6歳の子供に殺意があるか?~「影の車」
なにものかに操られていることにまったく気づいていない、無邪気すぎる傀儡の王のように、人の表層の意識は、いまいましいほどに尊大で、笑うしかないほどに孤独だ。 そのなにものかは、ずる賢く迷彩をほどこして日常の裏側に身を隠し、精神の奥深くに埋もれている遺構のような暗部から糸を引き、人を意のままにしている。 結末が善となるか悪となるか、どうなろうと知ったことではない。 見せかけの王の黒幕となっている、自覚のない深層心理の作用は、もっと根深い、細胞のわななきのエコーのようなものだからだ。 この男、本作の主人公の意識下に押しこめられていたのは、時がたちすぎて色彩が劣化してしまった映像だった。 触れられるものならザリザリとした不愉快な手ざわりが伝わり、手のひらに血がにじむであろう、少年だったころの忌まわしい記憶。消去したつもりでいても、不都合なときばかり、意に反して、いくらでも復元されてしまうその映像を、原作者の松本清張は「潜在光景」と名づけ、小説のタイトルにした。 高度経済成長期に東京近郊の田園地帯で造成された団地に暮らす浜島幸雄(加藤剛)は、旅行代理店に勤めている。 10年余りあくせく働き係長に昇進したものの単調な日常を鬱々とやりすごしていた。 妻の啓子(小川真由美)は、そんな夫には目もくれず、社交好きな性格から自宅でフラワー教室を開いて自由きままに生きている。 ありふれたサラリーマンのあじけない日々は、会社帰りのバスの車中で、幼なじみだった小磯泰子(岩下志麻)とたまたま再会したことから、にわかに色づき、テンポが速まり、悩ましくなる。 人妻だと思われた泰子は、聞けば4年前に夫に先立たれ、いまは生命保険の外交員をしながら、6歳になる男の子を育てているシングルマザーだという。 誘われるまま泰子の家に上がりこんだ浜島は、妻からは到底得られなかった安らぎを覚えて事あるごとに入りびたるようになり、やがて男女の一線を越えてしまう。 人の道にはずれた愛欲の深みにはまっても金銭を無心したり妻との離婚を求めたりしない泰子とは離れがたくなるばかりだったが、ひとつだけ気がかりなことがあった。 泰子のひとり息子の健一が、かたくなに浜島とは打ち解けようとせず、いつまでも目障りな異物を観察するような冷ややかな視線を向けてくるのだ……。 本作の企画が持ちあがった1969年、洋画ではロマン・ポランスキーの「ローズマリーの赤ちゃん」が評判になりヒットしていた。 この、ニューヨークのアパートで忌まわしい悪魔崇拝に取りこまれようとする若妻の恐怖を描いたサイコホラーは本作にも少なからぬ影響を与え、見えざる内面の意識世界の表現が演出のかなめとなっている。 野村芳太郎監督に言わせれば、「つまり意識、口にいえない、人間の原罪みたいな画面からジワジワとハミ出るものを、映画でどうつかまえるか」を演出面での実験的な課題とした意欲作だった。 感情を表す機能を根こそぎ抜き取られてしまったかのように無愛想な健一を持てあます浜島は、手土産の菓子やプラモデルで機嫌をとろうとするが、心は一向に開かない。 それどころか、わが身に危害が加えられる恐怖を感じるようになり、あげく、小さな手に握られた包丁や鉈で血祭にあげられる妄想にとりつかれてしまうのだ。 そのとき、彼の脳裏にフラッシュバックする「潜在光景」があった。 千葉の漁村で生まれ育った浜島も、幼いころに父親と死に別れていた。 母子ふたりきりの暮らしは見るからにつましく心細かったが、面倒見のよい伯父がなにくれとなく気にかけ、母親をはげまし、淋しげな少年をわが子のように溺愛してくれた。 だが、父親気どりで近づく伯父に、浜島は無性に腹が立ち、憎んでさえいたのである。 本能が、侵されてはならない真正の母性に、なんのためらいもなくにじり寄ってくる偽りの父性を敵視させたのだろう。 そんなある日、伯父は不意に、この世の人ではなくなる。 記憶にこびりついたザラつく映像は、伯父の野辺送りの情景を再生している。 葬列を前にして号泣する母親の傍らに立ちつくす無表情な少年。 止めようのない映像は、さらに時間を巻き戻して悪夢のようなビジョンを見せつけ、ついに破滅の封印を解いてしまう。 宿命として原罪を背負わされた悲しみは、癒えることなく終生つきまとう。 男は、孤独という独房に閉じこめられたまま、過去を呪うしかないのだ。《1970年/松竹/原作:松本清張「潜在光景」~短編集「影の車」所収/監督:野村芳太郎/脚本:橋本忍/撮影:川又昻/照明:三浦礼/美術:重田重盛/音楽:芥川也寸志/出演:加藤剛、岩下志麻、小川真由美、岩崎加根子、滝田裕介、近藤洋介、芦田伸介、稲葉義男、岡本久人》<あの頃映画> 影の車 [DVD]Amazon(アマゾン)1,698〜8,955円影の車: 松本清張プレミアム・ミステリー (光文社文庫プレミアム)Amazon(アマゾン)216〜4,200円あの頃映画 the Best 松竹ブルーレイ・コレクション 疑惑 [Blu-ray]Amazon(アマゾン)2,200〜13,249円<あの頃映画> 鬼畜 [DVD]Amazon(アマゾン)1,460〜7,018円<あの頃映画> ゼロの焦点 [DVD]Amazon(アマゾン)2,000〜7,729円『あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション 張込み』 [Blu-ray]Amazon(アマゾン)2,200〜8,622円あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション 砂の器 [Blu-ray]Amazon(アマゾン)2,609〜8,864円