ユーモアが必要です、教育現場には
クラスのことを取り上げるときに新学期始まって1週間、1日1日、あゆみを確かめるような日々。その中に、学年での活動を作っていました。始業式の日からの学年集会、そこでのことばあそび。学校脇を流れる黒目川の河原までの2校時から3校時にかけてのミニ遠足です。生活科の学び。出かける場所は、学校出てすぐに脇にある黒目川とその河原なので、“遠い足”とはとても言えませんが、気分は充分遠足。その場所で、学年4クラス全体の遊び、ガチャガチャギターに合わせてうた遊び、ことば遊び、体を使っての遊び。そしておやつ感覚でおにぎりを食べました。自分で握ったおにぎり1個は、事前に子どもたちには、簡単に作るおにぎりについては学年集会で話をしておきました。≪お茶碗にラップを敷いて塩をぱらぱら《ごまでも、ふりかけでもいいよ》、ご飯をのせる。その真ん中に自分で考えた具を入れたら、ラップをぎゅっと絞ります。これで出来上がり≫自分で握ってくることが大事だよ、と言いながらの説明をしました。始業式の日の学年集会です。当日、おにぎり忘れる子がいても大丈夫。そのために学年では、よく気のつくSさんが10個おにぎりを用意してくれました。忘れるものは人の常、子どもの所為(せい)にはしません。楽しい気分を大事にしようとで話し合っていました。河原や土手にはヨモギの芽が出ているので、それを摘みます。その芽を入れるビニール袋を持っていきます。放課後、このヨモギを湯がき、包丁でたたき、すり鉢でごりごり。その後、生活科の時間にヨモギ団子を作ります。『らぶれたあ』8号には、その「おにぎり遠足」の日のことから書き始めます。教室には忘れ物したと不安な子どもがいました。学校では、大らかに、大らかに過ごしてほしいんだ。忘れ物しても何とかなるだから、大事なのは、その時に自分でどうするか。先生も友だちもいるんだヨ。どこかの誰かみたいに“自己責任”なんてことは言いません。次に体育の時間のことです。学校としては、体操着を着ることになっています。だから、不安な顔して、2年生になって新しく担任することになった子たちは、体操着を忘れたことを言いに来ます。1年生のときはそう指導されていたようです。ぼくは、1年生の時から、まったく異なる対応をしていました。以下、こんなやり取りです。1年生から引き続いて担任する凪くん、りんちゃん、いい感じで受けてくれました。もちろん忘れ物をしないように、と話してはいますが、大事なのは、そういう時にどうするかを自分で考えることです。ある種の「危機管理」できる力を育てること、その時に周りの人に相談できる関係性を教室につくることです。体操着を忘れた子は、体育の授業に参加させないというある種のペナルティを与えるという学校も多いけれど(残念ですね)、ぼくはそんなにカタクは考えません。七五三の時みたいな晴れ着でも着ているならまだしも、子どもたちの日常は運動できる服装ですから、出来ることはやってもらいます。(月曜日に体操着袋に一セット入っているものを持ってきたら、週末に持ち帰り。だから、この“忘れたという問題”が起きるのは週初めだけのことです)諸外国の小学校での体育の授業光景を映像で見たことがありますが、普通の服装のままの体育が大半でした。ユーモアを自分たちの中に活かすのは様々な場面があります。学校帰りの子どもたちとのあれこれです。1年かけてユーモアある関係性をつくってきたこと、何気ない場面で出てきます。「何をふざけてるんですかっ!」と怒られそうだけれど、関係を楽しむって、すごいことだと思うんだけどなあ。ユーモア、遊びは、ふざけではありません。1年間の学びのなかにもこのユーモアはいっぱい現出しました。その場面を書いて行けば、保護者の方も、忘れ物のことでぴりぴりすることも少なくなります。