“参考までに筆者の家族の例を挙げておこう。師の間部氏のお世話になり始めて間もないころ、母の霊査を終えてから先生が、長男になるはずだった水子(流産した子の霊)がいて名前をつけてほしがっている、とおっしゃる。母はまったく身に覚えのないことだったので、自分には流産した子はいませんと言い張ったが、先生は「結婚して間もなく男の子が宿ってすぐに下りています。間違いありません」とおっしゃる。母は、いったん家に帰って思い出をたどって行くうちに、結婚後間もなく「あらっ」と思うような下りものが、ホンのわずかだけど、あったことを思い出した。
翌日母があらためて先生とお会いしてそのことを告げたところ「それですよ」とおっしゃって、我々でつけた《文夫》という名を短冊に筆で書いてくださり、それを仏壇か神棚に飾り三日間お水を上げるようにと告げられた。その通りにすると筆者の兄弟の一人に出ていた霊障がいつの間にか消えていた。”
“こうした事実は流産や死産した子の霊、いわゆる水子も、地上界に無事出産した子と同じように、霊界で少しずつ成長しながら地上の家族のつもりで一緒の生活を送っていることを示唆している。だからこそ他の家族と同じようにしてもらいたがるのである。
すべての子がそうだとは限らない。スピリチュアリズムの常識として、霊界にも育児を担当する者がいて、流産や死産、あるいは事故や病気で早世した子供の面倒を見てくれることになっている。大半はそれで済んでいるのである……”
(近藤千雄「日本人の心のふるさと《かんながら》と近代の霊魂学《スピリチュアリズム》」(コスモス・ライブラリー)より)
*近藤千雄先生が師事された間部詮敦(まなべあきあつ)先生は、かつて日本心霊科学協会の霊能者として活躍された方で、かなり高い霊能を持っておられたことで知られています。同じく日本心霊科学協会の霊能者であった吉田綾先生の水子供養のやり方は、一週間水をあげ、協会の祓詞を唱える、というもので少々異なっていますが、「名前をつける」ということと「神仏に祈る」という二点は共通しています。どうやら水子の霊というものは、親に名前をつけてもらいたがっているようです。なお、お供えした水は、庭の植木あるいは植木鉢の木にかけるようにし、名前を書いた短冊は、間部先生は、最後は樹木の根元などの清浄な場所で焼くか、ないしは川に流すようにと言われています。
*間部先生は、名前の書かれた短冊を仏壇か神棚にあげるようにと言われていますが、大本では、大神様と祖霊様とでは、お社は必ず別にしますし(大きさも違います)、水子霊の短冊を天照皇大神宮様のお札などと一緒にするのは、神様に対してご無礼ではないかとも思いますので、少なくとも神様のお札とは離して置くべきだと思います(仏壇でも、位牌はご本尊よりも下の段です)。また、大本祭式では、流産児・死産児の霊爾には、名前の下に敬称として、性別が不明であれば「児(じ)」、男なら「稚子(ちご)」女なら「稚女(わかつめ)」がつけられ、各家庭の先祖の神霊とともに祖霊社に鎮めます。「流産・死産児慰霊祭祝詞」など、流産児・死産児の葬祭や慰霊のための祝詞もあります。
*この本「日本人の心のふるさと《かんながら》と近代の霊魂学《スピリチュアリズム》」は、これまでスピリチュアリズムについての数々の良書を世に送り出された近藤千雄氏の最後の著作で、まさに近藤氏が生涯を掛けて学ばれたスピリチュアリズムの集大成ともいうべき、とても内容の濃い本です。日本神道の霊性や言霊、シルバーバーチやスピリチュアル・ヒーリング、小桜姫や長南年恵さんのこと、さらには「龍神が天狗を懲らしめる話」など、ちょっと変わった面白い話も載っています。残念ながら、出口王仁三郎聖師については浅野和三郎氏が言われたことを鵜呑みにされ誤解されていたようですが、それでも単なる心霊や幽霊の話ではなく、各自が霊性を高めるために必要な知識が数多く載せられております。ぜひご購入されてじっくりと読まれることをお勧めします。
・般若心経の功徳 (先祖供養と水子供養で子供の「ひきこもり」が治った話)
“……あとで妻から聞きましたが、岡本君のお母さんは、早速たずねて来て、いろいろなことを打ち明けて言ったそうです。
「私の今いる家は主人お父が新築して住んでいたが、その義父が、どうしたことか縊死しました。また私はすまないことだが、妊娠しても、主人とのことで悩みが多く、十人近くも流産しました」ということでした。妻は先ずその変死した人の霊を供養して成仏してもらうこと、水子の霊にもお茶やお水をあげて、ほんとうは一人一人に名前をつけて、般若心経を朝晩あげることをすすめたそうです。
その後私も岡本君の母親に会って、妻の教えたのと同じ様なことを言って心経の功徳を説き、真剣にお経をあげてくださいと頼みました。母親の話によると、「茂君は姉が一人いるが、男としては一人息子、父は会社の相当な役の人だが、本人は大きな身体をして、毎日家にいて、部屋を暗くしてじっととじこもり、人とはめったに会わない。勉強はしているようだが、果たしてどの程度か分からない。ただ一つよいのは犬や鳥を大変可愛がる。しかし、ノイローゼみたいで、親としては先が心配でたまらない。いっそ精神病院に入れようかと思っている」と言っていました。私はたしなめて、「お母さん、そんなことを考えてはいけませんよ。子供が死なずにいることだけでもよいことではありませんか。精神病院に入れたら、一生廃人にならぬともかぎりませんよ。ご先祖と、水子の霊に心経をあげてください、そしたら霊界の人たちも救われて、茂君もきっとよくなりますよ」とはげましました。
本人も大学進学の意志は充分あり、両親もそのことを切に願っているのです。その後母親は真剣に心経読誦をつづけ、約三ヵ月ほどしたら、大体皆さん成仏されたなあと感じました。”
“……翌日の夕方、岡本の母から電話があり、茂がM大学に通りましたと言ってきました。早速行ってみたら、いろいろ受けた大学の中で、本人の最も希望していた大学で、しかも望んでいた学科だった由です。しかし本人は嘘かも知れないとまだ不安で、直接上京してたしかめ、本当に合格だったら、入学の手続きをすまして来ると、東京へ行く準備をしていました。
私は廃人にもなりかねない一人の人間を救った気がしました。感謝の気持を、私のご先祖に報告し、岡本家のご先祖にもお礼を述べました。般若心経の功徳は、昔も今も変わらぬ霊力があるものだと、つくづく思い、縁ある人々にすすめています。
岡本君はその後環境のよい下宿も見つかり、あれほどの人間嫌いが、明るくなって、アルバイトなどもして、来年卒業の予定です。”
(「心霊研究」1983年5月号 中村健一『般若心経の功徳』より)
*私の知人に、高野山に参拝して奥の院の水かけ地蔵で先祖供養を依頼するときに(確か卒塔婆一枚(一体)が300円か500円)、併せて水子の供養もしているという者がおります。卒塔婆に先祖だけでなく水子の名前も書いて貰い、それらを持って橋を渡ってお堂の裏の弘法大師の御廟の前で般若心経を唱えて先祖や水子の霊の救いをお願いしてから、再び戻って水かけ地蔵に納めて、地蔵菩薩のご真言を唱えながら水を掛ける、というやり方ですが、水かけ地蔵に納められた卒塔婆はすべて、翌朝に、奥の院の僧侶達によって供養されてから、お炊き上げされるのだそうです。流産児や死産児の霊は、まずは実の親が心を込めて供養すべきであるのは言うまでもありませんが、やはり、救いの力を持っておられるのは神仏のみですので、このように神仏に祈り、導いていただく必要があります。写経や地蔵流しなどもよいと思いますし、霊能者であった間部先生も、霊魂の依り代となる短冊(縦10センチ、横3センチくらい)は二枚書かれ、一枚は本人やその家族に渡し、もう一枚は先生ご自身が自宅に持ち帰られて、その霊を呼び出して背後霊団の力を借りつつ供養しておられたのでした。神仏の力を借りることなくして、ただの人間が自力で供養などできるものではありません。
*出口王仁三郎聖師は、スウェーデンボルグと同じく、嬰児、幼児の霊魂は無条件に救済されて天国の天人となると言われています。もしそうであれば、流産児はすべて天国に昇っていて供養の必要などないはずなのですが、どういうわけか、過去の「おほもと」誌には、出口聖師が『流産した子供の霊も、ちゃんと現界で祀ってやらねばならぬ』と言われたという話が載っております。矛盾するようですが、たとえば聖人君子のような天国行き間違いなしのような方が亡くなられたときも葬式や供養は行なわれますし、たとえ流産児であろうとも家族の一員であるからには、ちゃんと供養をしてあげるのは当然かもしれません。また、出口聖師によると、『供養の対象となる者が既に救われて天国に昇っていたとしても、あるいは現界に生まれ変わっていてもはや霊界にいなかったとしても、その供養はちゃんと天国や現界にいるその相手のもとに届くし、彼らの歓喜と幸福は子孫にも伝わる』(参考:「霊界物語」第58巻『礼祭』)ということですので、供養は功徳にこそなれ、絶対に無駄にはなりません。
・エマヌエル・スウェーデンボルグ
“主の神性のために、すなわち主と父〔なる神〕とは一つであるがゆえに神はひとりであるという真理のために戦い、また、信仰の生命のために、すなわち仁愛と呼ばれる生命のために戦った者たちは、すべて「ミカエル」と呼ばれている。これに反して、主の神性を承認しない者たちはみな、霊的なことがらを、すなわち天界に属することがらを、心の底で無視してしまう。彼らは神について語る。しかし彼らは意に介さない。彼らは、悪霊の意見であっても、どんな意見にもなびいてしまう。しかも大方は最初の試練でそのようになびいてしまう。「ミカエル」であった者たちは、おもに古代人の諸天界から来ており、彼らはみな確固とした信仰をもち続けた。また「ミカエル」であった者たちは、古代人の諸天界にいた異教徒や、いたるところにいた幼児たち――このときは成人だった――から構成されていた。”
(エマヌエル・スウェーデンボルグ「霊界日記」(角川文庫ソフィア)より)
“スウェーデンボルグはまた、子供の死がどんなに心に傷を、特に後に残された者の心に傷を残すものであっても、死んでしまった子供にはその傷がいつまでも残ることはない、と確証しています。霊界にいる子供はただ前方だけを見て、後ろを見ません。その子供にとって、失ったように思われる未来は、その価値が高まります。神は、天界にやって来た子供達が、たとえまだいろいろな記憶を持っているにしても、家族や慣れ親しんだ環境を失ったことで悲しんだり恐れを感じたりすることのないよう配慮されます。
子供達は、その時が来れば、自分の家族たちに再び会える、みんなで喜び合える、と知っています。そして天界には、私たちの習性となっている時間と空間の制限はないので、首を長くして待つといった感覚はありません。子供はただ現在を生き、過去も未来も意識しません。新しい天界の生活に自分を適応させることだけを切望し、これに熱中し、これが関心のすべてです。しかもその新しい生活には、子供を没頭させ満足させるものがたくさんあります。
そこでの生活では、この世をどれほど悲劇的に終わったとしても、ただちに明るい幸せな世界がくり広げられます。私たちは、「なぜ?この小さな子がなぜ?神よ、どうして私に?」との疑問に悩みます。子供達は素早く天界の愛と幸福をつかみ取るので、このようなことを思いわずらうひまはありません。
スウェーデンボルグはその著作で、大人と同様、なぜ子供がこの世の生命を終えて、霊的ないろいろな発達段階の中で目覚めるのか、このことについて深い洞察を展開しています。私たちはしばしば、「まだ死ぬには早かった」と言います。しかし、その死の時は、神の摂理にあって、つねに正しいのです。人がこの世で他人のために何かをするというその人の成長にとって、また来世で他人のために何かができるというその人の霊的成長のために、その時は正しいのです。
もちろん、私たちはどうしてその時が正しいのか分らないでしょう。それで悲しみ、疑問に思うのです。神だけが、私たちにとって、この世で、さらに引き続き来世で、最もよいことが何であるかをご存知です。これは、神が子供の死を望まれたり、引き起こされたりすることを意味するのではありません。(「この小さい者の一人が滅びることは、天界のあなたがたの父のみこころではありません」(マタイ伝 18:14))。けれども神は、ご自分の望まないことが起こることも許されます。私たちの自由、私たち一人一人の潜在的な霊的可能性のためにです。
主だけが、子供にしろ大人にしろ、この世を離れて霊界に行くのにちょうどよい時とその理由をご存知です。無知である間は疑問に思い、疑うかもしれませんが、主だけが、この世で「否定的なもの」をご自分の霊の御国で究極的に「肯定的なもの」へ変えることができます。
スウェーデンボルグは、私たちの直接の行動や人格の影響を通じて、私たちはお互いに何ができるかという、そうした「時」を決定するのは私たちである、と述べています。けれども、私たちの役立ちは私たちの自覚を超えたものです。それで、「不慮の死」というものが、もしかしたらちょうどよい「時」かもしれないと知るのは難しいことなのです。”
(ブルース・ヘンダーソン「スウェーデンボルグの死後世界」たま出版より)
“幼児の周りには天使がいつもいて保護しており、幼児の時に死ぬことがあっても、一人残らず天界に入る。”
“敬虔な両親から生まれようが、不信心な両親から生まれようが、洗礼を受けようが受けまいが、子供はすべて天界に入って天使になる。”
(高橋和夫「スウェーデンボルグの「天界と地獄」」PHP研究所より)