《前編》 より

 

【初代から18代までの天皇】
 ここからは、『竹内文書』との相関で「記紀」を交えた話になる。
 応神天皇の諡号は「品陀和気命(ほんだわけのみこと)」である。これは、応神天皇の皇位を引き継いだ第16代・仁徳天皇と同一人物であることの暗示である。この「ワケ」の諡号は、仁徳天皇の後の第17代・履中天皇(伊耶本和気〈いざほわけ〉王)、第18代・反正天皇(水歯別命〈みずはわけのみこと〉)にも使われている。
 初代・神武天皇から第10代・崇神天皇に至る天皇に実体がないことから、それらの天皇は実在せず、欠史8代といわれていることと、そして両天皇に神という文字が共通することは、同一人物である暗示だということはすでに述べた。となると、第15代と第17代・第18代の「ワケ」の間に挟まる第16代・仁徳天皇も、欠史8代同様、同一人物ということになる。
 アカデミズムは、「ワケ」を持つ3人の天皇は同じ三輪王朝の出身と見ているが、そうではない。記紀の基本は、名を「分け(別け)る」ことにあるということを、こうした形で示しているのである。
 となると同一人物は欠史8代どころではなく、18人の天皇がすべて同一人物という図式が出来上がる。
 こうして「神武天皇=崇神天皇=応神天皇=神功皇后=仁徳天皇」という凄まじい仕掛けが見えてくるのである。(p.72-73)

 

 

【神功皇后の新羅討伐は戦争ではない】
 神功皇后は応神天皇の母だが、その名にも同じ「神」の一字がある。それも記紀の仕掛けであるなら、「神武天皇=崇神天皇=神功皇后=応神天皇」ということになる。
 記紀には神功皇后は神意を受け、西方にある新羅出兵に際し、鬟(みずら)という男の髪型に結いあげ男の姿になった(甲冑を身にまとった)と記されている。これは勇猛果敢な女帝の行動と解釈されるが、記紀の記述はあくまでも示唆であり、男装は男の暗示なのである。
 記紀の背景には「陰陽道」がある。(p.68)
 陰陽道は、儒教と結びついて『易経』として世に知られるようになったけれど、奈良時代・平安時代の日本は陰陽師たちが活躍していた時代であったことは、よく知られている。
    《参照》   日本文化講座 ⑦ 【 易経 】

               【 易経 と 日本文化 】

 それと神功皇后がどう関係するのかというと、大和から見て「西方」の新羅に向かうことを陰陽道で読み解くと、言外の意味が浮かび上がるのである。
 陰陽でいえば、西の方位は陰、東は陽である。つまり西へ向かう神武天皇は陰となり、女性形で表されるのだ。また、陰には鉾である剣を鞘に収めるという意味もある。つまり征西は、戦争ではなく平和を暗示しているのだ。
 戦のためでなければ、征西の目的は何だったのか。
 それと深く関わるのが、応神天皇の時代における秦氏の渡来である。記紀では秦氏は百済系としているが、実際には新羅系だったということは前述の通りで、学術的にも証明されている。つまり、新羅で待機していた大勢の秦氏を、神武天皇(=崇神天皇=神功皇后=応神天皇)が迎えに行ったのが、この征西の目的だったのである。(p.69)
 神功皇后の大活躍は、女権拡張論者たちによって大いに援用されたんだろうけど、まあ、御随意である。
 反日韓国人が「侵略国家・日本」の例証として使っているけれど、これも、まあ、御随意である。
 新羅に関しては、
    《参照》   『古代天皇家と日本正史』 中丸薫 (徳間書店) 《中編》

               【日本と新羅の交流】

 秦氏に関しては、
   《参照》   『古代天皇家と日本正史』 中丸薫 (徳間書店) 《前編》

               【秦一族のルーツ】 【新羅とスキタイ】

 

 

【蘇我馬子】
 蘇我馬子の漢字をそのまま解釈すると、「蘇・我・馬・子」で「我は蘇った馬小屋の子」となる。(p.96)
 聖徳太子が厩戸皇子と呼ばれていることはよく知られているけれど、蘇我馬子とともにキリストとの関係が示されている。
 蘇我氏の祖は神功皇后の忠臣であった武内宿禰である。神武天皇=崇神天皇=神功皇后=応神天皇であることを合わせて考えると、蘇我氏に関わる重要性がわかるだろう。
    《参照》   『ここまで解けた!「古代史」残された謎』 関裕二 (PHP研究所)

               【トヨ】

    《参照》   『蘇我氏の正体』 関裕二  東京書籍

 

 

【「漢字破字法」で解く「天照大神」】
 漢字の本質を探る「漢字破字法」というものがあるが、これに従うと天照大神は「天=工・人」、「照=日・召・炎」、「大=一・人」、「神=ネ・申」となり、全体的な意味が「大工は日の炎に召された唯一の神と申す」となる。
 イエスの本当の父は、父なる神「エロヒーム」である。『新約聖書』によるとイエスは精霊の力により処女マリアから生れたが、マリアの夫となった父はヨセフという大工だった。(p.97)
 天照大神=イエス・キリスト ということになるけれど・・・・

 

 

【天皇は世界の王である】
 ここで思い出してほしいのは、神道の根幹にある「人が死んで神になる」という思想である。実際、『新約聖書』には、イエス・キリストは磔刑の後に復活して、神として昇天したとある。・・・中略・・・。
 それを信じるか否かは別にしても、『竹内文書』を真に解読するには、イエス・キリストは絶対に避けて通ることはできない。なぜならイエス・キリストは天照大御神だからである。
 さらに言えば、イエス・キリストは「天皇」であり、ユダヤの王であるばかりか、「世界の王」なのである!!
 別に驚くことではない。『竹内文書』には天皇は世界の王と明確に記されているからだ。記紀にもない記述が、『竹内文書』にだけは記されている。そのことが重要なのだ。(p.228-229)

 

 

【『竹内文書』と秦氏の関わり】
 筆者が長年古代日本を研究してきて、分かってきたことがある。それは秦氏が物部氏を押さえつけ、物部系神社と記録を次々と封印していく歴史である。
 しかし、それは抹殺や抹消ではなく、あくまでも封印なのである。・・・中略・・・。
 ではなぜ、封印したか・・・逆説的だが、後の世に開封するためである。その封印の仕方は、『竹内文書』のような古史古伝を起爆剤として、時が来れば秘密を解き明かすことを想定している。(p.236)
 “時が来れば”とあるけれど、今年の5月だったのだろうか。
 20年に一度の伊勢と60年に一度の出雲。
 戦争などの影響で、史上初めて式年遷宮の年が重なっていた。
    《参照》   『ベールを脱いだ日本古代史』 坂本政道 (ハート出版)

 

【『竹内文書』は明らかに改竄されている】
 『竹内文書』は明らかに改竄されている。それを行ったのは巨麿自身である。なぜ原書を持ちながら、こんな奇妙な改竄をしたのか。(p.296)
 鴨(加茂)系のある人物から聞いた話として、巨麿は『竹内文書』を公開することを告げに赴いた先があったという。京都の外れにある鞍馬の某所で、巨麿はある人物と会ったことが分かっているのだ。その人物は、「伊勢神宮」と「加茂神社」に通じる、神道密教ともいえる「裏神道」の要人で、巨麿は古来からの決まり事として、その人物に報告と承諾を受けに行ったようだ。
 ・・・中略・・・最終的には原書の骨子はそのままでも良いが、改竄部分を付け加えることが、承諾の条件として提示されたという。(p.297)
 「裏神道」の要人が、下記のリンクにある人かどうかは知らないけれど、日本には不思議な人々が今でもいっぱいいるのである。
     《参照》   『地球一切を救うヴィジョン』 白峰 (徳間書店) 《中編》

               【裏天皇の名前】

 イエス・キリストの来朝は一部を残して改竄され、ムハマンド(マホメット)は実際には来朝しておらず、後から付け足されたものらしい。(p.297)
 『竹内文書』では、キリストは青森県の新郷村(当時の戸来〈ヘライ〉村)に来ていることになっているけれど。
     《参照》   『古神道入門』 吾郷清彦・松本道弘・深見東州 (たちばな出版) 《前編》
               【古代文字】

 

 

<了>

 

  飛鳥昭雄・著の読書記録

     『プレアデスメシアメジャーが示す「未曾有の大惨事」の超え方』

     『知られざる古代日本のユダヤと秘密結社』

     『人類と恐竜は共存していた!!』

     『神国日本八つ裂きの超シナリオ』

     『『竹内文書』と月の先住宇宙人』

     『日ユ同祖論とミロクの世の真実』

     『失われたフリーメーソン「釈迦」の謎』

     『失われたメシアの神殿「ピラミッド」の謎』

     『失われた太陽系10番惑星 「NOX」の謎』

     『失われた地底王国 「シャンバラ」の謎』

     『太陽の謎とフォトンベルト』