爆の日」なのはあらかじめ分かっているのだから、歯科医院への予約別の日にすれば良さそうなものだが。

 
高市早苗劣悪な人間性は、9日長崎市でも発揮された。
爆心地に近い長崎市松山町平和公園で営まれた「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」で、鈴木史朗市長高市早苗に向かってこう訴えた。

 
「不戦の決意が込められた日本国憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、国際社会の緊張緩和と軍縮に向けた外交を強化してください」
 
このあとあいさつに立った高市早苗は、次のように述べた。
 
「我が国は、『非核三原則』を堅持しており、『長崎を最後の被爆地に』という誓いの下、『唯一の戦争被爆国』の使命として、『核兵器のない世界』の実現に向けた現実的かつ実践的な取り組みを推進しています」
 
ちょっと聞くと、良いことを言っているようだが、これは現在の状況を言っているだけで、むしろこの先自分がそれを変えてやろうと思っていることは、間違いない。
何せ非核三原則を見直すなどと言っているのだから、「核兵器のない世界の実現」なんてアホらしい、というのがこの女の本音だろう。

 
この日の午後には被爆者団体の代表らとの面会があった。
代表の男性「いま国会議員の中で、戦争体験者や戦争を知らない人が大部分を占めています。ぜひ帰られましたら、広島・長崎の原爆資料館を見学することをお勧めください」と話しているとき、高市早苗は終始不貞腐れたような顔をしていた。

 
【OurPlanet-TV】
【ノーカット】「被爆体験者」が高市首相と面会~長崎原爆から81年

(公開日:2026年8月9日、再生時間:33分39秒)
 
核兵器は抑止力にならない
 
私は、核武装などしたところで国を守ることはできないと、確信している。
私の確信を裏付けるように、戦史・紛争史研究家山崎雅弘さんが、今月9日Xに次のように投稿している。

(引用)
核兵器に関する議論で「核抑止」や「核の傘」を前提化するのは間違いです。核を持てば抑止力になるなら、イスラエル本土と中東の米軍基地がイランからミサイルやドローンで攻撃されることはないし、米軍基地が置かれた湾岸諸国が攻撃を受けることもないはず。「核抑止」も「核の傘」も破綻しています。
(引用終わり)
 
核兵器が抑止力にならないことは、私は過去にも書いているので、リブログします。




『長崎の鐘』
 
最後に、長崎のみでなく戦災を受けた全ての受難者に対する鎮魂歌であり、戦災に遭った人々を励ます素晴らしい歌動画を貼ります。
 
【新沼謙治 公式YouTubeチャンネル】

(公開日:2024年12月2日、再生時間:3分34秒)
 
『長崎の鐘』
作詞:サトウハチロー
作曲:古関裕而

 
【祈りをささげる人々と天使

(人物素材:絵礼さん 祈る青年のイラスト 天使のイラスト
(背景:WATERWATERさん カトリック浦上教会
今から81年前8月6日、広島市アメリカによって原子爆弾が落とされた。その3日後8月9日には長崎市にも。
今年もその二つの「原爆の日」がやってきた。

 
被爆地の児童養護施設
 
私は今年の広島「原爆の日」では、「東京新聞」同日の記事で、広島県東広島市のある児童養護施設の存在を知った。
 
その施設とは、「広島新生学園」
創設者は、戦時中は陸軍の通信隊見習士官だった上栗頼登(かみくり・よりと)さん
現在はその息子の哲男さん施設長を務めている。

 
【児童養護施設 広島新生学園

 
原爆が投下されたその日
 
頼登さんが所属していた通信隊兵舎は、広島市基町もとまち、現在の中区にあった。
広島市原爆が投下された8月6日の前日に、頼登さんはたまたま一日休暇をもらって、広島郊外実家に戻っていた。

 
翌8月6日午前8時15分。投下された原爆の爆発により、頼登さんの実家ガラスが割れ床が吹っ飛んだ
頼登さんはすぐに原爆だと察し、急いで軍服に着替えると、戦友たちのいる基町兵舎へ向かった。

 
私はこの「東京新聞」の記事で初めて知ったのだが、当時陸軍の少なくとも通信隊は、アメリカ原子爆弾を持っていることを把握していたらしい。
また、記事でははっきりとは書いていないが、頼登さんの戦友たちは、どうやら原爆により皆亡くなったようである。
頼登さんたまたま休暇で広島郊外の実家にいたため、大きな怪我や火傷も負わず助かったのだ。

 
広島市内はたくさんの焼け焦げた死体がころがり、生きている人も、(記事の記述によれば)皮膚は溶け剝がれて手指の爪に引っかかって止まり、垂れ下がる。痛いから腕を前方に持ち上げ、幽霊であるかのようだった。
頼登さんは、広島市の中心部を流れる天満川(てんまがわ)にかかる横川橋(よこがわばし)のたもとで赤ちゃんの泣き声を耳にした。
頼登さんは長男の哲男さんに、そのときのことを何度も何度も話して聞かせたそうである。
それによると――。

(以下、記事から引用)
 「そばに横たわる母親は上半身の服が全部焼け、乳房が出ている。近づいて見ると既に息絶えていた」
 (中略)
 「この子を見る者はもういない。死ぬだろう。苦しいだろう。最期に」と、水筒の水を赤ちゃんの口に含ませた。
 
 軍医から「大やけどの人に飲ませてはいかん。与えたら死ぬ」と言われていた。「自分があの子を殺したようなものだ」
(引用終わり)
 
そして頼登さんは一大決心をする。
「たまたま前日に休みをもらえただけ。本当は戦友と共に自分はいったん死んだ」と考えた頼登さんは、こう決意した。

「今後もし生きていけるなら、戦争の犠牲となった孤児たちの面倒をみよう」
 
広島新生学園に関する資
 
現在は、災害や事故、親の離婚や病気、また不適切な養育を受けているなど様々な事情により、家族による養育が困難2歳からおおむね18歳の児童を対象に擁護している広島新生学園は、そのスタートは引揚げ孤児・原爆孤児・浮浪児等を保護する施設としてだった。
 
私が広島新生学園のことを知るきっかけとなった「東京新聞」の記事〈8月6日の決心 被爆地の児童養護施設〉は、全3回に分かれていて、第2回3回有料だけど、第1回は無料なので、その記事をリンクします。
ぜひ、お読みになってください。

 
「自分があの子を殺したようなものだ」…原爆が落ちた広島で「戦争孤児の面倒を見る」と見習士官は決意した
https://www.tokyo-np.co.jp/article/506420
(リンク切れの場合はご容赦ください)
 
広島新生学園の公式サイト
http://h-shinsei.or.jp/
 
戦争に反対する孤児たち】

(人物素材:Yakkoさん 戦争反対子どもたち
(背景:ぴーうささん 原爆ドーム
 
(次は長崎でのことについて書きます。)