今年から小学校の教員になったKAZUくんが、ガチガチの指導に対して、納得いかず、抗っています。
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「目上の人には敬語を使う」
――これが、5月に学校で徹底することになった生活目標だそうです。「目上の人」といえば、学校では教職員。また、地域の大人の人。
<学校の重点目標が礼儀礼節を重んじるだから、そうした流れ。これを指摘する役(先生)は山ほどいる。私はせいぜい目上ではなくて、同じ目の高さになれるよう頑張ってみる。そういう役も必要かな?相手を尊重してとかなら分かるけど、目上の人という言葉がどうしても引っかかる。>
<話し方、発表の仕方のスタンダードが提示される。発表が苦手な2人の顔が思い浮かぶ。跳んでもいない発表のハードルが更に上がる。他の教員は教室前方教卓に子どもから見えるように貼る。>
kazuくん、「はいそうですかと、素直にはやらない」と考えています。
<「貼ってください!」と「指導」を受けるまではこっそり机の中にしまっておきます。
他の先生とは正面衝突していないのでご安心ください。コソコソとここは譲れないというところを誤魔化し誤魔化しやっているだけです。>
目上の人を尊重すること自体は、大事なことですが、それが、上下の身分関係を優先させ、子どもにだけ「敬語」を強制させるとなると、問題あります。
「目上」「目下」という固定した関係性を表に出して、子どもたちを指導するって、どんな道徳観なんでしょうか。<同じ目の高さになれるよう頑張ってみる>というkazuくんの思いは極めて真っ当です。
おとなだろうが、子どもだろうが、互いに尊重しあうことこそ大事にしたい。それこそが一番求められていることでしょう。
kazuくん、さすが、大学でももちろん、様々な研究会で学んできたことが、彼の軸にあります。
けれど、独りで抗うのは、かなり大変でしょう。同じ思いのひとをそっと観察して、見つけ出すといいなあ。
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ここでの「敬語」の指導、この手の“相も変わらず”の指導が、大手を振っています。指導論としてもおかしいし、そもそも、ことばを獲得させ、育てる点からも、なんだかなあです。
小学校1年生の子が、率直にことばを使う時にだいじなのは、「敬語の使用」等ではありません。その子の話しかけたいという動機、また大人への素直な信頼を丁寧に育てることです。
「こうちょうせんせい、あのね…」と子どもが語りだした時に、「ちょっと待って」などと言って、「お話があります。」という前振りを教えるなんて、まるでビジネス用語の習得でしょう。「敬語」使用は、こんな風に位置付けられることがとても多いのです。
対等な(フラットな)関係性の中で、率直にことばを交し合うことが重要です。
学年が上がるにつれて、ことばの学びとして「敬体」「常体」の表現など、口汚いことばがどこから来るのかを具体的場面で学べばいいのです。
ことばのことについてずっと考えてきたぼくには、「敬語」の押しつけへの強い違和感があったので、これまでもブログにその関連の記事を書いてきました。
以下のぼくのかつての4本のブログ記事を送りました。これはkazuくんへの応援です。
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①まずは、敬語を求める心性はなぜに
まど・みちおさんの詩を読むことから笑いあうことを大事にしました。
まどさんは「バナナのじこしょうかい」という詩を書いています。ぼくは、子どもたちとこの身分に囚われる心性を笑いのめして遊びました。
https://ameblo.jp/sanni1132/entry-12427043862.html

AMEBLO.JP
『ゴリラ先生の教室だより<23>ございますで ざあます』
『ゴリラ先生の教室だより<23>ございますで ざあます』
②井上ひさしさんの日本語論より
https://ameblo.jp/sanni1132/entry-12649322570.html

AMEBLO.JP
『井上ひさしさんの「ことば」への関心、「人は人に対して人」という頬笑み』
『井上ひさしさんの「ことば」への関心、「人は人に対して人」という頬笑み』
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③「敬語が大事だ」という前に
「敬語」に対する考察を欠いたまま、「敬語は大事だ」という旗を振る(主張する)人のなんと多いことか。
こうした人たちは、自分が正しいと思うことにそろえること、スタンダードが第一だという思考に嵌ります。目の前の子どもの姿から、ことばの学びはじめましょう。
ブラックに自ら嵌らないしなやかさを持ちたい。
https://ameblo.jp/sanni1132/entry-12682805070.html

AMEBLO.JP
『何から何までブラックでいいのかなあ』
『何から何までブラックでいいのかなあ』
④kazuくんの先輩である花◎くんからの問い合わせ。
敬語が絶対などと考えたら、子どものことばは深められません。学びあいは出来ません。
ことばを豊かに遊ぶ中で獲得する、その実際を交流しましょう。
ことばのことで、疑問に思った時には「それは3・2さんに訊くんだ!」と思う若者がいます。ありがたい。
ぼくは教祖ではないけれど、「国語」教科書的な考えではない“サンニ教”として面白がる人たちがいます。「ことばを文字にとじこめない」というのもその一つ。
その一人、花◎くんの質問をきっかけに対話をしました。
https://ameblo.jp/sanni1132/entry-12885346048.html

AMEBLO.JP
『花◎くんからの質問です』
『花◎くんからの質問です』
これまで「敬語」というものに対してどう向き合うか、こんなことを考えてきました。薄っぺらな言語観、そっちの方こそ問題です。
スタンダードのもたらすことの問題点は『やわらかな教育をもとめて』という本で考えました。この本、もう残り僅かになりました。
