《ネタバレあり》

 これはやはり、創造主からの最後の伝言と受けとめるべきなのだろうか。

 夫婦で観に行ったという伊集院光は、ラジオ番組「伊集院光 深夜の馬鹿力」で、「あれは(宮崎駿監督が今わの際に見る)走馬燈(のような脳内イメージ)なのかな~?」と、ひどくなるばかりの胃もたれに悩まされているかのように、ストーリーを咀嚼できなかった困惑をひきずっている感想を述べていた。

 伊集院の奥方は観終わった後、「これは監督の生前葬なのよ」と、いわく言いがたい表情を浮かべたままの夫を諭したそうである。

 「他人様のお葬式に参列しておいて、あれはおもしろかったとか、おもしろくなかったとか言うべきもんじゃないでしょ」と。

 

 

 

 

 「宮崎駿が友情をこめて描く、生と死と創造の自伝的ファンタジー」とうたいあげ、監督自身が少年時代に読みふけったという吉野源三郎の教養小説のタイトルをそのまま借用しているので、リアリティー要素と説教臭さが強めの自己形成ドラマを予想していたのだが、厳密なつじつま合わせを放棄した物語は、高速のオートマティスムで詩人が筆を走らせるように、突拍子もないイメージを続けざまに投げつけてくる。

 伊集院光が走馬燈にたとえたそれを視覚で追いながら、裏側に張りめぐらされている論理の配線図を明確に思い描こうとすると難解で手に負えない。

 印象だけを頼りに、めくるめくイメージ群の中核にあるものに、ざっくりと探りを入れてみると、どうにか思い浮かんだのは、母胎回帰による再生だ。

 主人公の眞人(まひと)は、戦時下の日本で父親が軍需産業の工場を経営している、裕福な家庭に生まれた少年だ。

 なんの屈託も知らずに育ったお坊ちゃんだったが、母親が入院先の病院の火事に巻きこまれて亡くなったことで、トラウマ的な屈折を抱えている。

 ここまでの設定は、監督の実人生と重なりあっている

 1941年に東京で生まれた宮崎駿の父親は、戦闘機の部品を製造する宮崎航空機製作所を経営していたし、幼少期に肉親との死別を体験してはいなかったが、母親は戦後まもないころに脊椎カリエスを患い、約10年もの間、病床に伏せっていた。

 眞人の母が非業の死をとげた翌年、一家は母の実家がある田舎町へ疎開する。

 父は、母の妹ナツコとの再婚話がまとまり上機嫌だった。母と生き写しのナツコはすでに、父の子を身ごもっていたのだ。

 新居になった母の実家は、町を見おろせる小高い丘の上にある古めかしい豪邸で、広大な庭の片隅には、木立の陰に隠れるようにして、廃墟も同然のたたずまいをした、謎めいた塔が立っていた。

 ナツコによると、塔の地下には複雑怪奇な迷宮があり、かつて本を乱読し過ぎて正気を失った大伯父が中に入りこんだまま行方知れずになってしまったのだという。

 

 

 

 

 その塔に母がいる、と眞人をそそのかす者が現れた。

 塔をねぐらにしていて、舌先三寸の人語を話す、いかにもうさん臭いアオサギ男だ。

 塔の地下にあったのは、現実の時空間の裂け目につながる異界。

 アオサギ男の誘惑にあらがえず、塔の地下世界へ降りていった眞人が探し求めたものは、羊水を満たされた、血のぬくもりのある子宮のように包みこんで、悪意を隠し持つ罪深い存在に変わり果てた己自身を修復してよみがえらせてくれる一時的なシェルターだったのではないだろうか。

 眞人は異界で、ヒミと名乗り、自在に火を操る少女の姿かたちをしている実母にめぐりあい、こぼれ落ちそうなほどジャムを塗りたくったトーストを食べさせてもらえたり、窮地を救われたりする。

 

 

 

 

 そのころ地上では、身重のナツコがいなくなり、神隠しにあったと大騒ぎになっていた。

 彼女も、眞人をおびきだすように異界へ降りていて、男子禁制とされる産屋に横たわっていた。

 眞人は禁忌を破り、もともとは叔母だった女に近づいて現世へ連れ帰ろうとするが、かたくなに拒まれてしまう。

 ナツコは、いきなり義理の息子になった少年のよそよそしい態度に傷つけられ、どうすれば心を通わせられるか思い悩んでいたのだ。

 眞人は、そこで初めて「ナツコ母さん」と呼びかける。

 ぎこちなくも限りない愛情を降りそそごうとする義理の母の献身を、母性として受け入れられたのだ。

 母性は絶対。

 それに守られずして冒険は始まらない。

 人生は虚しいものになってしまう。

 その継承の儀式が、母胎のような時空間で執り行われたのである。

 

 

 胎内めぐりはさらに、眞人を、老いさらばえた大伯父に引きあわせる。

 彼こそ異界の創造主であり、統治者だった。

 監督のイメージを醸しだしている白髪白髭の老人は、崩壊する崖っぷちで、かろうじて均衡を保っている異界を統治する役割を眞人に継がせようとする。

 美しく調和がとれた完全な世界を、悪意のない血縁者に譲りたいというのだ。

 しかし、眞人は、自分の心には悪意があるからと断り、戦火に焼かれ、破壊と混乱で均衡を失っている、元いた世界に戻って生きると宣言する。

 

 

 

 

 この異界を譲渡する儀式の破綻からは、創造主の引き際のありかたを悟った監督の境地を裏読みすればよいのだろうか。

 眞人と大伯父、どちらも宮崎駿の分身であるのなら、走馬燈には、幼いころから目を背けられたまま、意識の深層に沈殿していた記憶や情念のしこりのようなものが洗いざらい吐き出されていたのだ。

 リミッターが全解除され、ついに正真正銘の怖いものなしになった大作家は、まだなにか、たくらんでいそうだ。

 

《2023年/スタジオジブリ/原作・脚本・監督:宮崎駿/作画監督:本田雄/美術監督:武重洋二/音楽:久石譲/主題歌:米津玄師「地球儀」/出演:山時聡真、菅田将暉、柴咲コウ、あいみょん、木村佳乃、木村拓哉、風吹ジュン、大竹しのぶ、阿川佐和子、火野正平、小林薫、竹下景子、國村隼、滝沢カレン》