妊娠中絶について | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 「天は不食の民はつくらぬ」 (「出口王仁三郎聖師座談会集」より)

 

 “神様は一人ひとりに「ふち」をくださるのですから、一人産んでも十人産んでも同じことです。十人産めば十人分のふちをくださるのが神様です。妊娠するというのは神様から子どもを授かるのですから、どんどん産んだらよいと思います。”

 

     (「おほもと」昭和52年8月号 毛塚ヤス『人工妊娠中絶はおやめなさい』より)

 

 

・メジュゴリエの聖母マリア (幻視者の一人、ミリアーナとの質疑応答)

 “ある日、群衆の中の一人の男が尋ねた。

 「ミリアーナ、子どもたちをもつことを拒否する若い既婚の女性に対して、あなたは何と言うのですか?」

 「赤ちゃんをもつことは地上で最も美しいことです!」

 ミリアーナは直ちに答えた。その言葉に拍手の波が起こった。

 その男は満足したようだった。彼は正しく、今や彼はその証拠も得たことをその若い女性に知らせたであろう。それでも、彼はそれ以上の答えを求めた。

 「もしこの女性が未来が非常に暗く、またそのような世界の中へ子どもたちをもたらすことは危険であるからと怯えたとしたらどうですか?」

 「彼女が恐れる理由はありません。彼女はその子どもたちを神とマリアに委ねるべきです。ゴスパ(注:「貴婦人」を意味。聖母マリアのこと)は、私たちが自分の子どもの幸福を決定するのではないと言っておられます。『神を自分の父として、私を自分の母として、そして教会を自分の家として受け入れる人々は恐れる理由がありません』と聖母はおっしゃっています。

 「しかし、このごろでは、多くの両親が子どもを持つことを恐れている……」

 「ゴスパは言っておられます。『子どもを持つことを恐れてはいけません。むしろ、子どもを持たないことを恐れなさい!あなたたちは子どもを多くもてばもつほど良いのです。』」

 

 巡礼者たちは互いにぶつぶつ言い始めた。彼らは聖母からそのような強い言葉を予期していなかったし、それは今日の社会において言われていることとは正反対であった。

 「しかし、ミリアーナ、秘密についてはどうなのですか?私たちはそれらのうちのあるものは困難を告知しているということを知っています。」

 「秘密を恐れてはいけません。あなたの子どもたちをゴスパに委ねなさい。そうすれば、あなたたちは秘密によって恐れることは何もありません。私がすでに二人の子どもを持ち、もっとたくさん持ちたいと希望しているのを、あなたはなぜだと思いますか?」

 彼女の議論と証しは夜の閃光のように輝いた。それはこの千年期の終わりに書店に侵入したあらゆる「最後の審判の日」に関する本よりも強い、反駁できないものだった。

 

 グループがくぼみや岩でいっぱいの小さな道を通って去って行く間に、私は子どもたちに関して、もう少し詳しいことをミリアーナに尋ねた。

 「あなたが今言ったことは西欧世界にとっては爆弾のようなものだわ。それは強力な権威筋が長い間私たちに押し付け、メディアによって毎日私たちの意識の中へ叩き込んできたすべての考え、つまり、子どもは家族を弱らせる重荷である、という考えに反するでしょう。」

 「聖母の声は人間が墓を掘る声を超えて聞かなければならないのよ。」

 「明日来て!」

 

 翌日、彼女の居間に座っている間に私は会話のノートをとった。ミリアーナは彼女自身の意見をゴスパが彼女に委託したものと決して混同しない。彼女は一言一言、彼女が前日に行ったことを私に繰り返した。

 「ミリアーナ、ゴスパは結婚するようにあなたにお求めになったの?」

 「いいえ、私は決定を下す自由をもっていたわ。私の心の中の神のご意志に耳を傾けるように教えられたのよ。聖母はいつも、『祈りなさい。そうすればあなたは何をすべきかを、心の中で知るでしょう。』と言われる。でも、私は心の中に修道女になる望みを感じたことはない。マルコと私は子どもの頃から知り合いで、級友だったの。ゴスパは、私には結婚以外の他の道を示されなかったわ。」

 「ミリアーナ、六人の幻視者のうちの五人が結婚しているわね。これは今の時代に聖母が家庭の方を好まれている一つのしるしだと思う?」

 「いいえ、決してそうではないわ。ゴスパは両方の使命が教会の内部には必要である、司祭や修道者たちが家庭なしには生きることができないように、家庭は司祭たち(そして修道者たち)がいないと生きることができないと言っておられる。幻視者たちは模倣されるべき模範ではないわ。」

 「昨日、あなたは聖母からのとても強い主張を伝えたわね。例えば、『子どもをもつことを恐れてはいけません。むしろ、子どもをもたないことを恐れなさい!子どもたちを多くもてばもつほど良いのです』と。」

 「ええ、聖母はそうおっしゃったわ。そして聖母はなぜそう言われたか、その理由をご存じだわ。私も知っているわ。でもこれ以上はあなたに言うことはできない……。」

 「おお、あなたは知っているのね!」

 ミリアーナはうなずいた。そして強い信仰告白の確信をもってほほえみながら付け加えた。

 「秘密が明らかにされるとき、人々はなぜ多くの子どもをもつことが重要なのか、その理由を理解するわ。私たちは皆、マリアの汚れなき御心の勝利を待っているのよ!」

 私の心は喜びで弾んだ。なぜなら、私はその理由を知らないけれども、ミリアーナはファチマをメジュゴリエに結びつける神秘的な関係を確証したからである。私は彼女を見た。そしてミリアーナがこの世で彼女の目でこの勝利を見るであろうと確信した。おそらく、彼女もまた、その勝利がどのように来るのかを知ったのだ。

 「もし私が、あなたがたった今言ったことを正しく理解しているとすれば、何かとても美しいことが、ゴスパが望んでおられる小さな子どもたちに起こるのでしょう?」

 「あなたが自分自身について話していなければいいのだけれど。聖母はこれを結婚したカップルのために言われたのよ!」

 それは私たちの会話が終りに来たということ、そして彼女はもう付け加えることは何もないということを私に知らせる彼女なりの上手でユーモラスな仕方であった。彼女は子どもたちの食事の準備をしなければならない。私は、また会うときを楽しみにして彼女のもとを去った。”

 

     (シスター・エマヌエル「メジュゴリエの証言者たち」ドン・ボスコ社より)

 

 

・金光大神の教え 〔金光教〕

 「どうしてもやむを得ぬ場合は、神様に胎児を引き取ってもらう(流産する)よう願ってもよい」

 

 “金光大神は、封建時代以来の男尊女卑の社会通念をはっきり否定し、女性を尊重すべきことを教えた。「女は神に近い。信心は女からじゃ」(『理解』七八九)「……これ迄は『男でなければ家が立たぬ』と云えども、これからは女、家を持つ事を、金神が教えてやるぞ……」(『理解』一七六)という金光大神の開明的な女性観は、階級の差別に加えて性による差別の重荷を背負わされ、家のため子を産む道具と見做されていた当時の農工商民の女性たちから、感動を込めて迎えられたであろうことは想像に難くない。”

 

 “金光大神が説くおかげは、旧来の観念にとらわれず、現に生きている人間が助かり幸せになることを第一義としていた。この姿勢は、夫のいない女性に対する、「子供ができたら、娘や寡婦(ごけ)は月流しを願えい。亭主があっては、そういうわけには行かぬぞ」(『理解』六三)という教えにも余すところなく示されていた。このことばは、もとより放縦を肯定したものではなく、出産がその女性を不幸に陥れることのないように、という意味であった。

 金光大神にとっては、人間が神からおかげを受け、難儀を助けられることは、神が願ってやまないことであり、このうえない神の喜びなのであった。”

 

        
         (村上重良「金光大神の生涯」講談社より)