供養のための物語拝読 (死者のための霊的読書) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “「霊界物語」の拝読は、私たちのみたまの糧として大事なことはよく判っていますが、また亡くなられた霊にとっても、大事な糧であるという一例を申し上げてみたいと思います。

 綾部へ聖師さまのお供をさしていただいた時の話ですが、聖師さまはいつもお寝みにななる時は物語の拝読を聞きながら、お寝みになられるのですが、いつものように山水荘で物語を拝読しておりますと、誰もいるはずの無い二階からトントントントンと下りてくる人の足音がして、衣擦れの音と共に、私の横にチョコンと座る気配が致します。私は“アッ、気持ちが悪い”と思いましたが、“ナーニ聖師さまがおいでになるのだもの、こわいことはない”と思って、物語を読み続けていました。

 終わって見廻しましたが、もちろん誰もいません。聖師さまに「さきほどここに人の座る気配が致しましたが、あれは何だったでしょうか」とお聞きしましたら、「あれは中有界に迷っている霊が物語を聞きにきたのや。物語を聞いて、あれで天国に救われるのや、だからそこらに人がいなくても声を出して読めというのはそのことや」とお教え下さいました。”

 (「おほもと」昭和47年10月号 三浦玖仁子『神は見通し聞きとおし』)

 

 

 “中有(ちゅうう)の四十九日間は幽界で迷っておるから、この間に近親者が十分の追善供養をしてやらねばならぬ。又これが親子兄弟の務めである。この中有にある間の追善供養は、生有(しょうう)(注:死後50日以後。霊魂の行く世界がほぼ確定する)に多大の関係がある。”   (「霊界物語 第一巻 霊主体従 子の巻」『第十四章 神界旅行の一』)

 

 

・人智学にもとづく死者への対応  〔ルドルフ・シュタイナー〕

 “人間が死の門を通っていくときには、それまで秘せられていたすべての魂の力や憧れも表に現われて、死者となったその人の魂に影響を及ぼします。その人が生前、心中ひそかに抑えていた願いのすべてが浄化期(カマロカ)を生きる魂の中に現れます。この世で霊学の敵であった人たちも死の門を通った後では、霊学をこの上なく熱心に求めようとします。霊学嫌いな人が死後になると、霊学を求めるようになるのです。

 そうすると、次のようなことが生じます。・・・もしその人に生前、霊学書を手渡そうとしたら、叱りつけられたことでしょう。けれども、死者となったその人に対しては、霊的に深い内容を持った書籍、聖書やお経を読んであげること以上によい供養はないのです。生前の死者の姿を生きいきと心に思い浮かべながら、心の中で、または低い声で、死者たちに読んで聞かせるのです。そうすれば、それが死者に対してもっとも好ましい働きかけになります。そのような例を私たちは人智学運動の内部で数多く経験してきました。家族の誰かが世を去り、後に残された者が、その死者に対して朗読して励ました例をです。そうすると死者たちは提供されたものを深い感謝とともに受け取ります。そしてすばらしい共同生活を生じさせることができるのです。

 まさにこのことにおいてこそ、霊学が実際生活の中でどんな意味を持ち得るのかがわかります。霊学は単なる理論なのではなく、人生に働きかけて、生者と死者の間の壁を取り除くのです。断絶に橋が架けられるのです。死者たちには読んで聞かせてあげること以上によい助言はありません。

 そこで次のような問いが生じます。・・・一体死者は、霊界で教え諭してくれるような霊的存在を見出すことができないのでしょうか?ええ、見出すことはできないのです。死者は、生前結びつきのあった霊的存在たちとしか関係が持てません。死者がこの世で知ることのなかった神霊や死者たちに出会っても、死者はその存在を素通りしてしまうのです。どんなに役に立ってくれそうな存在に出会っても、生前関係がなかったのでしたら何の役にも立ってくれないのです。(1913年1月21日、ウィーンでの講演)”  (「シュタイナーの死者の書」ちくま学芸文庫)

 

 

 “カレッジが始まって数週間経ったある日、クラスメートの一人とお昼を一緒にとりながら、リチャード(注:著者の自殺した息子)のことを打ち明けた。すると同情に満ちたクラスメートの瞳が、ある思いで輝いた。

 「亡くなった人に本を読んであげることが供養になるって、ルドルフ・シュタイナーが言ったこと知ってる?」

 「えっ、本当?詳しく教えてくれる?」

 私は興奮して大きな声を出していた。

 「キリスト者共同体(注:1922年に欧州で始まったキリスト教運動、その設立にシュタイナーが関わっていた)の、ルイス司祭に電話するといいわ。詳しく話してくださると思う」

 彼女は、司祭の電話番号を教えてくれた。彼女にお礼を言うと、食堂の公衆電話へと急いだ。サクラメントに引っ越してきてすぐ、私は一度だけキリスト者共同体の礼拝に出席したことがあった。電話番号をダイヤルしながら、私の心ははやった。読書がリチャードのためになるという気が、確かにしていた。

 電話口に出たのは、ルイス氏本人だった。私が用件を告げると司祭は、本を読むことは確実に、亡くなった人の供養になるのだと語り、シュタイナーの本から何カ所か、死者のための読書を勧めている部分を教えてくれた。

 「亡くなった人のために本を読むことは、たいへんな供養になります。死後(注:カマロカ、生前を逆時系列で振り返るために霊魂が滞在する世界のことで、生存期間の約三分の一に相当する期間をそこで過ごすとされる)、最初に体験することを乗り切る時、死者の魂は精神的な糧に飢えています。彼らのために本を読むということは、とても良い栄養を与えることになるのです」

 「何を読めばいいでしょうか?」

 「精神的な成長を促すものであれば、何でも構いません。たとえば、聖書、特にヨハネによる福音書(13章から17章まで)、詩、瞑想のための詩、スピリチュアルな歌など。もちろん、ルドルフ・シュタイナーの本はどれも最適です。息子さんはどんなことに興味を持たれていましたか?」”

 

 “それから数ヵ月後の1988年10月、私は「悪」に関する研究会に出席していた。講演で、当時アメリカの人智学協会の書記長をしていたワーナー・グレン氏が、「自殺者に本を読み、交信することで関わっていかねばならない」と語った。自殺者の霊は、深い絶望の中で孤立しているだけでなく、彼らに残された生命力は、「悪魔的な存在」によって、人間の進化を破壊的な方向へ向けるのに利用される可能性があるということだった。だが、もし私達が自殺者に助けの手を差し伸べるのであれば、彼らの残りの生命力は、大きな善行に活かせるのだという。”   (ドレ・デヴェレル「闇に光を見出して わが子の自殺と癒しのプロセス」イザラ書房)