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 他に読みたい本がなくって、既読本の書架をポヨヨ~~ンと眺めていたらこの本が目にとまった。吾郷先生は様々な文献に詳しくその知見を語ってくれるけれど、深見先生は傑出したシャーマンなので、この鼎談の中では、深見先生の語りが一番おもしろい。2000年10月初版。11年ぶりの再読。

 

 

【出口王仁三郎の言霊】
深見  そうやって、(出口王仁三郎は)ちっちゃいころから言霊の教育をされた。しかし、ほんとうに言霊を体得したのは ――、言葉に魂が宿って動かせるようになったのは、信州皆神山に登った時からで、言霊っていうのが本当に見えて、使いこなせるようになった。(p.27)
 日本神霊界のことを解する人々の中では、深見東州先生は出口王仁三郎の後継者といわれている。だからそのような人々によって、神霊界に関する枢要な文物は深見先生の処へ提供されているらしい。深見先生は猫を被っているけれど、日本神霊界に関することどもについては何でも知っている。この鼎談集を読むだけでも、その片鱗は十分わかるはずである。
 皆神山の特異性については、他の処で語っているけれど、この本の中にはこれ以上記述されていない。

 

 

【天津金木学】
深見  水谷清には『古事記大講』という大著があり、そこで天津金木学を綿密に紹介しています。そこでは、言霊、色霊、数霊、これは3つ関連しているものなのであって、言霊だけを外すものではないとしています。天津金木学では、言霊・色霊・数霊の3つに相乗効果があって、相互に形成しているわけです。このほかにもいろんな学者の説はあるけれども、それに興味を持って勉強しようと思って、昔、本を見たけれどもね。活字には言霊の本質はないことを悟りました。(p.27-28)
 天津金木って、「大祓祝詞」の中に出てくるけれど、天津金木の概要が分かったとしても、殆どの人々は「大祓祝詞」全体を意味的に理解できないまま奏上している。「大祓祝詞」自体が天津金木学によって構成されている面もあるのだから、それでいいのである。
 上記に続いて、言霊とは何かという定義が語られている。

 

 

【言霊とは】
深見  言霊とは何かという定義をすると、やっぱり吾郷先生がおっしゃったように、神の御心を胎して言葉を発する時、言葉が言霊になると悟りました。それは学問や理屈ではなく、日常生活のすべてにおける誠の道を実践するしか、真を得て運用することはできないと大悟した次第です。
 ・・・(中略)・・・。神の心とは何かと言うと、大いなる愛の波動であり、その心をこの世で成就させるものは、この世でそれを貫き全うする精神力と行動力という誠のことです。そこにおのずから智があふれ、世に現われ出でて礼となり、義となり、信となります。愛とか真心という波動で、そこに神なるものが発動し、至誠を実行して輝かせているうちに、必ず高級霊と深く接霊し、その時に、言葉に本物の霊力が宿るわけです。(p.28-29)
 ここに書かれているように「神の御心を体して発する言葉が言霊」であるとするなら、言霊は日本固有なものとはいえないことになる。しかし、鼎談している3者は「ヨーロッパには、そのような思想がないゆえに言霊はない」と語り合っている。西欧を席巻したキリスト教文化では、神は人間とは全く別なものという観点から、人間が神の御心を体することなどあり得ない、と考えてしまうのだろう。

 

 

【古代文字】
吾郷  日本の 豊国文字 ですが、これを徳政金吾は『古代埃及(エジプト)と日本』(カムト社・昭和8年)で、「この文字は、エジプトから来たんです。エジプト古字が日本の豊国文字になった」と言っています。
深見  ああ、そうですか。ぼくも賛成ですね。 ・・・(中略)・・・。出エジプトをした後に、そのままモーゼと共に古代ユダヤ人が、もし『竹内文献』にあるように日本に来ていたとするならば、たぶんエジプトの文字や言葉や文化を日本に伝え残したでしょうね。(p.77-78)
 『竹内文献』に関して、下記の著作に、キリストも日本(青森県戸来村)に来ていると書かれていたけれど、深見先生は、「キリスト自身は日本(現在は風光明美な南の島)に来ているけれど、戸来村にまでは行っていない」と言っていた。
   《参照》   『超巨大〔宇宙文明〕の真相』 ミシェル・デマルケ 訳ケイ・ミズモリ (徳間書店) 《後編》
             【イエス】
深見  僕は神武天皇の霊にお会いしたこともあるんですけれども、2メートルぐらいの金髪の、どう考えても、失われたガド族の人たちが日本にたどり着いた感じ。神社を見てみても、いわゆる霊的な世界の文化というものが、どこからか流入してきたとしか思えません。(p.76)
   《参照》   『失われたメシアの神殿「ピラミッド」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける (学研) 《後編》
             【エノクが著した『知識の書』とピラミッドの閉じた玄室】
             【『知識の書』とモーセ】【日本とエジプト(中東)との深い関係】

 
             
【山窩・マタギ・キジ】
深見  僕は、縄文時代の古来から連綿と続く一番古い部族はいったいどれなのか、一度真剣に調べ、神様に問い続けたことがあります。そうしたら、山窩とマタギとキジに絞りこめましたが、結局、その中でもキジが最も古く、縄文時代から続く部族であると、神様から教わりました。 ・・・(中略)・・・。山窩は中国系、マタギは北方系、キジは南方の縄文倭人の末裔だということです。(p.81-82)

 

 

【殉死の思想】
松本  三島由紀夫を、なぜ石原慎太郎や文壇の人たちが今も気にしているかといったら、やっぱり大切な命、大切であるからこそ、その命を絶たなきゃいけないという心の葛藤に純粋で、審美的で、かつ耽美的なものがあるんじゃないか。
深見  それもそうでしょうが、本当のところは、古代の人は体質が純粋でシャーマン的だったから、死者の霊というものを、はっきりと直接的に感じていたのでしょう。
 それで、 ・・・(中略)・・・ 死んだ人も淋しいし、後に残された者も淋しい、だから、死後もずっと一緒にいたい、永久に一緒にいたいと思う。 ・・・(中略)・・・。古代は死んだら霊がわかるし、見えるし、霊的な世界というのも実感できたから、そこは抵抗なく実行できたと思うわけですね。肉体というのは一時のものだから。(p.151-152)
 多量の埴輪で殉死を代行させるようになった秦の始皇帝の時代は、もう霊的な感性が失われていたということになる。
 しかし、当時も中枢にあるシャーマン的資質のある人々は、ヘブライの民のみならず、殆どが日本という海洋に守られた島国の存在意義を知っていたが故に、日本を目指していたのである。

 

 

【素神(すしん)の思想】
深見  神というものは働きである。働きじゃない働きが最高の働きだというのは、無限極で、素神の思想です。その車軸の中心に対して、動かないという働きがあるから、周囲の動きを全部統括することができるというのは、これ素神の思想ですよね。日本の天皇もこれに似ていて、働かないという働きである「権威」で治め、「権力」で治めないところがより本質的な役割だと思う。(p.174)
 神道の基本的な用語なので書き出しておいた。

 

 

【神道・風土と神霊界】
深見  神霊界があって、神様が神生み国生みで風土をおつくりになったから、神の意図によって日本の風土ができた。これが日本の神霊界、日本の神道というものの一つの特色なんだということを言っているわけです。
 だから何人であろうと、何民族であろうと、どんな言語であろうと、日本の風土というものに密着したエネルギーの本質を言っているわけだから、三代ぐらい経ったら同順化して、みな神道になる、日本人になるというふうに定義をおかないと、神道というものが明確に説明できないわけですよね。
松本  神国、日本 ―― という形ですか。
深見  風土、土地の風土です。これを本田親徳さんなんかは産土力と言っているわけですよ。(p.175-176)
 宗教学的・文献学的に日本の神道を定義しようとしても、実際は世界中の思想が数多流入していて実態が掴めない。ラッキョウの実みたいで、日本を剥いていったら何もなくなっちゃった、なんて言い出すのである。しかし、それでも日本には、世界に類を見ない際立った特徴がある。その根拠を辿ってゆけば、やはり風土に行き着くのである。
 上記書き出しにある記述は、日本への世界文化流入による歴史的過程を学んだことのある人には分かりやすいだろうけれど、それ以外では、日本人より外国で生まれて日本で生活するようになった人々の方が、経験的に分かりやすいはずである。留学生たちは、日本語が上手に話せるようになった頃、「日本に住んで日本語を話していると、日本人になっちゃう」と思っているはずである。自国で生活していたときの自分より性格が穏やかになるのである。なぜなら、日本は、最大融合極性をもつ風土(産土力)だからである。
   《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
             【経度0度と経度135度の文明的特徴】