7月30日付の『新潟日報』の『日報抄』に、こんなことが書かれていた。
2年前の8月、小学6年生のある児童が詠んだこんな川柳が同紙のジュニア文芸の欄に載ったとか。
まだかなぁ あと一か月 夏休み
この川柳は、夏休み前ではなく、夏休み中の8月に詠まれていることに注目。
どういうことかというと、夏休みを心待ちにしているのではなく、夏休みが終わるのを心待ちにしているのだ。
当時は新型コロナウイルスの感染が第7波を迎えていて、大人も子供も慣れないマスクに汗をかきながら、せっかく外出しても周囲との距離を気にしたりして、ちっとも楽しくなかった。
だから、せっかく夏休みに入っても、満足に外遊びができない。
こんなことなら、いっそ夏休みなんか早く終わって、学校で友達に会える方がいい。
そんな気持ちで詠まれたのが、この川柳なのだ。
『日報抄』にはさらにこんなショッキングな事実も紹介されている。
認定NPO法人「キッズドア」の調べによれば、小中学生のいる困窮家庭の6割が、夏休みは「短い方が良い」、あるいは「なくて良い」と答えたとのこと。
その主な理由は物価高騰による生活苦である。
調査対象は約1400世帯で、その大半が母子世帯だったという。
私は吉田拓郎さんの『夏休み』という歌が好きで、よくYouTubeで聴いたりしているのだけれど、もうこの歌も時代に合わなくなってきているのだろうか。
麦わら帽子はもう消えた。田んぼのカエルも、畑のトンボも、もういない。
それでも待ってる、夏休み‥‥。
と、歌われるのだけれど、現代はむしろ夏休みの到来を恐れる家庭が増えている。
貧しい家庭の人にとって、学校の給食は大助かりなのだが、長期の休みに入ると、その恩恵が無くなってしまう。
また、家族旅行など、夏休みならではの体験を巡る格差も広がっていて、こうした格差が子供の成長に何らかの悪しき影響を与える可能性も指摘されていると、『日報抄』は伝える。
それはそうと、ここ数日、道路を走っていると、救急車を見かけることが多くなった。
事故かもしれないし、熱中症かもしれない。
夏は水の事故が増える季節でもある。
私の高校時代の友人の中にも一人、海で溺れて亡くなった人がいる。
それでは皆さん、くれぐれも熱中症や水の事故にお気をつけて、お元気にお過ごしください。
あらためて、
暑中お見舞い申し上げます。
【2024年、幻想郷の川底にて】
左から、わかさぎ姫、河城にとり。
(キャラクター素材:dairiさん、はるかさん)
(背景・川の中:フリー素材「ぱくたそ」 )
(水泡:PNGTREEからの PNG 画像 ja.pngtree.com/)
dairiさんのpixivのページ
https://www.pixiv.net/users/4920496
はるかさんの「ニコニコ静画」のページ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im3189645
上海アリス幻樂団
私がフォローさせていただいているあるブログに7月26日にアクセスしてみたら、その日は「幽霊の日」なのだと書かれていた。
私もそれは初めて知ったが、誰がそのように定めたのかは不明である。
ただ、由来としては、1825年のこの日に、鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が、江戸の中村座で初公演されたことから、この日が「幽霊の日」になったのだとか。
そこで私も、1977年(昭和52年)発行の『歴史考証事典 第二集』(著者:稲垣史生、新人物往来社)で『四谷怪談』について書かれたページを見てみた。
すると確かに、この怪談は、文政八年(一八二五)七月、中村座の初演で大当りをとった、とある。
だが、七月(7月)とは書かれているが、26日とまでは書かれていない。
また、この日にちは現在のグレゴリオ暦のそれで間違いないのだろうか? 旧暦の日にちではあるまいか、という疑問が私の中ではある。
それはともかく、『四谷怪談』は、芝居として上演することを目的として創り出された。だから、視覚に訴えることを優先的に考えて構成されている。
物語のヒロインのお岩さんが、毒を飲まされて醜い顔になってしまうのは、まさに視覚効果で観客を怖がらせようという狙いからだろう。
ちなみに、『四谷怪談』はもともと最初は『忠臣蔵』の中の一つのエピソードだったのだ。
それが後年、『忠臣蔵』から分離して、ひとつの独立した物語となった。
ところで私は、子供のころから『四谷怪談』について不思議に思っていたことがある。
普通、女の子に名前をつけるときは、なるべくきれいな感じの名前を考えるものではないだろうか。
どうしてこの物語のヒロインは、「岩」などというゴツゴツしたイメージの名前なのだろうか? どう考えても女性の名前に相応しいとは思えないのだが。
いったい、お岩さんの親はナニを考えていたのだろうか。
私が思うに、視覚に訴えることを重視した『四谷怪談』は、ヒロインが毒の影響で醜くなることが最初から決まっていた。
その醜くなった姿にぴったりの名前ということで、「岩」という名前になったのではないだろうか、と私は考えているのだがいかがなものだろうか。
『四谷怪談』がとことんドロドロした内容なのに対し、『牡丹燈籠』は、怖いけれどもどこかロマンティックさも感じさせる、対照的な内容である。
『牡丹燈籠』は、早い話が人間の男性と幽霊の女性のラブストーリーである。
浪人・萩原新三郎は、没落した飯島家の一人娘・お露と出会い、互いに強く惹かれ合う。
出会った日の夜から、お露は女中のお米を伴って、毎夜新三郎の元を訪れるようになった。
その際、お米は牡丹の飾りのついた燈籠(提灯をもっとゴージャスにしたもの)で足元を照らしながら、主人であるお露に付き添って来る。『牡丹燈籠』というタイトルは、ここからきている。
もちろん、お露とお米は幽霊であり、新三郎はとり憑かれたのである。
この幽霊の二人組が毎夜毎晩やって来ては、朝、一番鶏が鳴くまで、自分の身の上話などしみじみと語って聞かせる。
おかげで新三郎は日に日に衰弱していった。
新三郎の伯父の勇斎が心配して高僧に相談、高僧の祈祷により、新三郎が幽霊にとり憑かれていることが判明する。
ようやく新三郎も自分が愛した女性がこの世の者ではないことを知り、門口に護符など貼って、お露の訪れを拒むのだったが‥‥。
『牡丹燈籠』は、中国の古典『剪燈新話』の中の『牡丹燈記』という話を、舞台を日本の江戸に置き換えて翻案したものである。
最初は原典をほとんどそのまま翻訳したようなものだったが、明治時代になって噺家の三遊亭円朝が大胆にアレンジ、原典にあったラスト部分をばっさりカットして、新三郎が死ぬところで終わりにした。
門口に護符を貼って、お露が入ってこれないようにしていた新三郎だったが、お露の「開けてください」という悲しげな声についに負け、戸を開けてお露を招き入れてしまう。
翌朝、勇斎が様子を見に来てみると、新三郎はお露からもらった形見の香箱を抱いたまま息絶えていた。
しかし、その表情は、とても安らかだった。
アレンジ前の話では、新三郎は息絶えたあと、これまた幽霊となって、夜な夜なお露とアベックで江戸の町を徘徊するようになった。もちろんお米が牡丹燈籠で足元を照らしながら付き従っている。
江戸の人々は恐れおののき、偉い坊さんに助けを求めた。
坊さんは、たちまち3人の幽霊をとっ捕まえて、厳しく𠮟りつけると、3人まとめて地獄へ落としてしまった。
‥‥というのが本来のラストである。何だかしまらないラストだ。
三遊亭円朝のアレンジにより、怪奇色よりも人情味が強調され、むしろ“ホラー風味の人情噺”といった感じになった。
『牡丹燈籠』は舞台化もされたが、『四谷怪談』と違って大きな見せ場は無い。
その代わり、お露が新三郎の家を訪れる際の駒下駄の音に工夫が凝らされた。
単なるカラン、コロン、ではダメで、この世のものならぬ不思議な音でなければ、幽霊たるお露の存在感が際立たないのである。
なお、このことからも分かるように、お露にはしっかり足がある。
前述のお岩さんも、舞台で役者が演じる前提で創られたキャラクターだから、やっぱり足はある。
(現代の特撮映画ならともかく、江戸時代の舞台で、役者が足の無いキャラクターを演じるのは不可能である。)
幽霊に足が無くなったのは、前述の『歴史考証事典 第二集』によれば、江戸後期の文化5年(1808年)、名優・尾上松緑(おのえ・しょうろく)が『彩入御伽草(えいりおとぎばなし)』を出したとき、人魂がすーッと尾を引くことにヒントを得て、半身足無しの幽霊を考案したのだとか。
その姿があまりに凄かったので、以後の幽霊はもっぱら足無しで出るようになったのだそうな。
【昼間に出てきた幽霊】
(人物素材:haru.sさん https://www.ac-illust.com/main/profile.php?id=ilnfulbS&area=1)
(背景・夏の青空:ぶたどんさん https://www.ac-illust.com/main/profile.php?id=23653076&area=1)
私もそれは初めて知ったが、誰がそのように定めたのかは不明である。
ただ、由来としては、1825年のこの日に、鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が、江戸の中村座で初公演されたことから、この日が「幽霊の日」になったのだとか。
そこで私も、1977年(昭和52年)発行の『歴史考証事典 第二集』(著者:稲垣史生、新人物往来社)で『四谷怪談』について書かれたページを見てみた。
すると確かに、この怪談は、文政八年(一八二五)七月、中村座の初演で大当りをとった、とある。
だが、七月(7月)とは書かれているが、26日とまでは書かれていない。
また、この日にちは現在のグレゴリオ暦のそれで間違いないのだろうか? 旧暦の日にちではあるまいか、という疑問が私の中ではある。
それはともかく、『四谷怪談』は、芝居として上演することを目的として創り出された。だから、視覚に訴えることを優先的に考えて構成されている。
物語のヒロインのお岩さんが、毒を飲まされて醜い顔になってしまうのは、まさに視覚効果で観客を怖がらせようという狙いからだろう。
ちなみに、『四谷怪談』はもともと最初は『忠臣蔵』の中の一つのエピソードだったのだ。
それが後年、『忠臣蔵』から分離して、ひとつの独立した物語となった。
ところで私は、子供のころから『四谷怪談』について不思議に思っていたことがある。
普通、女の子に名前をつけるときは、なるべくきれいな感じの名前を考えるものではないだろうか。
どうしてこの物語のヒロインは、「岩」などというゴツゴツしたイメージの名前なのだろうか? どう考えても女性の名前に相応しいとは思えないのだが。
いったい、お岩さんの親はナニを考えていたのだろうか。
私が思うに、視覚に訴えることを重視した『四谷怪談』は、ヒロインが毒の影響で醜くなることが最初から決まっていた。
その醜くなった姿にぴったりの名前ということで、「岩」という名前になったのではないだろうか、と私は考えているのだがいかがなものだろうか。
『四谷怪談』がとことんドロドロした内容なのに対し、『牡丹燈籠』は、怖いけれどもどこかロマンティックさも感じさせる、対照的な内容である。
『牡丹燈籠』は、早い話が人間の男性と幽霊の女性のラブストーリーである。
浪人・萩原新三郎は、没落した飯島家の一人娘・お露と出会い、互いに強く惹かれ合う。
出会った日の夜から、お露は女中のお米を伴って、毎夜新三郎の元を訪れるようになった。
その際、お米は牡丹の飾りのついた燈籠(提灯をもっとゴージャスにしたもの)で足元を照らしながら、主人であるお露に付き添って来る。『牡丹燈籠』というタイトルは、ここからきている。
もちろん、お露とお米は幽霊であり、新三郎はとり憑かれたのである。
この幽霊の二人組が毎夜毎晩やって来ては、朝、一番鶏が鳴くまで、自分の身の上話などしみじみと語って聞かせる。
おかげで新三郎は日に日に衰弱していった。
新三郎の伯父の勇斎が心配して高僧に相談、高僧の祈祷により、新三郎が幽霊にとり憑かれていることが判明する。
ようやく新三郎も自分が愛した女性がこの世の者ではないことを知り、門口に護符など貼って、お露の訪れを拒むのだったが‥‥。
『牡丹燈籠』は、中国の古典『剪燈新話』の中の『牡丹燈記』という話を、舞台を日本の江戸に置き換えて翻案したものである。
最初は原典をほとんどそのまま翻訳したようなものだったが、明治時代になって噺家の三遊亭円朝が大胆にアレンジ、原典にあったラスト部分をばっさりカットして、新三郎が死ぬところで終わりにした。
門口に護符を貼って、お露が入ってこれないようにしていた新三郎だったが、お露の「開けてください」という悲しげな声についに負け、戸を開けてお露を招き入れてしまう。
翌朝、勇斎が様子を見に来てみると、新三郎はお露からもらった形見の香箱を抱いたまま息絶えていた。
しかし、その表情は、とても安らかだった。
アレンジ前の話では、新三郎は息絶えたあと、これまた幽霊となって、夜な夜なお露とアベックで江戸の町を徘徊するようになった。もちろんお米が牡丹燈籠で足元を照らしながら付き従っている。
江戸の人々は恐れおののき、偉い坊さんに助けを求めた。
坊さんは、たちまち3人の幽霊をとっ捕まえて、厳しく𠮟りつけると、3人まとめて地獄へ落としてしまった。
‥‥というのが本来のラストである。何だかしまらないラストだ。
三遊亭円朝のアレンジにより、怪奇色よりも人情味が強調され、むしろ“ホラー風味の人情噺”といった感じになった。
『牡丹燈籠』は舞台化もされたが、『四谷怪談』と違って大きな見せ場は無い。
その代わり、お露が新三郎の家を訪れる際の駒下駄の音に工夫が凝らされた。
単なるカラン、コロン、ではダメで、この世のものならぬ不思議な音でなければ、幽霊たるお露の存在感が際立たないのである。
なお、このことからも分かるように、お露にはしっかり足がある。
前述のお岩さんも、舞台で役者が演じる前提で創られたキャラクターだから、やっぱり足はある。
(現代の特撮映画ならともかく、江戸時代の舞台で、役者が足の無いキャラクターを演じるのは不可能である。)
幽霊に足が無くなったのは、前述の『歴史考証事典 第二集』によれば、江戸後期の文化5年(1808年)、名優・尾上松緑(おのえ・しょうろく)が『彩入御伽草(えいりおとぎばなし)』を出したとき、人魂がすーッと尾を引くことにヒントを得て、半身足無しの幽霊を考案したのだとか。
その姿があまりに凄かったので、以後の幽霊はもっぱら足無しで出るようになったのだそうな。
【昼間に出てきた幽霊】
(人物素材:haru.sさん https://www.ac-illust.com/main/profile.php?id=ilnfulbS&area=1)
(背景・夏の青空:ぶたどんさん https://www.ac-illust.com/main/profile.php?id=23653076&area=1)
さる7月16日は(7月16日=なないろ)ということで、「七色の人形遣い」こと「アリス・マーガトロイドの日」なのだそうです。
そこで、るなむーさんがアリスのイラストをXに投稿してくれました。
去年の博麗神社秋季例大祭のときに描いた色紙です。
るなむーさんの7月16日のXへの投稿
https://x.com/Lunamoon55/status/1813129433034735976
アリスといえば、『幻想万華鏡』第7話のラスト近く、大ちゃん(大妖精)とチルノが仲直りするのを優しく見つめていたのが印象的です。
【『幻想万華鏡』第7話イメージ画像】
画面上、左から、蓬莱人形(ほうらいにんぎょう)、アリス・マーガトロイド、上海人形(しゃんはいにんぎょう)。
画面下、左から、チルノ、大ちゃん。
(背景:https://www.beiz.jp/からのフリー画像)
私が読んだことのある二次創作漫画では、アリスはよくクッキーやケーキなどを焼いては、妖精たちにふるまってあげているのですが、その原料となる小麦粉や砂糖などは、幻想郷にもあるのでしょうか?
幻想郷は、設定上は海の無い内陸部にあるということなので、私は原作者のZUNさんの故郷の長野県に、幻想郷は存在していると考えています。
そして、明治時代の初めごろに博麗大結界が張られ、外の世界との往来が遮断された。(そのため江戸時代の風俗や習慣が色濃く残っている)
したがって、明治時代以降に他の都道府県や海外から何かの品物が幻想郷に入ってくることは、基本的には無かったと考えていいでしょう。
それでいくと、小麦粉はまだしも、砂糖は幻想郷には無いものと思われます。砂糖は江戸時代には国内では主に南の地方で生産されていたからです。
しかし、ハチミツなら、幻想郷でも生産されているはずです。『東方酔蝶華』に、魔理沙が蜜蜂を飼育して蜂蜜酒(ミード)を作るエピソードがあるからです。
すると、アリスの作るお菓子には、砂糖の代わりにハチミツが使われているのでしょう。いかにも紅茶と相性が良さそうです。
ところで、『東方』作品には、公式、二次創作を問わず、よくお酒の一升瓶が登場します。だがこれはどうも無理があるように思えます。
前述したように、明治時代の初めごろに幻想郷は外の世界と遮断されたのです。
明治元年は1868年。ガラスの一升瓶が生産されるようになったのは、それから18年後の1886年(明治19年)ごろで、職人による手造りだったようです。
博麗大結界が張られたのは明治時代の初めごろとしか分かっておらず、幻想郷にガラスの一升瓶の製法がギリギリ伝わっていたとしても、別に何が何でも普及させなければならないものでもないでしょう。
なぜなら、お酒の売買は、もともと量り売りが基本であり、酒屋はお客の欲しい分量だけ酒樽から抜いて、専用の大きめの徳利に入れて売っていたのです。
店側は店の名前の入った徳利を複数用意していて、販売したお酒を入れる容器としてお客に貸し与えていました。お客は徳利の中身を飲み切ったら、またその同じ徳利を持って店に買いに行くのです。
それで、この徳利のことを「通い徳利」、あるいは「貸し徳利」と呼んでいました。
【徳利(通い徳利)】
(フリー画像:I,カトリシ, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
もちろん、裕福なお客の中には、自前の徳利を持参してくる人もいたことでしょう。
自前の徳利を持てない人々は店から徳利を借りるしかなく、だから「通い徳利」は「貧乏徳利」とも呼ばれたそうです。
ちなみに、徳利を持ってお酒を買いに行くのはもっぱら子供の役目で、親に言いつけられた子供は徳利と帳簿を持って酒屋に行かされました。そうした子供は俗に「酒買い小僧」と呼ばれました。
その「酒買い小僧」を狸の姿に置き換えたのが、広く親しまれている「信楽焼の狸」です。
『東方』では、その「信楽焼の狸」をさらに女性に置き換えて、二ッ岩マミゾウというキャラクターが生み出されました。
なるほど、マミゾウは、手に大きな徳利と帳簿を持っています。
【信楽焼の狸&マミゾウ&ぬえ】
画面左、上、二ッ岩マミゾウ、下、封獣ぬえ(ほうじゅうぬえ)。
(背景・信楽焼の狸:SOiOgraffiti(ソイオ)さん https://www.photo-ac.com/profile/25677760)
公式漫画『東方酔蝶華』の第10話で、夢幻酒場・鯢呑亭(げいどんてい)にて射命丸文がガラスの一升瓶の酒を全部飲み干して、看板娘の奥野田美宵をビックリさせていましたが、この場面はガラスの瓶よりも陶器の徳利の方が良かったように思います。
【様々な徳利】
(フリー画像:岐阜県出身の玉井裕也さん, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons)
↑このように、徳利には様々な形や大きさのものがあり、『東方酔蝶華』でも、ガラスの一升瓶などよりもこうした様々な徳利を登場させた方が絵的にも面白いと思うのですが、いかがなものでしょうか。
ちなみに、7月25日に『東方酔蝶華』第7巻が発売になります。
もう一つの公式漫画『東方智霊奇伝 反則探偵さとり』も、『迷宮編4』(通算第6巻目)が発売中です。
いろいろと述べてきましたが、『東方Project』の今後のますますの発展を期待しております。
(上の画像のキャラクター素材:dairiさん、はるかさん)
dairiさんのpixivのページ
https://www.pixiv.net/users/4920496
はるかさんの「ニコニコ静画」のページ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im3189645
上海アリス幻樂団
そこで、るなむーさんがアリスのイラストをXに投稿してくれました。
去年の博麗神社秋季例大祭のときに描いた色紙です。
るなむーさんの7月16日のXへの投稿
https://x.com/Lunamoon55/status/1813129433034735976
アリスといえば、『幻想万華鏡』第7話のラスト近く、大ちゃん(大妖精)とチルノが仲直りするのを優しく見つめていたのが印象的です。
【『幻想万華鏡』第7話イメージ画像】
画面上、左から、蓬莱人形(ほうらいにんぎょう)、アリス・マーガトロイド、上海人形(しゃんはいにんぎょう)。
画面下、左から、チルノ、大ちゃん。
(背景:https://www.beiz.jp/からのフリー画像)
私が読んだことのある二次創作漫画では、アリスはよくクッキーやケーキなどを焼いては、妖精たちにふるまってあげているのですが、その原料となる小麦粉や砂糖などは、幻想郷にもあるのでしょうか?
幻想郷は、設定上は海の無い内陸部にあるということなので、私は原作者のZUNさんの故郷の長野県に、幻想郷は存在していると考えています。
そして、明治時代の初めごろに博麗大結界が張られ、外の世界との往来が遮断された。(そのため江戸時代の風俗や習慣が色濃く残っている)
したがって、明治時代以降に他の都道府県や海外から何かの品物が幻想郷に入ってくることは、基本的には無かったと考えていいでしょう。
それでいくと、小麦粉はまだしも、砂糖は幻想郷には無いものと思われます。砂糖は江戸時代には国内では主に南の地方で生産されていたからです。
しかし、ハチミツなら、幻想郷でも生産されているはずです。『東方酔蝶華』に、魔理沙が蜜蜂を飼育して蜂蜜酒(ミード)を作るエピソードがあるからです。
すると、アリスの作るお菓子には、砂糖の代わりにハチミツが使われているのでしょう。いかにも紅茶と相性が良さそうです。
ところで、『東方』作品には、公式、二次創作を問わず、よくお酒の一升瓶が登場します。だがこれはどうも無理があるように思えます。
前述したように、明治時代の初めごろに幻想郷は外の世界と遮断されたのです。
明治元年は1868年。ガラスの一升瓶が生産されるようになったのは、それから18年後の1886年(明治19年)ごろで、職人による手造りだったようです。
博麗大結界が張られたのは明治時代の初めごろとしか分かっておらず、幻想郷にガラスの一升瓶の製法がギリギリ伝わっていたとしても、別に何が何でも普及させなければならないものでもないでしょう。
なぜなら、お酒の売買は、もともと量り売りが基本であり、酒屋はお客の欲しい分量だけ酒樽から抜いて、専用の大きめの徳利に入れて売っていたのです。
店側は店の名前の入った徳利を複数用意していて、販売したお酒を入れる容器としてお客に貸し与えていました。お客は徳利の中身を飲み切ったら、またその同じ徳利を持って店に買いに行くのです。
それで、この徳利のことを「通い徳利」、あるいは「貸し徳利」と呼んでいました。
【徳利(通い徳利)】
(フリー画像:I,カトリシ, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
もちろん、裕福なお客の中には、自前の徳利を持参してくる人もいたことでしょう。
自前の徳利を持てない人々は店から徳利を借りるしかなく、だから「通い徳利」は「貧乏徳利」とも呼ばれたそうです。
ちなみに、徳利を持ってお酒を買いに行くのはもっぱら子供の役目で、親に言いつけられた子供は徳利と帳簿を持って酒屋に行かされました。そうした子供は俗に「酒買い小僧」と呼ばれました。
その「酒買い小僧」を狸の姿に置き換えたのが、広く親しまれている「信楽焼の狸」です。
『東方』では、その「信楽焼の狸」をさらに女性に置き換えて、二ッ岩マミゾウというキャラクターが生み出されました。
なるほど、マミゾウは、手に大きな徳利と帳簿を持っています。
【信楽焼の狸&マミゾウ&ぬえ】
画面左、上、二ッ岩マミゾウ、下、封獣ぬえ(ほうじゅうぬえ)。
(背景・信楽焼の狸:SOiOgraffiti(ソイオ)さん https://www.photo-ac.com/profile/25677760)
公式漫画『東方酔蝶華』の第10話で、夢幻酒場・鯢呑亭(げいどんてい)にて射命丸文がガラスの一升瓶の酒を全部飲み干して、看板娘の奥野田美宵をビックリさせていましたが、この場面はガラスの瓶よりも陶器の徳利の方が良かったように思います。
【様々な徳利】
(フリー画像:岐阜県出身の玉井裕也さん, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons)
↑このように、徳利には様々な形や大きさのものがあり、『東方酔蝶華』でも、ガラスの一升瓶などよりもこうした様々な徳利を登場させた方が絵的にも面白いと思うのですが、いかがなものでしょうか。
ちなみに、7月25日に『東方酔蝶華』第7巻が発売になります。
もう一つの公式漫画『東方智霊奇伝 反則探偵さとり』も、『迷宮編4』(通算第6巻目)が発売中です。
いろいろと述べてきましたが、『東方Project』の今後のますますの発展を期待しております。
(上の画像のキャラクター素材:dairiさん、はるかさん)
dairiさんのpixivのページ
https://www.pixiv.net/users/4920496
はるかさんの「ニコニコ静画」のページ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im3189645
上海アリス幻樂団