仏壇は家の精神的中心  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 “日本の家庭を崩壊しないで、くい止めることができる方法は、普通の私ども信者の家にあります仏壇が、日本の家庭を支える最後の砦になるだろうと私は思っています。

 普通の外国の家ですと、食事をして寝泊まりするだけのようなところです。ところが、日本は違います。仏壇によって、その家の者が、一つのある精神的な中心をもつことができるのです。これは、世界でも日本だけだろうと思うのです。

 

 これは大阪大学教授・文学博士・加地伸行先生が、平成六年度高野山安吾会(あんごえ)で講義されたお話「儒教の死生観と儒葬」の中の一節の要約である。(第三十回高野山安吾会講義録・109・110・141頁参照)

 先生は『儒教とは何か』(中公新書刊)、『沈黙の宗教――儒教』(筑摩書房刊)などを出版されている。

 仏教の檀信徒の家には、必ずお仏壇を祀っている。ご先祖さまに日々にお供えをして、その成仏をお祈りし、子孫のご加護をお願いする、神聖な場所である。南向きか東向き、東南向きがよいといわれている。

 仏壇中央上段にご本尊様、あるいはお大師様のご尊像か掛け軸を祀り、お位牌を中段(場所がない時は上段)の向かって右を上座として、古いご先祖さまから順に並べてお祀りする。古いお位牌で一杯になった時は、一方法として、五十回忌以上の方の戒名を過去帳に書き写ししたうえで、檀那寺でおたき上げをしていただいて整理する(過去帳には、おたき上げしない五十回忌未満の新しい方も、書き記しておくとよい)。

 灯明、お花、お線香を供え、ご命日法事の折りにはお霊倶膳(おりょうぐぜん)をしつらえて、お供えする。丁寧には二膳つくって、一つはご本尊様(お精進供という)、一つはご先祖様の分とする。朝晩にはおリンを鳴らして、お経、真言、ご詠歌などを適宜に唱えて、ご法楽をささげる。

 このお仏壇は――家族の間の心を結ぶ一つの精神的な中心となって、夫婦親子の家族の崩壊を防いでくれる最後の砦となってくれる――と先生はいわれている。ご先祖様と子孫の者との霊的なつながりを証するものが、お仏壇である。

 故山川清之助先生は――子孫の者がご先祖様を拝むことによって、ご先祖様の偉い方が、さらに上の方の霊格の高い方に、子孫のお引き立てをお願いして下さって、そこで、子孫の者が本当に立派に活躍できて大をなすことができる――といわれている。(拙書『人は死んでも生きている』34頁参照。高野山出版社刊)

 ご先祖様は、あの世で本当に生きていて下さって、子孫の者をご加護して下さっている――これが私の信じて疑わない『信念』である。

 大分と前のことになるが、某テレビ番組で「成功した百人の社長さんの話」が放映された。その締めくくりにインタビュー(面会)した記者が、「この百人の社長さんに共通していたことは、皆さんご先祖様を大切にして、朝か晩には、ご先祖様に必ず手を合わせておられることでした」といったと聞いている。”

 

(佐伯泉澄「幸福に暮らす道しるべ」(高野山出版社)より)

 

*先祖を供養することが開運につながるという話は良く聞きますが、実際にそのとおりです。神仏の導きのもと、祖霊様の霊格が上がって、天国で歓喜の状態におられるのであれば、かならず子孫にも感応があります。神床(神棚)や仏壇はそれぞれの家庭の精神的な中心であるだけでなく、霊的な中枢でもあり、何よりも大切な場所です。

 

*キリスト教では、死者の霊は「祈り」や「教会でのミサ」によって天国に救われると考えられているようで、各家庭に御先祖様の『位牌』や『霊璽』に相当するものはなく、供物を捧げるようなこともありません。しかし出口王仁三郎聖師によると、外国と異なり、日本は「顕祭の国」であるため「祈り」だけでは不充分であり、必ず「型」としての祭典を行うようにせねばなりません。仏壇や祖霊舎は、祖霊様が供養を受けるために来臨する、現界に設けられた場であって、絶対に必要なものです。

 

 

・江戸時代の霊界通信「幽顕問答」より 

 

“吉富氏 「彼岸盆会には世俗みな霊を祀る慣習なるが、かかる折には霊魂は実際に来臨するものか。」

霊 「彼岸盆会は世俗おしなべて霊を祭る時と定めてあれば、霊界にても祀りを受くべき時と直感し、また死せる人も盆会には必ず来るものと思い込みて死せるが故に、必ず現れ来たるなり。……」
 


霊 「地上にて幾百年も引き続きて行い来たれる祭り事は幽界にてもだいたいそのごとく定まれるものなり。されば勝手に月日を改め、そのことを霊魂に告げずして執行すれば、それがために却って凶事を招くこともあり。
 なぜというに、霊がいつもの期日を思い出し祭りを受けに来るに、すでに済みたるを知り不快に思うが故なり。
 地上にて同時に数カ所にて祭祀を行う時には、霊は数個に分かれてそれぞれの祭場に到り、祭りを受くるものなり。たとえ百カ所にて祭るとも、霊は百個に分かれて百カ所に到るべし。もっとも余のごとき者の霊は一つに凝り固まりて、その自由は得がたし。」

宮崎氏 「年号月日はいかにして霊界に知れるぞ」

霊 「先に述べたるごとく人間界のことは人の耳目を借らざれば正確には知り難し。われ先月より市次郎の耳目を借りて見るに、あの通り帳面三つ掛けありて、ともに天保十年正月と記せるを見れば、いずれも同時に調整され、今年が天保十年になること明らかなり。また月日を知るは、七月四日が余の忌日(命日)にて、その日は霊界にありてもよく知らるるなり。これはひとり余にかぎらず、他の霊魂もみなその忌日は知りおるものぞ

         (近藤千雄編「古武士霊は語る 実録 幽顕問答」潮文社より)

 

・「窈子(ようこ)さんの霊界探検」(昭和35年 大本宣教部編)
 

 “……この本の主人公、窈子さん(大本三丹主会の元支部長N氏の二女で、当時10歳)も、昭和11年2月28日の深夜から、翌3月1日の未明にかけて、大本聖師の出口王仁三郎に伴われて夢で霊界に入り、あの世の親族の家を訪問した。目覚めた後、その様子を父に語り、父のN氏が、後年、記録としてまとめたのが本書である。
 夢の中で窈子さんは、王仁三郎と一緒に三途の川を渡った。川には膿のような泥水が流れており、大きな蛇が口をあけて群がっていた。王仁三郎が、「ばばアはおるかい」というと、頭に二本の角を生やしたシワくちゃの老婆が小屋から出てきた。しわがれ声で「着物を脱げ」と迫ってきたが、王仁三郎が「脱がせるなら脱がしてみい」とタンカを切り、「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」と唱えると、二人ともパッと向こう岸へ渡ってしまった。
 それから二人は、地獄の八街(やちまた)の関所で閻魔大王に会い、地獄の責め苦を見回り、薄暗い中有界を通って、天国(神界)に入った。天国は第一天国、第二天国、第三天国に分かれており、窈子さんはそれらの世界を順に見て歩いたが、先祖の家は第一天国にあった。その様子を窈子さんは、こう語っている。
 「玄関で聖師さんが『ごめん』といわれたら出て来んさったのが、Tおばさんだった。『マアとしちゃんか』『いいえ窈子です』と答えた」
 何気ない会話のようだが、父のN氏によれば、窈子さんは「Tおばさん」を知らないという。彼女はN氏の先妻であり、彼女が窈子さんと間違えた「としちゃん」は、窈子さんが2歳のときに亡くなったTさんの長女だというのである。
 また、窈子さんは、自分が生まれるはるか以前に亡くなっている三代前の先祖(父親の祖父)にも会い、その顔つきや仕種(しぐさ)の癖、好みなどを詳しく語っているが、まさに故人に行き写しだったと、N氏は驚嘆している。不思議な話ではないか。
 その後、窈子さんは、86歳で亡くなったおじいちゃんや、17歳で亡くなったN氏の弟らと会い、さまざまな霊界体験を積み重ねる。
 彼女の体験では、あの世でも親族は集まって暮らしており、現世の側(がわ)から飲食物をお供えしたり、祝詞をあげたりすると、それがそのままあの世まで伝わって「結構な」暮らしができるそうだ。
 窈子さんの霊界滞在は長期にわたり、N氏の弟から羽衣(はごろも)をつけて空中で舞う舞を習ったり、霊界の王仁三郎に歌を習ったり、天国の小学校に通ったり、町で買い物をしたり、祭りを見物したりした。その世界は、おおむね地上と変わりはないが、欲しいものが、何でもパッと出てくるところが大いに違っている。ものがパッと出てくるときは、チリンチリンというよい音がするという。
 子供の語ることなので童話的な語り口になっているが、幼いころの窈子さんに、特異な能力があったことは確からしい。彼女は昭和10年の第二次大本事件が起こる以前にも、大本但州別院が警察によって破壊される状況を夢で予知し、父親らに語っていたというし、父の拘留も夢で予知していたという。また“幽体離脱”もあったようで、N氏によると、「いま体が上にあがりかけて、怖くて目が覚めた」などと、何度も父親に語っていたという。(原本では登場人物はすべて実名だが、窈子さんサイドの希望により匿名にしたことをお断りしておく)”

      (「ブックス・エソテリカ第25号 幽霊の本」(学研)より)

 

・人智学にもとづく死者への対応  〔ルドルフ・シュタイナー〕
 

 “「心魂の浄化の過程にある死者に対して、わたしたちはなにをすべきなのかな」
 「その死者と過ごした楽しい日々のことをおもいだすことだね
 「思い出すって、自分がその人のことを懐かしんでいるだけじゃないの」
 「ううん。ぼくたちが思い出している懐かしい情景のイメージがね、死者にも見えるんだって」
 「へえ、わたしたちが思い浮かべるイメージは、死者にも見えるんだ」
 「そう。しかも、死者は単にそのイメージを見るだけじゃなくて、そのイメージが天上界と地上のあいだの窓みたいになるらしいんだよ。そのイメージという窓をとおして、死者は地上の今の様子を見ることができるっていうんだ」
 「ふうん」
 「それから、死者のために霊的な書物を読んであげるのも、とてもいいことだ。とくに、生きているあいだ、死後の世界のことなんて知りたくもないと思っていた死者は、死んだあと、自分がいまどんな状況にいるのかさっぱりわからなくて、右往左往という状態だ。見知らぬ情景が目の前に広がっていて、どうしていいのか見当がつかない。
 そんなとき、ぼくたちが天界のことを語っている聖典などを読んであげると、死者はおおいに助かって、いま自分がいる世界のことがだんだんわかりはじめる。
 ぼくたちも、ある朝目覚めたら、まったく見知らぬ土地にいたなんてことがあったら、途方に暮れてしまうだろう。そんなとき、その土地の事情を説明してくれる人がいたら、とても助かるはずだ。
 聖典を読むときに注意しておくべきなのは、棒読みするのではなく、自分も理解しながら読んでいくということだ。死者といっしょに読んでいる。あるいは、死者がすぐそばにいて聞いているという感覚を持って読むといい。」”

         (西川隆範「見えないものを感じる力」河出書房新社より)

 

 

 “人間が死の門を通っていくときには、それまで秘せられていたすべての魂の力や憧れも表に現われて、死者となったその人の魂に影響を及ぼします。その人が生前、心中ひそかに抑えていた願いのすべてが浄化期(カマロカ)を生きる魂の中に現れます。この世で霊学の敵であった人たちも死の門を通った後では、霊学をこの上なく熱心に求めようとします。霊学嫌いな人が死後になると、霊学を求めるようになるのです。

 そうすると、次のようなことが生じます。……もしその人に生前、霊学書を手渡そうとしたら、叱りつけられたことでしょう。けれども、死者となったその人に対しては、霊的に深い内容を持った書籍、聖書やお経を読んであげること以上によい供養はないのです。生前の死者の姿を生きいきと心に思い浮かべながら、心の中で、または低い声で、死者たちに読んで聞かせるのです。そうすれば、それが死者に対してもっとも好ましい働きかけになります。そのような例を私たちは人智学運動の内部で数多く経験してきました。家族の誰かが世を去り、後に残された者が、その死者に対して朗読して励ました例をです。そうすると死者たちは提供されたものを深い感謝とともに受け取ります。そしてすばらしい共同生活を生じさせることができるのです。

 まさにこのことにおいてこそ、霊学が実際生活の中でどんな意味を持ち得るのかがわかります。霊学は単なる理論なのではなく、人生に働きかけて、生者と死者の間の壁を取り除くのです。断絶に橋が架けられるのです。死者たちには読んで聞かせてあげること以上によい助言はありません。

 そこで次のような問いが生じます。……一体死者は、霊界で教え諭してくれるような霊的存在を見出すことができないのでしょうか?ええ、見出すことはできないのです。死者は、生前結びつきのあった霊的存在たちとしか関係が持てません。死者がこの世で知ることのなかった神霊や死者たちに出会っても、死者はその存在を素通りしてしまうのです。どんなに役に立ってくれそうな存在に出会っても、生前関係がなかったのでしたら何の役にも立ってくれないのです。(1913年1月21日、ウィーンでの講演)” 

 

(「シュタイナーの死者の書」(ちくま学芸文庫)より)

 

 

 “カレッジが始まって数週間経ったある日、クラスメートの一人とお昼を一緒にとりながら、リチャード(注:著者の自殺した息子)のことを打ち明けた。すると同情に満ちたクラスメートの瞳が、ある思いで輝いた。

 「亡くなった人に本を読んであげることが供養になるって、ルドルフ・シュタイナーが言ったこと知ってる?」

 「えっ、本当?詳しく教えてくれる?」

 私は興奮して大きな声を出していた。

 「キリスト者共同体(注:1922年に欧州で始まったキリスト教運動、その設立にシュタイナーが関わっていた)の、ルイス司祭に電話するといいわ。詳しく話してくださると思う」

 彼女は、司祭の電話番号を教えてくれた。彼女にお礼を言うと、食堂の公衆電話へと急いだ。サクラメントに引っ越してきてすぐ、私は一度だけキリスト者共同体の礼拝に出席したことがあった。電話番号をダイヤルしながら、私の心ははやった。読書がリチャードのためになるという気が、確かにしていた。

 電話口に出たのは、ルイス氏本人だった。私が用件を告げると司祭は、本を読むことは確実に、亡くなった人の供養になるのだと語り、シュタイナーの本から何カ所か、死者のための読書を勧めている部分を教えてくれた。

 「亡くなった人のために本を読むことは、たいへんな供養になります。死後(注:カマロカ、生前を逆時系列で振り返るために霊魂が滞在する世界のことで、生存期間の約三分の一に相当する期間をそこで過ごすとされる)、最初に体験することを乗り切る時、死者の魂は精神的な糧に飢えています。彼らのために本を読むということは、とても良い栄養を与えることになるのです」

 「何を読めばいいでしょうか?」

 「精神的な成長を促すものであれば、何でも構いません。たとえば、聖書、特にヨハネによる福音書(13章から17章まで)、詩、瞑想のための詩、スピリチュアルな歌など。もちろん、ルドルフ・シュタイナーの本はどれも最適です。息子さんはどんなことに興味を持たれていましたか?」”

 

 “それから数ヵ月後の1988年10月、私は「悪」に関する研究会に出席していた。講演で、当時アメリカの人智学協会の書記長をしていたワーナー・グレン氏が、「自殺者に本を読み、交信することで関わっていかねばならない」と語った。自殺者の霊は、深い絶望の中で孤立しているだけでなく、彼らに残された生命力は、「悪魔的な存在」によって、人間の進化を破壊的な方向へ向けるのに利用される可能性があるということだった。だが、もし私達が自殺者に助けの手を差し伸べるのであれば、彼らの残りの生命力は、大きな善行に活かせるのだという。”

 

(ドレ・デヴェレル「闇に光を見出して わが子の自殺と癒しのプロセス」(イザラ書房)より)

 

*出口王仁三郎聖師の「霊の礎(たまのいしずえ)」は、霊界にいる死者の霊に読み聞かせる本として、最もふさわしい本だと思います。大正時代に皇道大本の機関誌「神の国」誌に発表され、それから「霊界物語」に転載され、後に単行本として発行されたものです。よく纏められており、私は霊的読書のための本として、これ以上のものはないと思っています。

 

 

 

 

 

 

 


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