超人列伝:南方熊楠 第二幕 語学力の謎 | 真の国益を実現するブログ

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「超人列伝:南方熊楠」の二回目です。

南方熊楠の語学力は、どの程度だったのでしょうか?20ヶ国語近く理解したという伝説があります。天才としか言いようがないのですが、本当のところ、どうだったのでしょうか?

やはり、「南方熊楠事典」より、引用してみます。

以下、引用↓↓↓

 それでは実際、熊楠は何ヵ国語くらい理解していたのだろうか。熊楠自身が1912年の高木俊雄宛書簡で述べているところによると、ロンドンに滞在していた頃は「字書とポリグロット本自在なるゆえ、十八、九の語を自在に読み、『ロンドン抜書』に書き抜き足り」とある。辞書を操りながら十八、九の言語をなんとか理解したとするのは、あながち誇張とはいえないだろう。しかし、もちろんこれだけの言語をどれも同じように解せたということはない。得意、不得意、好き嫌いは当然あったはずなので、それについて考えてみたい。

 まず英語であるが、これは完璧に理解でき、表現力もきわめて優れていたことは、おびただしい英文の論考を読めばだれしも認めるところであろう。

(中略)

 また、漢文についても完璧に読めたことは明らかである。書くほうもかなりできたろう。しかし、中国語の会話などはできず、知人の中国人との会話もほとんど英語であったと思われる。

(中略)

 英語以外のヨーロッパの言語では、まずアメリカで習得したと考えられるのはスペイン語である。これは、現地人がスペイン語を話している地域に熊楠がおもむいたことからもわかる。

(中略)

 熊楠の引用するギリシア・ローマの古典著述家はかなりの数にのぼり、とくにギリシアではヘロドトス、パウサニア、アリストテレスなどがあり、ローマではプリニウス、アプレイウスなどが挙げられる。辞書もギリシア語に関しては、古典を読むために不可欠のリデルとスコットの『希英辞典』が蔵書の中にあり、『英希辞典』まで所有していた。しかし、古典作品をどの程度まで原語で読みこなしていたかは疑わしい。というのも、論考などで右記の古典著述家を引用する場合、ボーンズ文庫本をはじめとする英訳本から引いていることを断っているからである。

(中略)

 しかし、ラテン語で著述した近代の博物学者、すなわちゲスナ―、ヨンストン、アルドロヴァンディ、ロンデレティウスといった人たちの著作にはわずかな例外を除けば現代語訳がないので、これらは原文で読んでいたことは確かである。このような著作は、熊楠の代表作のひとつ「燕石考」によつ活用されており、この著述には十三ヶ国語を用いたと熊楠も誇っているように、この「燕石考」の資料蒐集から執筆にかけての時期が、彼の語学力の絶頂期だったともいえるのではないだろうか。

(中略)

 ラテン系の言語にくらべて、当時最重要な学術言語ともいえるドイツ語は、論文を読むために不自由はなかったと思われるものの、どうも肌に合わなかったようである。「ロンドン抜書」の中の著作・論文もドイツ語のものはきわめて少なく、ドイツ語の著作は英訳、仏訳で読んでいることがしばしばある。

(中略)

 ロシア語も一応は学んでいたようである。1918年3月27日の上松翁宛書簡では、ロシア語の『聖書』を買ってくれるよう依頼し、「露語の『聖書』は小生前年学び得たる露語大方忘れおるを練習して置き、何かの節間に合わせたときに御座候」と記している。

(中略)

 ヨーロッパ以外の言語では、アラビア語、ペルシア語、ヘブライ語、それにかなり特殊な言語としてはアルメニア語が挙げられる。(中略)サンスクリットについても、辞書や文法書は所有しており、一応は学んでいたようであるが、大乗仏教を自由に読みこなすほどまで習得していたかどうかは疑問である。

(後略)


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