あのテラテラとぬめり光るもの、一定の形を保ちながらもフルフルとうごめくものは、見えてはならないものなのだろうか。

 家畜のはらわたなら、切り刻まれて皿に盛られたものが目前に置かれ、おいしくいただいてしまうことがたびたびあるのだが、ヒトのそれだと、そうはいかない。

 皮膚に覆われた筋肉と脂肪に視線を遮断されて実体をとらえられず、手にとられて頬ずりされたり口づけされたりすることもない。

 いま現に生きている、ヒトの体内にある器官の個性は出し惜しみされているのだ。

 この映画が描きだす近未来の世界では、神が、信心深いふりをしたマッドサイエンティストにそそのかされて異常な生体実験に熱中し始めたかのように、人類の進化が野放図に加速している。

 ゆき過ぎた人工環境に順応して生存できるように身体は耐性を身につけ、体内に未知の臓器がつくりだされるようになっていた。

 そのうえ、痛覚の神経回路が退化して痛みをまったく感じなくなってしまっているのだ。

 切り裂かれようが切り刻まれようが、お構いなし。開いた傷口はいつも、誰かしらの恍惚のまなざしで見入られているのである。

 

 

 

その無痛の世界で最先端をゆく前衛パフォーマンス・アーティストとして知られているソール・テンサ―は、「加速進化症候群」を患っており、彼の体内は、まるで昆虫の女王が絶え間なく産卵するように、次から次へと新たな臓器を生みだしていた。

 なんの機能も果たしていなければ、それは単なる役立たずの腫瘍にしかすぎないが、彼のものは、消化器系や循環器系などの人体のシステムに組みこまれていて、申し分のない働きをするORGAN(オーガン=器官)だった。

 アンダーグラウンドのアートシーンでテンサ―は、パートナーの女性、カプリースの手を借りて、新たに生みだされた臓器にタトゥーアートをほどこしてから公開手術で摘出して衆目にさらすという、猟奇の極みのような血まみれのパフォーマンスを披露していた。

 テンサ―の奇病はしかし、彼の身体に不調をもたらしてもいて、のべつ咳きこんだり、食べ物が喉を通らなくなったりしていた。

 そのために、食事や睡眠をサポートする、奇怪なフォルムをした器具を使って、不自由をやり過ごしていた。

 

 

 

 過度な人工環境がもたらした人体の進化の暴走は、もう一方で、人類を無機質の悪夢にひきずりこむ過激思想を出現させていた。

 そのイデオローグたちは、環境汚染と自然破壊をもたらす、テクノロジーの節度なき発達を拒むのではなく、むしろ人類の進化を、それとシンクロさせるのが賢明だと唱える。

 人造の無機物と有機体の融合。

 それを具現化するため、彼らは、プラスチックのような化合物を食べて栄養素を取りこめるように消化器官の改造手術を受けていた。

 そしてついに、生まれながらプラスチックを食える男の子が誕生していたのである。

 口から溶解液を吐き出しながら、ありとあらゆるプラスチック製品をパリポリかじって空腹を満たす少年は、8歳にして、運命を呪う母親に殺されてしまったのだが、その遺体の解剖を見世物にする話がテンサ―に持ちこまれる。

 その裏には、血も涙もないテクノロジーとの調和をついにかなえた内臓の超進化の必然を世に知らしめようとする、プラスチックを食う人びとのプロパガンダの思惑が仕組まれていたのだった。

 物語の終幕は、人類の進化の行く末を確定するための果てしない闘争の予感に満ち満ちている。

 摂理の在りかをめぐって、かならず空ぶりに終わる埋蔵金探しのような、歪んだ論証と不毛な流血が、この先、繰りかえされるのだろうが、それは神のみぞ知るどころか、神さえも確証がなくて、困惑をひた隠しにしているのに違いないのだ。

 

 

 

 さてここからは、この映画が、無痛化した私の脳に、先端に鉤の付いた銛を打ちこんで引きずりだした妄想をこねくりまわすことにしよう。

 生物の進化の過程には、枝分かれの可能性のひとつとして透明化がある。

 クリオネのような生物は、天敵の目をくらませたり獲物を油断させたりする遮蔽装置として進化の過程でステルス化を選択している。

 もし人類に、それほどの変態をとげる可能性が授けられていたとしたら。

 覚悟を決めて、手渡されたサイコロをふって出た目が、骨肉が光を透過させる身体で生きよ、となっていたら。

 そうなるとヒトの美醜は、おぼろげな輪郭に縁どられた不確かな外形によってではなく、衣服をまとわなければ惜しげもなくさらけ出されてしまう臓器によって値踏みされるようになるはずだ。

映画と同様、タトゥーは、ぬらぬらとした血の色で輝く肉塊の表面に彫られ、ピアスの穴も開けられてしまうだろう。

 ただ透き通っているだけの入れ物に興味をそそられる者などごくわずかだ。

 そこに入っているものにこそ、人は釘づけになり、欲望をかきたてられる。

 セックスも、男の愛欲が高まれば高まるほど、女の腹を切り裂いて手首まで突っこみ、実体が露わになっている子宮をわしづかみにして揉みしだきたくなる衝動を抑えつけるのにもだえ苦しむことになる。

 もし、壊れかけた錠前になり果てた理性が吹っ飛んでしまい、欲情するナイフが振りおろされてしまったら、女はこの世のものではないエクスタシーに悶絶し、身をよじりながら息絶えてしまうだろう。

 あろうことか鉛で鋳造された、みすぼらしい甲冑を否応もなく着せられ、さんざんな思いをさせられていた軍隊に、思いがけず武装を解く許しが出たように、人類は、大地を揺るがす、よろこびの鬨の声をあげるだろう。

 

 

《2022年/カナダ・ギリシャ/監督・脚本:デヴィッド・クローネンバーグ/音楽ハワード・ショア/美術:キャロル・スピア/撮影ダグラス・コッチ/出演:ヴィゴ・モーテンセン、レア・セドゥ、クリステン・スチュワート、スコット・スピードマン、ドン・マッケラー、ヴェルケット・ブンゲ》