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 著者の古代史関連の著作には定評があるのだろう。『古代天皇家と日本正史』 中丸薫 (徳間書店)ではほとんど言及されていなかった蘇我氏に関して、この本は正しい見解を記述しているかもしれない。幾重にも上塗りされた国仕掛けがあるらしい。
 なお、このジャンルの書籍内容には似つかわしくないことが「まえがき」に書かれているのだけれど、一番最後に書き出しておいた。2006年11月初版。

 

 

【蘇我氏の祟り】
 都に変事が起きるたびに、「時の権力者・藤原氏に疎まれ九州の太宰府に左遷され憤死した菅原道真の祟り!!」と大騒ぎになった話は有名だけれど、蘇我氏に関しても祟り話はある。
 蘇我入鹿暗殺を目撃してしまったのが皇極女帝で、入鹿の死後ただちに譲位している。この女帝は後にふたたび即位して(これを重祚(チョウソ)という)、斉明天皇となるが、この人物の周辺で、怪奇現象が起きていたのである。 ・・・(中略)・・・ 。
 斉明7年(661)、斉明天皇は百済救援のために出兵し、朝倉橘広庭宮(福岡県朝倉市)に陣を張った。ところが、宮に落雷があり、鬼火(人魂か)が現れたという。しかも、近習の者がばたばたと死んでいく中、斉明天皇も崩御されたのだった。斉明天皇の葬儀の様子を、笠をかぶった鬼が覗き見やったというから、なにやら不気味な話だ。
 平安時代末期に記された『扶桑略記』には、件の鬼について、当時の人々は「蘇我豊浦大臣にちがいない」と噂していたと記録している。ここに言う「蘇我豊浦大臣」とは、蘇我蝦夷とも、蘇我入鹿とも言われているが、斉明天皇が祟られるとしたら、眼前で殺されていった蘇我入鹿が相応しい。
 「祟る蘇我入鹿」の意味はとてつもなく大きい。(p.75-76)
 『日本書紀』の編纂者は、天武の皇子である舎人親王と言われているけれど、編纂当時の時の権力者は、蘇我入鹿殺しの主犯・中臣鎌足の息子である藤原不比等。不比等は、鎌足の子ではなく天智天皇の落胤であるとの説もあるらしい。いずれにせよ、『日本書紀』の編纂に影響力がなかったはずはない。
 蘇我氏に関して、「殺されて祟った邪悪な鬼」として理解するだけでは、日本史の核心になど決して触れ得ないだろう。

 

 

【中大兄皇子と中臣鎌足】
 すでに百済に荷担しても、百済の滅亡をくい止めることはできなかった。それにもかかわらず中大兄皇子が猪突したのは、百済王子・豊璋=中臣鎌足におだてられ、その口車に乗せられたからからだろう。無意味な蘇我入鹿殺しを断行したのも、ただ単に「蘇我入鹿が消えてなくならなければ、いつまでたっても百済救済はできない」という中臣鎌足の焦りから、決行されたということではなかったか。(p.93)
 中大兄皇子(百済王子・翹岐=天智天皇)も中臣鎌足も共に百済に縁の深い人物だった。
 だからこそ、両者によって消された蘇我氏の本当の姿が気になってくる。

 

 

【トヨ】
 ここでまず注目しておきたいのは、三世紀の邪馬台国と七世紀の飛鳥に、奇妙なつながりが隠されていることだ。
 第33代推古女帝の名には「トヨ」の名が冠せられていて、しかも宮の名は「豊浦宮」だった。
 推古天皇の周辺の人脈も、みな「トヨ」で、有名な聖徳太子も、「トヨトミミ」と、「トヨ」の御子であったことが分かる。
 推古天皇の補佐役は蘇我馬子だったが、『日本書紀』が「邪馬台国の時代の女傑」と語った神功皇后の忠臣には武内宿禰がいて、この人物が蘇我氏の祖であったことは、『古事記』に書かれているとおりだ。
 もうひとつ不思議なことがある。
 神功皇后は、「トヨ」とつながり、その「トヨ」は「海の女神」で、その「海の女神」は「神宝」を「海の底がもたらす」という属性がある。
 海の底からもたらされる神宝には、真珠やヒスイがあるが、 ・・・(中略)・・・ 「トヨの神宝(ヒスイ)」は「飛鳥の蘇我」と共に、消し去られたかのような印象を受ける。(p.129)
 伊勢の 外宮の正式名称は「豊受(トヨウケ)大神宮」 となっている。
 伊勢の 内宮の正式名称は「皇大神宮」 である。
 秘められた仕掛けがいろいろあるらしい。

 

 

【鬼】
 本来、「神」と「鬼」は同義語であった。ところが八世紀に『日本書紀』が編纂されたころになると、両者は峻別され、「鬼」は「悪しき者」と捉えられるようになっていく。それはなぜかというと、本来のヤマトの神に近い氏族「物部」や「蘇我」ら旧政権の重鎮たちの末裔が零落し、野に下り、山にこもり、「藤原」を呪っていくからである。
 吉野は、これら「体制を呪う鬼」どものたむろする場になっていったのであって、だからこそ、後醍醐天皇は、「裏の人びと」「ヤマトの鬼の末裔」を頼り、加勢を頼んだということだろう。(p.81)
 日本書紀の編纂者たちの意図は、まず、「物部」と「蘇我」を対立させることで一方(物部)を歴史から消し、次いで、残ったもう一方(蘇我)を抹殺することで、「藤原」の世を完成させたということだろう。

 

 

【鑑真を冷遇した藤原政権】
 鑑真と共に来日していた弟子・思託は、日本側の誹謗中傷、冷遇に腹を立て、鑑真の伝記をしたためた(これを淡海三船が日本語に直した代物が、『唐大和上東征伝』ということになる)。そしてその中で、奇妙なことが書かれていた。
 それは、「聖徳太子は南岳慧思の生まれ変わり」というのである、これが「慧思後身説」の端緒となる。
 ここに言う慧思とは、中国の南北朝末期(6世紀)の高僧で、天台宗の開祖となった人物である。その慧思が中国で亡くなり、日本で生まれ変わって聖徳太子になったという説だ。(p.184-185)
   《参照》   『神仙界に行く三つの方法』 深見東州 (たちばな出版)
             【慧思と鑑真】
 鑑真らが冷遇されたのは、長屋王の働きかけによって来日していたことと強い因果があっただろう。いわば鑑真は、前政権が呼んできたお荷物でしかない。これを敏感に感じ取った思託は、「藤原」にせめてもの仕返しを、と思ったのだろう。
 「藤原」は聖徳太子という偶像を仕立て上げることで、長屋王ら、「蘇我」や「蘇我の王家」の正体を抹殺したのだった。そして「藤原」は、法隆寺に「蘇我」を封印し、これを「聖徳太子」という偶像と共に、棺桶の蓋を閉じたのである。思託はこの「藤原のカラクリ」を逆手に取り、「聖徳太子」を大いに喧伝し、お棺をこじ開け、「聖徳太子」の亡霊を世に送り出した、ということではなかったか。(p.185)
 著者は、「慧思後身説」が、冷遇された思託の腹いせによる所産という書き方をしているけれど、五回もの危険な船旅をし、失明してでも日本に来ることを止めなかった鑑真の心中からすれば、「慧思後身説」は単なる腹いせによる所産などではないだろう。

 

 

【春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣乾したり 天の香具山】
 百人一首の中にある有名な持統天皇(父は天智天皇で、母は蘇我の系譜にある方)の歌。
 この歌の裏側に、羽衣伝承の意味するところが隠されているという。
 『丹後国風土記』の逸文よると、老夫婦に羽衣を奪われた天女は、懇願されて老夫婦を豊かにしたけれど、増長した夫婦によってまもなく家を追い出されてしまったという。
 この天女が、いわゆる竹野の郡の奈具の社に鎮座する豊宇賀能売命(豊受大神)になったというのである。
 梅澤恵美子氏は、この「羽衣を盗まれた天女」という伝承が、件の万葉歌の裏側に隠されている、と推理した。
 つまり、天香具山の「白栲」とは、豊受大神が沐浴している姿を詠ったものであり、「春が過ぎて夏が来る」というのは、穏やかな政局から、激しい、流動化する政局に、これから突き進むのだ、という意味にとった。それはなぜかといえば、
「あの白栲をこっそり盗めば、豊受大神は身動きできなくなる」
 からである。
 事ここに至り、7世紀の蘇我の王家が「トヨ」の名を冠していたことが、重要な意味を持ってくるのだ。
(p.194-195)
   《参照》  『蘇我氏の正体』 関裕二 (東京書籍)
          『日本の神々』 上田正昭・鎌田純一 (大和書房)
             【物部氏】

 

 

【はじめに】
 この本の冒頭に書かれていること。
 脅かすわけではないが、人類の未来は、あまり明るくない。「種」としての寿命も、あとわずかだろう。
 現実問題として、まず「地球温暖化」が危機的な状況になりつつある。(p.3)
 今日(12月6日)深夜のWBSで、過日ニューヨークにやって来た大型ハリケーンのよる浸水被害は、海水面の上昇による影響が大きかったという報道の一部で、ニューヨークの海水面は、ここ数十年で30cmも上昇したという事実を報道していた。
 ロシアから日本にLNGを輸送するタンカーも、この季節に北極海航路で来ているという。
 日本でもニューヨークでも世界中の諸都市でも、経済活動優先から海水面上昇という事実を真剣に報道せず、意図的に無視し続けるだろうけれど、大衆が危機を認識する段階ではもう遅いのである。
   《参照》   『このままでは地球はあと10年で終わる!』 (洋泉社)
 なぜ古代史の本なのに、こんな「へんてこりんな前書き」なのか、首をかしげておられることだろう。けれども、最近つくづく思うのだが、人類が滅亡する直前、まるで人間の死に際と同じように、走馬灯のように過去のすべてがはっきりと見えてくるのではないかと思えてならないのだ。筆者の思考の中で、次から次へとアイディアが浮かび、古代史の謎がひとつずつ解けていく様は、私個人の力ではなく、何か大きな力に動かされているのではないかと、最近つくづく思うからである。あるいは、歴史を教訓に、人類は新たな文明を築かなくてはならないということだろうか。(p.5)

 

<了>
 

  関裕二・著の読書記録

     『ここまで解けた!「古代史」残された謎』

     『蘇我氏の正体』