《ネタバレあり》

 その不気味に色づいた、イメージの「複雑系」は、自立した生命があるものの巨大な舌が、捕らえた獲物をねぶるように壁の表面を移ろいながら、少女が身を隠している家を刻々と変容させる。

 南米チリのビジュアル・アーティスト、クリストバル・レオンとホアキン・コシーニャのふたり組がつくりだすコマ撮りのアニメーションは、原寸大で組み立てられた屋内のセットの壁を覆いつくした絵を、描いては消し描いては消ししながら動かしてゆく。

 なんの変哲もない壁から湧いて出るように十字架が現れると、みるみるナチスのハーケンクロイツに形を変える。

 時間の経過とともに家具や調度品の絵が上書きされると、その空間が食堂になったり寝室になったりする。

 胴体のない、主人公の少女の顔が浮かびあがると、目から黒い涙を垂れ流し、砂がこぼれ落ちてゆくように崩れ去ってしまう。

 

 

 

 彼らのコマ撮りは、2次元の平面の変化とともに、3次元の立体のそれも組み合わせて被写体にしている。

 張り子のように無数の紙テープを大ざっぱに貼り合わせてヒト型をつくり、コマ送りで動きを撮る。

 紙テープは、いたるところでよじれて裂け目をさらけ出しているが、お構いなしに演技を続けさせられ、やがてほどけてヒトとしての輪郭を失い、いなくなってしまうのだ。

 少女は、2次元のものから3次元のものへ、あるいはまた、その逆へと、不規則に存在を移行させるので、病んだ脳に映しだされる超現実の幻覚を見せられているような胸騒ぎを止められなくなる。

 

アニメの制作過程 ①

 

アニメの制作風景②

 

アニメの制作過程③

 

アニメの制作過程④

 

 このアニメは冒頭で、邪悪な忌まわしい集団と世間から指弾されている、あるコロニーが、実際は健全な人びとが規律正しく暮らしていることを知らしめて誤解を解くためにつくられたと説明するナレーションが入る。

 コロニーを擁護するプロパガンダ映画という体裁で語り起こされるのは、ある少女の逃避行と絶望の顛末だ。

 チリ南部の山間の辺境に、ドイツ人の入植者の集落があった。

 「助けあって幸せに」を合い言葉にして集団生活を営むその集落には、マリアという、動物好きで夢見がちな美少女が暮らしていた。

 ある日、集落で飼っていたブタを勝手に逃がしてしまった彼女は、罰として100日間、だれにも会わず、話すなと厳命される。

 むごい仕打ちに耐えられず脱走したマリアは、あてもなく森をさまよい、ようやく見つけた廃屋に逃げこむ。

 ひと息ついて、あたりを見まわってみろと、自分が逃がした2匹の子ブタに出会ったので飼いならすことにした。

 その家は、まるで精神感応の能力が備わったミュータントの生き物のようだった。

 いつのまにか、住人の望みどおりのインテリアに模様替えされ、欲しかった家具がそろえられているのだ。

 願望がかない、満ち足りたマリアは子ブタたちに服を与えた。すると人間に変身したので、「アナ」と「ペドロ」と名づけ、3人は家族のように暮らし始める。

 

 

 

 しかし、安息は長続きしなかった。

 森の奥深く、闇の中から彼女の名を呼ぶオオカミの声が聞こえてくる。

 それは、非難がましく、こう言うのだ。

 「逃げ出してきた集落も、いま住んでいるその家も、どちらも変わらず檻ではないか」

 やがて食料が尽き、森へリンゴをとりにいこうとしたマリアを人間ブタたちは引きとめ、ベッドにくくりつけてしまう。

 檻から逃れられない運命を悟って観念したマリアはオオカミに救いを求め、人間ブタが食い殺されて解放されると小鳥になり、集落へ戻っていったのだった。

 この救いのないダークファンタジーは、チリの黒歴史にもなっているカルト集団「コロニア・ディグニダ(尊厳のコロニー)」の陰惨な悲劇がモデルになっている。

 1959年、西ドイツからネオナチの男が数人の仲間を引き連れて出国、チリへ逃亡した。

 元ナチス党員で戦時中は衛生兵だったその男、パウル・シェーファー(1921~2010)は、戦後、教会や孤児院を設立し、慈善家らしくふるまっていたが、正体はペドフィリア(小児性愛)のけだもので、複数の少年に性的暴行をはたらいた咎で訴追されていたのだ。

 チリ南部の原野に入植したシェーファーの一党は、表向きは福音を説く教団となり、岩だらけの荒れ地を開墾してドイツ系移民を中心としたコミュニティを築いた。

 これが、コロニア・ディグニダの起源だ。

 

上空から見たコロニア・ディグニダの全容

 

 キリスト教の教団のコミュニティならば、日々の生活は聖書の教えに導かれて営まれるはずだが、シェーファーが神のごとく君臨したコロニア・ディグニダは違っていた。

 家族は解体されて子どもは大人から遠ざけられ、さらに異性はひき離された。

 親の愛情を知らず、ろくな教育もほどこされず、外界の情報も遮断された環境で育てられた子どもたちは年中無休、1日16時間も働かせられ、はむかえば問答無用で体罰を加えられた。

 重労働に耐えられず逃げだしても、泥道を40キロも歩かなければ隣町までたどり着けないので、かならず途中で捕まり、さらにこっぴどく痛めつけられるのだ。

 こうして子どもたちを意思表示できない忠実な家畜化して、シェーファーが築きあげようとしたのは、だれにも絶対に侵されない、ペドフィリアの王国だった。

 異常性欲の絶対王政の君主となったシェーファーの日中の楽しみは、抱き心地のよさそうな男の子を物色することだ。

 餌食になった少年たちは、夜が深まると寝室に呼びつけられ、ひと晩中、裸体をもてあそばれ、アナルセックスを無理強いされる。

 拒めば電気ショックの拷問が待っていた。

 ありったけの性欲を少年に注ぎこんでいたシェーファーは女性を敵視し、単なる労働力としてしかみていなかった。

 男の子たちを惑わし、あわよくば奪いとろうとする危険な存在とみなしていたからだ。

 

2005年に逮捕、収監されたパウル・シェーファー

 

 このあたりの実状は、いまNetflixで配信しているドキュメンタリー「コロニア・ディグニダ チリに隠された洗脳と拷問の楽園」でも当時の関係者が証言しているが、快楽にとりつかれたアブノーマルなカリスマが権力をほしいままにしてつくりあげた洗脳地獄というほかない。

 カリスマのオーラで目をくらませるペドフィリアは、どこの世界でも、たちが悪いのだ。

 このまがまがしい逆説的アニメには、「もしパウル・シェーファーがウォルト・ディズニーのようなクリエーターだったら、どんなストーリーを映像にしただろうか」という、未知の劇薬を生成する非合法の化学実験のような意図がこめられている。

 ありもしないもの、手に入れられないものを夢見なくてもいい奴隷の幸せの光を、意識の底の深い闇の中に灯そうとしているのだ。

 

 

 

 

《2018年/チリ/監督・脚本・撮影:クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ/声の出演:アマリア・カッサイ、ライナー・クラウゼ/第68回ベルリン国際映画祭カリガリ賞》