その島は、そこかしこに隠れている、油断もすきもない妖精たちの、甘ったるくて、どんな生き物でも投げやりにさせる吐息が立ちこめているように、どうしようもなく退屈に支配されていた。

 来る日も来る日も出会うのは同じ顔ぶれ。かわり映えのしないあいさつを交わすと、ひとしきり無駄話で時間をつぶし、十年一日という言いまわしのサンプルのように、決まりきった日課をこなして日が暮れてゆく。

 アイルランドの西海岸沖にあるその島は、因習でがんじがらめになっていたが、その最たるものは、暇を持てあましている男たちの昼下がりのパブ通いだ。

 スタウト(黒ビール)やストレートのアイリッシュ・ウイスキーをすすりながら、退屈同士が顔つき合わせたり肩を組んだりして、意味もなく口論したり慰めあったりしている。

 とるにたらない、その日の出来事の大部分は、ひと晩熟睡すれば、だれの記憶にも残っていない。

 本作では、妖精伝承に事欠かないアイルランドの架空の孤島、イニシェリン島で100年前、そんな退屈の無限ループがいきなり、断ち切られてしまう。

 

 

 

 

 島民のひとり、パードリックは、ジェニーと名づけたミニロバを溺愛し、読書家で聡明な妹のシボーンと暮らしていた。

 人畜無害なお人よしで、だれからも好かれていた彼には、コルムという親友がいた。

 ふたりは毎日のように、午後2時になると連れだってパブにしけこみ、たわいないおしゃべりに興じていたのである。

 ところが、ある日、いつものようにパードリックがコルムをパブへ誘いに行くと、無言のまま無視されてしまう。

 訳がわからず困惑するパードリックが問いただすと、「おまえが嫌いになった」と、まさかの絶交宣言。

 しかし、「俺が、なにかしたのなら言ってくれ」と詰め寄っても、「おまえは何も言ってないし、してもいない」としか答えない。

 コルムは、みずから作曲もするフィドル(バイオリン)弾きだった。

 彼は続けて、こう言い放った。

 「俺は、残りの人生を有意義なものにするために作曲と思考に没頭したい。おまえのつまらん話に時間を取られたくないんだ」

 納得がいかないパードリックは、妹や教会の司祭にも頼って、なんとか友だちづきあいを復活させようと躍起になっていると、正気とは思えない最後通告を突きつけられた。

 「これから先、おまえが俺を煩わせたら、自分の指を1本ずつ切ってくれてやる。フィドルの弦を押さえる左手の方の指だ。おまえが話しかけるのをやめるのが先か、俺の指がなくなってしまうかだ」

 

 

 

 

 

 

 

 住民全員が顔見知りで、たがいに私生活を知り尽くしている島で起こった不条理な仲たがいはたちまち知れわたり、息苦しさといらだちが未知の疫病のように広まり始める。

 ところで、タイトルでは「妖精」とされているが、原題は「イニシェリンのバンシー」という。

 「バンシー」とは、アイルランド語で「バン」が女性、「シー」が妖精を意味するので、つまり「妖精女」のこと。

 アイルランドで古くから語り継がれてきた民話によると、バンシーは、人の死を予見すると、すさまじい叫び声をあげて知らせる不吉な存在とされているらしい。

 イニシェリン島にも、絶叫こそしないが、バンシーを彷彿させる不気味な老女がいた。

 黒いローブをまとい、どこからともなく現れるミセス・マコーミックは、かつて親しかった、ふたりの男の不可解ないさかいが起きると、コルムに拒絶されたパードリックにつきまとい、こんな予言をつぶやくのだ。

 「この島に、ふたつの死が訪れる」

 緩慢な時の流れに狂気の矢がささり、惨劇の予感が走りだす。

 

 

 

 

 分別盛りであるはずの中年男同士の、思春期のガキ返りしたかのようないざこざがもつれ、収拾がつかなくなるストーリーは、時代設定を現代としても成立しただろう。

 しかし、あえて100年前にさかのぼったのは、計算された意図があってのことだった。

 島から東沖の対岸のアイルランド本土を見渡すと、日に何度となく煙が猛然と吹きあがり、遅れて爆発音が鳴り響いた。

 本土はそのころ、内戦のさなかにあった。

 アイルランドは1922年、イギリスからの独立を勝ちとり、アイルランド自由国となったのだが、講和条約の批准をめぐって、反対派のアイルランド共和軍(IRA)と暫定政府が武力衝突していたのである。

 監督のマーティン・マクドナーは、「パードリックとコルムの仲たがいは、本土で起きていることの写し鏡になっている」と語っている。「男たちの小競り合いが、海の向こうの大喧嘩と同時進行している」

 だれもが愚かだと思う争いであっても、人の脆弱な理性は、それを止められない。

 むしろ、より一層おぞましいエピローグへ突き進むことを目標として、敵対する者同士が心を通じ合わせる隠しプログラムが深層心理に密かに仕組まれているようだ。

 どうかしてる人類の愚行を神々は大いに笑い、気晴らしのタネにしているだろう。

 

 

 

《2022年/アイルランド・英・米/監督・脚本:マーティン・マクドナー/撮影:ベ

・デイヴィス/美術・マーク・ティルデスリー/音楽:カーター・パーウェル/衣装:イマー・ニー・ヴァルドウニグ/出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン、ゲイリー・ライドン、シーラ・フリットン/第79回ヴェネツィア国際映画祭:男優賞・脚本賞、第80回ゴールデングローブ賞:作品賞・主演男優賞・脚本賞》