男は、東京のデジタルの「圏外」で、粒子の重い暗い霧にまぎれるように、そこにいる気配を消しながら仕事に明け暮れていた。

 空を見あげれば東京スカイツリーがそびえ立っている下町で、外階段の付いた古びたアパートに独居している男は毎朝、陽がのぼる前、夜が立ち去ろうと、あわてて帰りじたくを始めたころに目覚める。

 畳に、じかに布団を敷いている居間には家具らしきものはひとつもない。

スマホも見あたらない。

 電化製品といえば、拾ってきたもののように薄汚れたラジカセが枕もとにあるのみ。

 近所の早起きの住人が道ばたを竹ぼうきで掃き清める音を聞きながら歯を磨き、地味な作業着に着替えると、朝食もとらず、缶コーヒーをすすりながら、そそくさと出かける。

 

 

 

 掃除道具を詰めこんだミニバンを走らせながら、おもむろに取りだしたカセットテープを旧式のカーステレオに突っこむと、聞こえてくるのは、なにかしらの、いわくありげなオールディーズ。

 アニマルズの「朝日のあたる家」だ。

 声も表情も前世に置き忘れてきてしまったような男は、無言のまま物悲しい歌詞を口ずさんでいる。

 この人物、役所広司が演じるヒラヤマは、清掃員だ。

 仕事場は、「THE TOKYO TOILET」と名づけられた実在のプロジェクトで、高名な建築家やクリエイターが多角的な視点から奇想のデザインを編みだしてリノベーションされた、渋谷区内の17カ所の公共トイレ。

 こんな設定になったのは、プロジェクトの価値を世に知らしめるため、専門の清掃員を主人公にする前提で企画された映画だからだ。

 こみいった思想や隠された偏愛が背景に仕こまれているわけではない。

 

 

 

 

 ヒラヤマの日常は、完璧なルーティンで組み立てられている。

 ひとつひとつのトイレを1日3回掃除するローテーションにしたがって移動し、昼休みはかならず、お気に入りの神社の境内でサンドイッチのランチをとる。

 食べ終わると、いつも持ち歩いている使いこまれたコンパクトフィルムカメラで、木漏れ日の光の戯れを撮影してから腰をあげる。

 仕事が終われば、行きつけの銭湯で汗を流し、浅草地下街にある、なじみの居酒屋で焼酎の水割りを味わう楽しみも欠かせない。

 寝床に横たわると、ねむけをこらえきれなくなるまで、古本屋の100円均一の棚から買い求めた文庫本に読みふける。

 ふたつのストーリーが互いちがいに交錯する、ウイリアム・フォークナーの実験的な二重小説「野生の棕櫚」を読み終えると、次に手にとったのは、あらゆる樹木をいとおしんでやまない幸田文の随筆集「木」だった。

 

 

 

 

 ヒラヤマが生きる世界は、妥協を許さないストイシズムを国是として、かたくなに鎖国している王国のようだった。

 しかし、それはまだ建国の途上で、寡黙な王は、秩序を行きわたらせるために、ぬかりなく気を張りつめているようでもあった。

 オセロの勝負で、見た目は優勢なのに、思惑どおりに急所の角を取れなくて焦りだすプレーヤーさながらに。

 映画では、その王国の国境はやすやすと突破され、訳ありの密入国者がヒラヤマに会いに来る。

 この顛末から、かつてヒラヤマは、デジタルの「圏内」の某所から、はじき出されたか逃げ出したかして元もとの居場所を失い、現在地へ流れ着いた者であることがうかがい知れる。

 彼はしかし、過去の境遇に戻るつもりはなく、なにものにも干渉されない、いまの、しなやかな孤立に安住するほかないのだ。

 孤独を愛そうとしても、たいがい、いつか突き放されてしまうものだが、ヒラヤマは、修行僧のような没入が認められて、孤独からも愛される稀な人となったようだ。

 

 

 

 

 ヴェンダースは約40年前、師とあおぐ小津安二郎の映画の残像を東京で探し求めた、いわば聖地巡礼のドキュメンタリー「東京画」を撮っている。

 そのなかでヴェンダースは、小津映画は、かならず画面の片隅を真実がよぎる一瞬があり、それが冒頭からエンディングまで、途切れることなく連続するのだが、そのような映画はいまや、この世に存在しないと、やるせなく語っていた。

 同時に、小津映画を媒介としたヴェンダーズの東京「画」(=イメージ)も、数年後にバブルに突き進む虚栄のメトロポリスの死角にのみこまれて死に絶えていた。

 ヴェンダースとカメラマンのエド・ラッハマンは、パチンコ店や打ちっぱなしのゴルフ練習場、竹の子族が踊る原宿の歩行者天国、食品サンプルの製造所などを、あてどもなく撮り歩いているが、画面から伝わってくるのは後悔の念。まるで擦りガラスごしに無人の荒野を眺めているような虚無感が押し寄せてくるのだった。

 その過ちを繰りかえさないために、ヴェンダースは、2020年代の東京にヒラヤマのような人物を創造したのだろう。

 笠智衆をよみがえらせる、周到な降霊術の霊媒として。

 画面の片隅に、控え目な流星のように、奥ゆかしい真実の一瞬をよぎらせるために。

 

 

 

 

 

《2023年/日本・ドイツ/監督:ヴィム・ヴェンダース/脚本:ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬/撮影:フランツ・ルスティグ/編集:トニー・フロッシュハマー/美術:桑島十和子/出演:役所広司、田中泯、中村有紗、柄本時生、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、三浦友和、甲本雅裕、あがた森魚、モロ師岡、松金よね子、研ナオコ、犬山イヌコ/第76回カンヌ国際映画祭男優賞》