福田恆存の「私の幸福論」を読んでいます。とても理解しやすく、面白いです。
その中で、「自由と宿命」の両方を知っておく必要がある・・・というのは、なるほどと膝を打ちました。
世の中のマスコミなどでは、「自由」ばかりが強調されています。しかし、「宿命」という概念が無いと、過去の出来事について後悔ばかりするようになるでしょう。
例えば、私個人の話ですが、私はがり勉して大学に入学しました。そのために、青春の一部を犠牲にしたと、過去には思っていました。
しかし、よく考えてみれば、どの親のもとに生まれるか・・・そもそも、どの国に生まれるか・・・それ自体、人間は選べないのです。
私の母には、学歴コンプレックスがありました。そのため、好成績でないと、私は愛を得られないように潜在的に感じていたのです。
ですが、青春の一部を失った代償として、得したこともあるのでしょうし、そもそも個人の「運命」には逆らえないものなのです。
ニーチェも、「自分の運命を愛せよ」というように、「運命愛」という概念を提唱しています。
ある「判断」は、その時の気分・精神状態、経済状態、自分が所属する共同体など、様々なことに左右されて、行われます。転職先だって、自分の自由意思だけでなく、家族(妻)の意見などもあるでしょう。
そういった・・・様々な「背景(コンテクスト)」に埋め込まれた状態で、個人と個人の意志決定があるのです。
また、自由には「責任」が伴います。自由の国、アメリカでは、ドラッグや拳銃、フリーセックスなどの問題があります。拳銃を持っても良いが、そのかわりに、無闇に撃たない自制心や、安全に管理する「義務」が発生するのです。
大東亜戦争の真珠湾攻撃について、「戦略上は」失敗だった・・・という記事を書きました。
これは、リアリズム(国家の存亡)を研究する上では意義があると思います。しかし、宿命論からは間違っていると思います。
あの当時は、「あの決断」しかできなかったのだと、思うのです。
自由と宿命、リアリズムと宿命。両方の考え方を身につけておきたいと思います。
本当は、「私の幸福論」の引用をしたかったのですが、時間が無いので別の機会にします。