【ネタバレあり】

 エンドレスになる呪いをかけられた悪夢のはじまりは、孤島の玉砕だった。

 太平洋戦争で日本がひたすら自滅への一本道を盲進していた1945年、小笠原諸島の大戸島の海軍基地に、爆弾を抱えた零戦が1機、不時着した。

 爆装していたのは特攻を命じられていたからだが、パイロットの敷島浩一少尉は、エンジントラブルで、やむをえず飛来したと整備兵に告げる。

 だが、機体をくまなく点検しても、どこにも異常は見あたらない。

 敷島は、自爆攻撃に怖気づいたのだった。

 敵前逃亡を恥じ入り、多くを語らない。

 その夜、基地は、突如現れた、凶暴な肉食恐竜のような巨大生物に襲われた。

 

 

 

 

 高さ約15メートル。島で語り継がれる伝説では「呉爾羅(ゴジラ)」と名づけられているそれは、整備兵をなぎ倒し、踏みつぶして基地を壊滅させてしまう。

 大破して炎上する零戦。

 敷島はしかし、死をまぬがれていた。

 零戦に搭載した20ミリ機関砲の銃弾を浴びせれば、ゴジラをひるませ、撃退できたかも知れなかったが、恐怖にすくんで引き金をひけず、コックピットから逃げ出したのだ。

 この世の万人が牙をむくように敵意を露わにしながら傍聴する、弁護人のいない孤独な法廷に永遠に立たされる罪びととなってうなだれたまま、敷島は、文明が無に帰してしまった、敗戦直後の東京へ引き揚げてくる。

 その2年後、天皇の名のもとに犬死にを強いられた男たちの無念を背負いこんでしまった、みじめな元皇軍兵士を追跡するようにして、南洋諸島ビキニ環礁の核実験の放射能にさらされたせいで、さらに巨大化したゴジラが東京を襲う。

 「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」で、戦後復興の胎動が確固としたうねりになりかけていた東京は、ふたたび無慈悲に焼きつくされ、焦土にひき戻されてしまうのだ。

 

 

 

 

 原点に立ちかえれば、ゴジラの本質は、人類に災厄をもたらすために降臨する荒ぶる神である。

 つまり、1作目のファースト・ゴジラや前作のシン・ゴジラなどで描きだされてきたのは、救いようもないほどに愚かで、悪びれもせず大罪を繰りかえすヒトという被造物による神殺し譚の物語だった。

 ところが、「マイナスワン」の劇中、そんな神話的ニュアンスは漂ってこない。

 原爆に匹敵する破壊力がある熱線を吐き散らかして、銀座をふたたび無残なガレキの山にしてしまう原子怪獣は、まるで敷島が無意識のうちに召喚した魔物のようなのだ。

 なぜなら、ゴジラの再上陸を待ち受ける後半のストーリーは、生き残った者を死に急がせるサバイバーズ・ギルトから敷島を解放する、途方もなく大仕掛けのセラピーとしか思えない展開になるからだ。

 そのために編みだされたのが、あえて腹をくくってリアリティーを犠牲にしたのかと勘ぐるしかないゴジラ撃退法だ。

 ゴジラが襲来したとき、日本はまだ、米軍を主体とした連合国軍の占領下にあって、主権国家としての独立を失っていた。

 ところが、東京が、あわや壊滅しかけているというのに、本作で、米軍は1ミリたりとも動こうとしないのだ。

 

 

 

 

 すでに冷戦が始まっていた旧ソ連を刺激して軍事行動を誘発するのを恐れたため、と説明されているが、酸いも甘いも嚙みわける大人たちには聞き捨てならない言い分だ。

 「おっと、そりゃないぜ!」と突っこまれる最大のポイントである。

 そのもやもやに決着をつけるのは、いったん保留しておいて、次、行ってみよう。

 軍備は解体され、警察予備隊も創設されていなかった日本政府は、丸腰のまま、ゴジラが東京を蹂躙し、国民の生命と財産を見境なく焼きはらうのを、まのあたりにしながら手をこまねいていることしかできない。

 もはや第二の敗戦か……と思われたとき、突拍子もないプランがまとまる。

 元軍人の民間人だけでタスクフォースを編成。残存していた旧帝国海軍の艦艇に乗りこんでゴジラを相模湾の深海域へ誘いこみ、ひと息に海底まで沈めてから急浮上させ、水圧の激変によって殲滅するという「海神(ワダツミ)作戦」だ。

 敷島も、戦闘機乗りだった経験をいかして加わるが、密かに自分にしかできないやり方で、心を緩慢に腐敗させていた、自己嫌悪と自己憐憫の不毛なループを終わらせようとしていた。

 

 

 

 

 出撃を待つ男たちは皆、戦争を生き延びた命を惜しまない覚悟をしていたが、作戦を立案した元海軍工廠の技術士官は「絶対に死者は出さない」と宣言する。

 演じた役者が吉岡秀隆だったので、なおさら暗示をかけられたのかも知れないが、このあたりから、三丁目の夕日を浴びたようなノスタルジックなまばゆさがスクリーンからあふれ出し、意識が幻想の次元へ転送されたような、いくばくかの浮遊感につきまとわれるようになる。

 ひょっとしたら、この作戦は、戦場から敗走した男たちの人生を全肯定するための集団セラピーで、ゴジラは、彼らの集合意識に投影された幻影ではないのか。

 あるいは、じつは敷島が大戸島に不時着した後の一連の出来事はすべて、彼の忌まわしい幻覚で、ゴジラは、心の芯まで蝕んだ罪悪感がつくりだしたモンスターではないのか。

 その悪夢はまだ、終わっていないのだ。

 

 

 

 

《2023年/東宝/監督・脚本・VFX:山崎貴/音楽:佐藤直紀/撮影:柴崎幸三/照明:上田なりゆき/美術:上條安里/出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介》