同じ次元の同じ空間にいるはずなのに、見るからに老いぼれてしまった夫婦は、なにもかもが傾いている世界で、奈落の底へずり落ちてしまわないように手がかりとなる物へ死にもの狂いでしがみついているみたいに、もどかしげにずりずりと動きまわっていた。

 夫95歳、妻87歳。

 ふたりきりで生活しているその「世界」は、妻が認知症を患ってから日ごとに傾きを増しており、不意にバランスを崩して夫婦がもろともに倒れてしまう危うさが、いまにも弾けてしまいそうだった。

 そんな老老介護の傾斜した人生の営みを、ひとり娘が情愛のこもった水平の視点でビデオカメラにおさめていた。

 信友直子が監督したセルフドキュメンタリー「ぼけますから、よろしくお願いします。」の連作は、認知症だったうえに脳梗塞を発症して身体不如意になってしまった、みずからの母親の昇天を看取るまでの映像記録だ。

 ふだんは遠く離れて暮らしているので兆候を見逃してしまっていたのだが、いつのまにか母親の記憶の有効期限が悲しくなるほど短くなっていた。

 いきつけのスーパーで安売りしていた大好物のリンゴをしこたま買い求めて帰っても、その記憶はひと晩で消え失せてしまい、翌日もまた、山ほど買いこんでいるのだ。

 帰省して実家の台所におびただしい数のリンゴが転がっているのを見つけて異常を察知した娘は、カメラ越しに両親の日常を観察しながら無力な母親の悲嘆を推しはかっていたが、ペチンペチンと老骨にか細い鞭を打ちふるって家事と介護にいそしんでいる父親の、固い芯が通った愛情に胸打たれてもいた。

 新年を迎えたあいさつで、「今年もよろしゅう。ぼけますからお願いします」とおどけてみせた母親は、追い打ちをかけられるように脳梗塞を患って寝たきりになり、誤嚥の恐れがあるため、かろうじて命をつなぎとめる栄養を胃ろうで補うことになった。

 延命治療を施すべきか否か。

 事態を客観視する時間があれば、道しるべのない思考の荒れ野をさすらうような、尊厳死をめぐる重苦しい自問自答の試練に追いこまれていたかも知れないが、このときは家族の心に苦悩する理由も余裕もなかった。

 あらゆる手を尽くして、母親の天命を1秒でも長く引き延ばそうとしたのだった。

 前置きが長くなり過ぎてしまったが、フランソワ・オゾンが監督した「すべてうまくいきますように」は、さざ波のような共感を呼び起こした、日本の女性映像作家の家族の実録と同じく、心ならずも介護される身となった老親と娘の関わりあいを描きながら、真逆の結末をたどっている。

 

 

 

 脳梗塞で身体が不自由になった父親が、リハビリを続けても元どおりには生きられないことを悟ると一刻も早い死を望み、その実行を娘に懇願する。

 許されるのなら、「死にますから、よろしくお願いします。」と改題したくなる映画なのだ。

 パリで夫と暮らしている小説家のエマニュエルは、84歳になる父アンドレが脳卒中で倒れ、救急車で運ばれたと知らされる。

 あわてふためきながら妹のパスカルと病院に駆けつけると、応急処置をされたアンドレは意識があり、命は危うくなかったものの半身不随になり、ベッドから起き上がれなくなっていた。

 美術商で財を成したアンドレは、誇り高きエゴイストで、人生は享楽のためにあると信じる自由人だった。

 過去に仲たがいして別れた同性の愛人もいたバイセクシャルで、彫刻家の妻クロードとは、なぜか離婚しないまま、もうかれこれ何年も別居していた。

 

 

 だれにも気がねせず、やりたい放題に生きてきたアンドレは、病室でも誰彼かまわず皮肉まじりの軽口をたたき、気落ちしているそぶりは微塵もない。

 ところが、精密検査で脳梗塞が認められ、身体の麻痺の回復が楽観できなくなると、おもむろに娘の手をとり、こう告げたのだ。

 「終わらせてほしい」

 エピローグを迎えたステージで不意打ちをくらってなぎ倒され、ぶざまに身動きがとれなくなってしまったみずからの人生から、できる限り威厳が損なわれないようにするための、安楽死の願いだった。

 身体機能が失われ、昨日までできていたことができなくなることで、みずからがみずからでなくなるように感じる、老人のアイデンティティー喪失の心痛は、私の親も、最後は脳梗塞で逝った晩年にしきりに訴えていたので、納得がいく。

 とりわけ、最初の排泄のしくじりは、とりかえしのつかない痛手となって、意識が明晰で途方に暮れている老人を打ちのめすようだ。

 本作でも、アンドレが排便のタイミングを看護師にうまく伝えられず、パジャマのズボンを糞まみれにして号泣するシーンがある。

 見舞に来て父親の粗相を見つけたエマニュエルは、たいした事とは受けとめていなかったが、思うに自意識と美意識が二重らせんのように絡みあって自我の中心軸になっていたであろうアンドレにとっては、どれほど耐え難い屈辱だったことか。

 

 

 

 本作も、原作小説の作者、エマニュエル・ベルンハイム(1955~2017)が体験した実話に基づいている。

 エマニュエルは父親の翻意を望みながら、スイスにある安楽死の援助組織とコンタクトをとり、顧問弁護士とも相談しながら、父親が最善の形と信じてやまない穏やかな自死の手続きを進める。

 彼女には当然のことながら内心の葛藤があり、判断は揺れ動くのだが、父親の人生最大の決意を真っ向から否定することはない。

 安楽死にかかる費用が、それなりに高額になることを娘から聞かされたアンドレが、「そんなにするのか。だったら貧乏人はどうするんだ」と問うシーンがある。

 エマニュエルは平然と答えていわく、「最後まで生きるのよ」

 こんなエスプリの火花を散らすような言葉を交わせる親子だからこそ、安楽死は、疑問の余地なく、ありうべき選択肢のひとつになったのだろう。

 原作と同名の本作の原題は、じつは過去形になっている。

 「すべてうまくいきました」

 だれひとり、後悔はしていない。

 

 

 

《2021年/フランス・ベルギー/原作:エマニュエル・ベルンハイム著『Tout s‘est bien passé 』/監督・脚本:フランソワ・オゾン/撮影:イシャーム・アラウィエ/出演:ソフィー・マルソー、アンドレ・デュソリエ、ジェラルディーヌ・ペラス、シャーロット・ランプリング、エリック・カラヴァカ、ハンナ・シグラ、グレゴリー・ガドゥボワ》