Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

最近は野球観戦、バーでの話、イベントの話が多いです。

今までに作成した記事を再編集・修正してnoteに移行し始めました。
クリエイター名は同じrigmaroleです。

なおヘッダー画像は新潟県長岡市にて2020年11月に撮影。

7月19日(日)。この日は、エルサルバドル赴任時代の後輩・N君が、東京から私に会いにやって来て、まず居酒屋「気分屋 うめ吉」で飲みました。その後、ショットバー「アンジー」に案内したものの、1時間も飲まずに東京に戻る最終新幹線の時刻になり、やや急(せ)かされるような飲み方になってしまいました。

彼を見送った後、私も「アンジー」を出ましたが、まだやや飲み足りない。本当はそこで止めるのが健康上も良かったのでしょうが、河岸(かし)を変えて軽呑(かるの)みすることにしました。

 

 

次の「河岸」は歩いて3分ほどの所にある「Bar久保田」。4月に最初に訪れて以来、3か月振りになります。

 

 

1杯目には、おすすめメニューにあるK1's レモンサワー(1,300円)を。スッキリ爽やか。説明書きには単語が羅列してあり、「皮/実/塩/甘味/炭酸/元気」と。最後の「元気」だけは飲み物そのものの説明ではありませんが、言葉を補って文にすると、「レモンの皮と実が入り、塩も入っているが甘味を感じる炭酸カクテル。元気を与えてくれます」ということなのでしょう。

前回、哲学談義をした若いバーテンダーのKさんと、彼よりやや年上に見えるバーテンダーが今回もカウンターに就いています。

Kさん、「今日は登板じゃなかったんですけど、急に呼び出されて」。普段の日曜日ならバーの方は非番だったのでしょうが、この日は連休の中日だったので呼び出されたのでしょう。しかし、私としては、自分が来店することと、彼が呼び出されたことの間に、何かの関係があるように思えてなりません。こういう非因果的な連関のことを、まさにシンクロニシティというのでしょう。特に旅行する時に尊重している、私の好きな言葉の一つです。

年上(たぶん)の方の彼とは、前回はオイシックス新潟アルビレックスBCの話で盛り上がり、無料券までいただきました。しかし今回はオイシックスの話を切り出すと、「最近はあまりフォローしていないです」と。代わりに、目下、高校野球にハマっているようです。地元長岡のチームは、甲子園常連の中越が初戦で敗退するという波乱がありましたが、今春のセンバツに出場した帝京長岡は決勝戦まで進み、同じくセンバツに出た日本文理に敗れ、惜しくも準優勝でした。

しかし、私が本当に応援していたのは、やはり私の出身地である柏崎の学校。母校である柏崎高校は初戦でいきなり優勝候補の一角である新潟産業大学付属に当たり、1対10の7回コールド負け。産大付属は2年前の夏の大会で県代表になり、1回戦では埼玉の強豪校、花咲徳栄に勝ったという実績があります。だから、母校が負けるのは仕方がない。しかし産大付属も柏崎の学校です。2回戦以降は応援していたのですが、準決勝で帝京長岡に敗れてしまいました。昨年の準優勝に続き、今年も惜しかった。

2杯目には同じくおすすめメニューにある<秘>ラム&コークを注文。キューバ・リブレに近い味ですが、ハラペーニョが使われていることと、コーラが自家製であることで、独特の味わいがあります。

さて、もう一人のバーテンダーであるKさん。私の顔を見て、「今、これを読んでいるんですよ」と、一冊の文庫本を後ろからサッと取り出して見せます。何と、『ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読む』ではありませんか。栞(しおり)が真ん中あたりに挟まれています。

やべっ、私が積読している本だ。

しかしそのことは言わず、「私がウィトゲンシュタインを大学院で勉強したことを、よく覚えていますね」と、感心した旨だけ言いました。

実際に感心しました。来店したのは、3か月前に一回きりでしたし、長い話の中で、私がウィトゲンシュタインを研究したことに言及したのはほんの一瞬でしたから。偶然読んでいたにしては出来過ぎています。覚えていて、この日に合わせて店へ持って来てくれていたのではないかと思いました。

そして私は、「著者は、私が大学院でウィトゲンシュタインを研究していた時の修論を審査した教官の一人なんですよ。論文の内容からして、まさにそのものズバリが専門の先生でした」と付け加えました。

 

 

Kさんからお借りして、本を撮らせていただきました。私の持っている――先に書いたように積読ですが――のはハードカバーの単行本です。

あらためて本の表紙を見て、私は、かつて苦労し悶えながらなんとか書き上げた論文について、審査会で先生が「この問題は難しくってねえ……」とおっしゃったことを思い出しました。

つまり、「修士論文で取り組むにはあまりに難しい問題だから、うまくいかなかったんだよ。手強(てごわ)すぎる。題材が悪い」という意味だったのだと私は理解しています。

しかし、その問題に最も興味を持ち、惹かれたのだから仕方がない。

バーテンダーのKさんには、「あなたのまだ読んでいない、最後の方、6.53とか6.54とかだったか、その辺りが一番面白くて難しい」と言いました。

記憶が定かではなかったので、その時はその番号を言いましたが、帰宅して『論考』を確認したら、正しくは5.6以降、特に自我や意志、宗教、価値といった、いわゆる「科学的言語」では扱い得ない問題を扱っている部分でした。

そして、私が修士論文で扱ったテーマは、「自然法則が支配するという世界観に自由意志の存在する余地はあるのか」、言い換えると、「事実と価値は両立できるか」ということ。これをウィトゲンシュタインは『論考』でどのように扱ったか、ということを考察することで、明らかにしようとしたのです。

しかし、私の結論は否定的でした。「彼は自然法則と自由意志、事実と価値の間の橋渡しに成功していない」。

そこで、私はあたかもその場で思い付いたことを付け足したかのように、まだ整理も体系化もされていないアイデアを、最終章にちょこちょこっと書いて、それを私の仮説的結論にして論文を強引にまとめたのでした。

私は完全に壁にぶち当たりました。

ウィトゲンシュタインの言葉を借りれば、私は「語り得ないこと」を語ろうともがいていただけでした。

これが、専門的に哲学の研究を続けることを断念した直接の動機であるとも言えます。他にも大きな諸事情がありましたが。

「この問題は難しくってねえ……」

私の頭の中で、この言葉がこだまします。

Kさんの見せた本は、そんな、苦い記憶を私に呼び起こす一冊だったのです。

すると、テーブル席にいる男女のグループの会話から、「クリトリスは……、精神安定にいい……」との女性の声が漏れて来ます。

「クリ……?!」

思わず耳がそちらへ向いてしまいます。

こちらはウィトゲンシュタインの話をどう継ごうか考えていたのに、集中が乱れるではないか。

この店で飲んだのは、2杯だけ。1時間も居なかったように思います。

でも、その方が健康に良い。

というか、3軒目に来た時点で既に飲み過ぎています(汗)。