愛するペットを亡くされた方に | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “フローレンス・キングストーン女史は、霊媒の中でとくに動物との縁の深い方で、その交霊会にはよく動物が出現します。物質化する場合もあれば、霊視してその様子を語って聞かせることによって、多くの動物愛好家に慰めと喜びを与えている人です。

 そのキングストーン女史が幽体離脱で動物界を見物して、その様子を次のように述べています。

 人間と同じく動物も、死の直後は睡眠状態にあり、その中で早く目覚めるものと、長時間にわたって眠り続けるものとがいますが、置かれている環境は柔らかい淡い黄金色に輝き、動物たちは生前そのままの姿で快適に遊び暮らすようになります。

 その中にあって可哀想なのが、大量にと畜されたり薬殺されたりした動物たちで、とくにと畜されたものは恐怖におののき、本能的に復讐心に駆られて暴れまわっているといいます。

 が、霊界にはそうした動物たちの看護にあたる専門家がいて、それなりの手段を講じているので、そのうち興奮もおさまって、それぞれの種族の界へと連れて行かれます。その中でもとくに人間との愛情関係が強かったものが人間界に留まり、かつての飼主が気づいてくれなくても、いっしょの生活を営んでいるというのです。

 ですから、愛する動物たちの死を必要以上に悲しむのはよくありません。戻ってきた動物たちの方がむしろ戸惑います。動物は人間の子供と同じで、単純で素直ですから、言葉を発しなくても、手で撫でてやらなくても、心に愛情を抱いているだけで、それを感じ取ってくれるのです。

 悲しみの念を抱き続けていると、動物たちの方はなぜ悲しんでいるのか、なぜ涙を流しているのかが理解できないのです。

 あなたには霊視能力はないかもしれません。可愛がっていた動物たちがすぐそばに来てくれていても、それが見えません。毛なみのいい猫のあの毛ざわりは、もう感じ取ることはできないかもしれません。明るくさえずってくれた小鳥の歌声は、もう聞かれないかも知れません。

 しかし、一度あなたが愛情をそそいだ動物たちは、必ずあなたのそばに帰ってきております。そして、生前と同じ愛の波動を感じ取っているのです。あなたが地上の務めを終えて霊界入りしたとき、きっとその動物たちが迎えに来てくれるはずです。

 そこで、最後に私からのお願いがあります。人情の機微を知らない安直なアドバイスとの批判を浴びそうですが、本書で紹介した霊的知識の上に立って申し上げることですので、ともかくも耳を傾けてみてください。

 愛する動物を失ったら、なるべく早い機会に新しい動物を求められることです。前のと似ていなくてもいいし、まったく別の種類でもいいでしょう。それが前の動物の代わりをしてくれるわけではありませんが、少なくとも気を紛らし、悲しみを和らげてくれるでしょうから。あなたの精神衛生上からいっても良いだけでなく、霊界の動物たちにとっても、良い波動を受けるようになって喜ばれるはずです。

 それが理由の一つです。もう一つ理由があります。人間の愛を必要としている動物たち――捨てネコ、野良犬など――があまりに多い今の時代では、一匹でも人間が面倒を見てやるべきではないでしょうか。

 そういう気持になってくれる方が一人でも多くなってくだされば、本書を上梓した私の労が報われることになるのです。”

 

(近藤千雄訳・編/シルビア・バーバネル「ペットが死ぬとき 誰も教えなかった別れの意味」(ハート出版)より)

 

・シルバーバーチの霊言

 

“問 「霊界で動物と再会したとして、その一緒の生活はいつまで続くのでしょうか。いつまでも人間と一緒ですか」

  シ 「いえ、その点が人間と違います。人間と動物はどこかの時点でどうしても別れなければならなくなります。地上の年数にして何十年何百年かかるかわかりませんが、動物の進化と人間の進化とではその速度が違うために、どうしても人間について行けなくなる時が来ます。人間は死の関門を通過して霊界の生活に慣れてくると、向上進化を求める霊性が次第に加速されていきます。そして魂に潜む能力が他の生命の進化を援助する方向へと発揮されていきます。そうして人間が向上すればするほど、動物はいかに愛によって結ばれているとは言えそのスピードについて行けなくなり、やがてこの愛の炎も次第に小さくなり、ついには動物はその所属する種の類魂の中に融合していきます」”

 

“問 「せっかく人間との接触で得たものが消えてしまうのでは愛がムダに終ったことになりませんか」

  シ 「そんなことはありません。類魂全体に対して貢献をしたことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです。全体に対する貢献です。今までその類魂に無かったものが加えられたわけです。そうしたことが多ければ多いほど類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて人間へと進化していきます」”

  

“問 「動物界にどんな種類の動物がいるのでしょうか」

  シ 「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている動物、人間とほとんど同等に扱われて知性や思考力を刺激された動物のすべてがおります。そうした動物は飼主の手から離れたことでさびしがったり迷ったりするといけないので、動物界に連れてこられて、他の動物といっしょに暮らしながら、動物の専門家の特別の看護を受けます。そこには動物をよろこばせるものが何でも揃っており、やりたいことが何でも出来るので、イライラすることがありません。そして時には地上にいる飼主の家の雰囲気内まで連れてこられ、しばしその優しい雰囲気を味わいます。心霊知識のない人が自分の飼っていた犬を見たとか猫が出たとか言ってさわぐのはそんな時のことです。何となくあの辺にいたような気がするといった程度にすぎないのですが、地上の動物の目にはちゃんと見えています。霊視能力が発達していますから……」”

 

“問 「病気で死亡した動物の場合も人間と同じように看護されるのですか」

  シ 「そうです。そうしたチャンスをよろこんで引受けてくれる人が大勢います」”

  

 (日本心霊科学協会「心霊研究 №436」 近藤千雄『シルバーバーチは語る』より)

 

*最近は、ペットとともに入れるお墓や納骨堂というものがあるようですが、心霊学的にはとんでもないことです。たとえ飼主とペットが同じ場所に葬られなくとも、深い愛情で結びついていれば、必ず霊界で再会できますし、シルバーバーチが言うように、動物と人間は進化の速度が異なるために、いずれは別れの時が来ます。それなのに、墓を一緒にしたりなどして、飼主の「いつまでもペットと一緒にいたい」という想念の力が作用し続けると、ペットの霊は帰るべきところに帰れず、かといって飼主の霊的進化にもついて行けず、却って苦しむことになってしまいます。また飼主の方も、ペットに引きずられて先へ進むことができませんし、お互いにとって苦しみでしかありません。

 

*出口王仁三郎聖師は、動物霊の供養について、『ちゃんと埋葬してやれば、ことさら霊祭をするには及ばぬ』『慰霊はせず、神様に向上祈願をするように』と言われており、大本では、動物の供養をするときは日限をきって行ない、その祭典は、大神様にその動物霊がより高い世界へと昇ることができるように祈願する「向上祈願祭」となります。そして、原則として供え物はしません(例外もあります)。理由は、動物に食べ物を供えると、どうしても他の動物霊たちも集まってしまうので、却って霊障を受けるおそれがあるからだそうです。とはいえ、可愛がられたペットならまだしも、人間の身勝手によって殺された動物たち、たとえば実験動物や、食肉として屠殺された動物に対しては、謝罪と共に彼らの霊の救済を祈るのは当然ですし、そのための慰霊祭は行なわれなくてはなりません。祝詞の中には、車を運転中に誤って轢いてしまった動物を供養するための祝詞もあります。

 

(大本本部祭務局編「続・大本祭式 わかりやすい家庭のまつり」(天声社)より)

 

・「万有は神の愛によって造られた」

 

 “聖師さまを一口にいうなら、「非常に人を大事にし、また物を大事にされた方である」ということができましょう。聖師さまの牛飼いの話は有名ですが、牛に限らず、猫にしろチャボにしろ、犬にしろヤギにしろ、そこらにいる生き物が可愛くて仕方がないようでした。

 生き物だけでなく、樹木を愛されるのもお楽しみの一つであり、また朝の散歩によく田んぼを見廻られましが、そうした時、稲に一々挨拶をして廻られるのが常のことでした。そのわけをきくと、稲が自分の主人が廻って来たといってとても喜ぶからだといわれ、万有は神の愛によって造られたものだから、どんな物でも愛に感じないものはない。愛をもってすれば、稲も相応の理によって、よく稔るものだと教えられました。”

 

(「人類愛善新聞」昭和38年1月20日号 三浦玖仁子『「愛」に徹した日々』)

 

 あめつちに愛の発動なかりせば 森羅万象ほろびゆくべし

           (出口王仁三郎「歌集 愛善の道」より)

 

*ペットを可愛がることは、決して単なる道楽ではなく、それが動物たちの霊的な進化を促す力となり、さらには人間が動物界に対して負っているカルマをも浄化します。保護犬や保護猫を引き取って世話をしておられる方々は、ご自身では気づいていなくとも、実は素晴らしく偉大な仕事をしているのであって、シルバーバーチはそのような動物愛護の仕事に携わる方々へ讃辞を送っています。

 

*ただし、これはかなり前に私の地元であった話ですが、あるお年寄りが何匹もの野良犬を引き取って、それが十数匹にもなって、鳴き声や臭いが近隣の住民たちとの間で深刻なトラブルになりました。そして、そのお年寄りの死後、犬たちは誰も引き取り手がなくて殺処分されてしまったのですが、いくら毎日餌を与えられても、近隣住民から怒りや嫌悪の念を向けられ続けては、犬たちも相当に苦しかったのではないかと思います。そのお年寄りの行為は、誰からも見捨てられた犬たちへの愛情によるものだったはずですが、やはりペットにとっては、飼主だけでなく近所の人たちからも愛されて、優しい言葉をかけてもらえるような環境こそが幸せでしょうし、周囲の人間関係を無視しての過度な、一方的な動物愛は、却って動物たちを苦しめることになりかねません(エドガー・ケイシーも過度な動物愛を戒めています)。また動物の救済よりも人間の救済の方が優先されねばならないのは当然で、今でも途上国などでは牛や馬が労働力として使役されており、一見虐使であるようですが、それはそれらの動物のミタマの向上のための修行でもあり、決して罪とみなされるものではありません。出口聖師も動物愛護協会などが動物愛護の名の下に行なった数々の偽善を批判されています(参考:「月鏡」)。

 

*よく知られているように、大国主命はネズミやウサギ、弘法大師は犬が眷属で、数は少ないですが猫を眷属とする神社もあります。あと馬頭観音(畜類全般)など、そのような神仏に、それぞれの動物の霊の救済を祈られるのもよいかもしれません。動物たちの幸せを本当に願うのであれば、なおのこと神仏に意識を向けるべきだと思います。

 

*ちなみに出口聖師は

 『猫は魔の王であるから、家に猫を飼うておくと悪魔が来ない。猫を抱いて寝ておれば、おそわれるようなことはない。』(「玉鏡」)

と言われています。霊障に悩まされている方は、猫を飼われるとよいかもしれません。

 

 

 

 

 

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