1920年代生まれの京都大学と国学院大学の著名な先生による対談。副題に、『先代旧事本紀』の復権とあるけれど、学会が偽書と判定していても、民間の古代史研究家たちは、「そんなはずはない」 という確信のもと、昔から『先代旧事本紀』については多くの書物の中で言及されていた。日本史学会という学問の世界の方が遥かに遅れている。「何をいまさら」という感じである。2004年2月初版。
【トラウマ】
(『先代旧事本紀』は)江戸時代に多田義俊が「偽書だ」と言いだして以来、明治の学会はほとんど全面否定ですね。 ・・・(中略)・・・ 私が「国造本紀」を論文に引用したら、そんな非科学的な引用と叱られたくらいです。(p.13)
『先代旧事本紀』の成立年代は9世紀? と言われているらしい。
【編纂年代】
編纂年代でいくと、 『古事記』 が和銅5年、 『日本書紀』 が養老4年ということで8年の差があるけれど、内容的に見ると 『日本書紀』 の方に古いものが残っていたりもします。(p.23)
その具体例は、
『古事記』 の神話には大日孁貴(おおひるめむち)という名は出てきません。しかし 『日本書紀』 には、天照大神が最初に登場するところに大日孁貴という名が出てくるのです。この「孁」という字には「巫女」という意味があります。 ・・・(中略)・・・ その点では 『古事記』 の方が新しい解釈をしていると見て取ることもできるわけです。(p.27)
つまり、記紀はそれぞれ別の目的があって作られているのだから、編纂年代にとらわれることなく、それなりに読みとる必要がある。だから『先代旧事本紀』についても、書かれたのが何時であろうと読みとるべき内容があるものとして注視すべきであると、当たり前のことを言っている。
【天孫降臨以前】
天孫降臨とは、一般的に神武天皇から始まる歴史のことだけれど、
天孫降臨とは、一般的に神武天皇から始まる歴史のことだけれど、
天孫降臨に先行して天降った神の伝承は 『古語拾遺』 にも書いてありません。 『古事記』と『日本書紀』では、ちらっとは書かれていますが、詳しくは書かれていません。詳しい神話伝承は『先代旧事本紀』のみが伝えているのです。(p.52)
『先代旧事本紀』では、天孫降臨以前に、大和にはすでにニギハヤヒノミコトという先住の王がいて、その王は物部氏の先祖であると書かれている。学会がどうであろうと、こんなのは民間の古代史研究家たちにあってはあまりにも一般常識である。
【アマテラスと西王母】
天照大神が織っているのは神にささげる衣なのです。つまり旗を織っている女神です。もちろん日神の信仰ももとにあるのですが、さらに道教の西王母の信仰が重なっているわけです。(p.57)
西王母と東王父というのは、道教の最高の仙人であり、西王母が織女、東王父が牽牛で、七夕信仰の元になっている。織女ということで天照と西王母は共通している。
【日本神話の特徴】
《参照》 『宇宙戦争 ソリトンの鍵』 光悠白峰 (明窓出版) 《後編》
西王母も、妙見(北極星)信仰も、平安時代に活躍した陰陽師たちも、星の神々に関わるものであって、日本の天皇家が行う日月の祭祀のエッセンスとは直接かかわりない。
鎌田 : 日本神話の時代に、星の神さまがでてこないというのはなぜなのか。 ・・・(中略)・・・ 。
上田 : それは非常に大事な点で、日本神話の一つの特徴です。ギリシャ神話でも中国の神話でも朝鮮半島の神話でも、星の神というのはたくさん出てきます。(p.62-63)
日本神話に、星の神さまがでてこないのは、日本の霊統が太陽と月を基としているからだろう。上田 : それは非常に大事な点で、日本神話の一つの特徴です。ギリシャ神話でも中国の神話でも朝鮮半島の神話でも、星の神というのはたくさん出てきます。(p.62-63)
《参照》 『宇宙戦争 ソリトンの鍵』 光悠白峰 (明窓出版) 《後編》
【月の祭司】
伊勢神宮で行われている祭司の中に道教的なるものが多く見られようと、道教が日月の法則をある程度理解していたのであって、日本が道教から取り入れたのではない。『先代旧事本紀』は出雲を非常に重視した系譜伝承をつくっているけれど、天孫降臨以前に、出雲王朝があった頃、その影響範囲は中国大陸の四川省付近まで及んでいたのであり、その当時の出雲王朝のエッセンスが道教として中国に残っていたのである。西王母も、妙見(北極星)信仰も、平安時代に活躍した陰陽師たちも、星の神々に関わるものであって、日本の天皇家が行う日月の祭祀のエッセンスとは直接かかわりない。
【「神宮」「神道」という用語に関して】
「神宮」という用語は 『詩経』 にあるし、「神道」という用語は 『易』や『後漢書』に見られるからということで、以下のように書かれている。
そもそも津田先生は、「同じ儒教とはいえ、日本と中国の思想は全く異なっている」と書いている。儒教より道教の方が古い思想とはいえ、儒教について言えることが道教にはあてはまらないとは言えないだろう。だのに何故、文字としての用語が一緒だからといって、日本の神道の祭祀が中国の道教からきているなどと考えるのだろうか? 単純・短絡の度を越しているだろう。
《参照》 『歴史から消された日本人の美徳』 黄文雄 青春出版社
殆ど参考にならないけれど、以下の読書記録もリンクさせておく。
《参照》 『道教と日本文化』 神道国際学会編 たちばな出版
「神宮」という用語は 『詩経』 にあるし、「神道」という用語は 『易』や『後漢書』に見られるからということで、以下のように書かれている。
ですから「神道」という用語も「神宮」という語も、もっというなら「天皇」という用語も、津田左右吉先生が研究されたとおり、北極星の神格化である道教の「天皇大帝」からきていると考えられます。(p.136)
天皇という称号のルーツはといったら、はやり道教と言わざるを得ないでしょう。(p.223)
同意できない。理由は先に書いた。天皇という称号のルーツはといったら、はやり道教と言わざるを得ないでしょう。(p.223)
そもそも津田先生は、「同じ儒教とはいえ、日本と中国の思想は全く異なっている」と書いている。儒教より道教の方が古い思想とはいえ、儒教について言えることが道教にはあてはまらないとは言えないだろう。だのに何故、文字としての用語が一緒だからといって、日本の神道の祭祀が中国の道教からきているなどと考えるのだろうか? 単純・短絡の度を越しているだろう。
《参照》 『歴史から消された日本人の美徳』 黄文雄 青春出版社
【歴史学者、津田左右吉の慧眼】
古代においては祭祀こそが全ての中心だったのであり、それが異なっているからこそ民族の思想、精神傾向に違いが生ずるのである。日本は日月(太陽と月)の祭祀を中心とする国である。北極星ではない。殆ど参考にならないけれど、以下の読書記録もリンクさせておく。
《参照》 『道教と日本文化』 神道国際学会編 たちばな出版
【レガリアは3種?】
王位・王権のシンボルを「レガリア」と申しますが、・・・(中略)・・・ 実際に天皇の即位などの場合、明記されているレガリアは2種なんです。
具体的に書いてあるのは、例えば 『日本書紀』の継体天皇の即位のところには鏡と剣の2種のレガリアが明記されています。持統天皇の即位のところも鏡と剣です。(p.115)
三種の神器と言いますが、そういう表現も実は新しく、実際には鏡と剣の2種だけがレガリアとされている例が多いのです。(p.116)
勾玉もレガリアなのだろうけれど、一般的には、玉(貴石)は波動調整装置的な機能をもっているもので正しく使われればそれなりの効果を発揮する。しかし、玉(たま)は霊(たま)でもあり、無形なものだから物として記述されていないのだろう。あるいは、 “玉”や“珠” はノウハウを示している場合が多いからではないだろうか。具体的に書いてあるのは、例えば 『日本書紀』の継体天皇の即位のところには鏡と剣の2種のレガリアが明記されています。持統天皇の即位のところも鏡と剣です。(p.115)
三種の神器と言いますが、そういう表現も実は新しく、実際には鏡と剣の2種だけがレガリアとされている例が多いのです。(p.116)
【物部氏】
『先代旧事本紀』に強く関わっている物部氏について、
因みに、物部氏と切り離せないフツノミタマノツルギを、この本では 「韴霊剣」 と表記している。
この本の表紙に描かれている七支刀は、華道の原型ともいわれているけれど、本来はユダヤのメノラー(メノーラー)という燭台を原型としているのだろう。百済を経由し収まるべくして石上に収まっていた。日本にある主要な神社は、遠い昔、日本を出ていった人々が中東近辺で国を造り、やがてユダヤ人として日本に帰還した時に作られている。
《参照》 日本文化講座 ④ 【 日本と古代キリスト教の関係 】
『先代旧事本紀』に強く関わっている物部氏について、
物部の「物」には、「もののふ(武)」の「もの」という意味ももちろんあります。
しかしもう一つ、 ・・・(中略)・・・ 物の怪と言いますね、つまり英語で言えば「デーモン」です。スピリットに対するデーモン。凄まじい霊力ですね。それは古代のやまと言葉では「もの」と言ったのです。(p.128)
物部氏は軍事においても重要な役割を果たしますが、同時に神祀りもやる。しかしその神祀りは、中臣などの神祀りとは違って、呪術的な要素が非常に強い。(p.129)
神武天皇が天孫として日本に降臨する以前から、日本は呪術国家である。
しかしもう一つ、 ・・・(中略)・・・ 物の怪と言いますね、つまり英語で言えば「デーモン」です。スピリットに対するデーモン。凄まじい霊力ですね。それは古代のやまと言葉では「もの」と言ったのです。(p.128)
物部氏は軍事においても重要な役割を果たしますが、同時に神祀りもやる。しかしその神祀りは、中臣などの神祀りとは違って、呪術的な要素が非常に強い。(p.129)
京都に都が移るときには、石上から武器を移しています。石上は武器庫になっていたわけですね。百済の国から入ってきた七支刀が石上にあります。そういう神宝類はだいたい石上に入っています。それを守っているところですから。
そういうところから考えると、あそこにいた宮司に当たる職の誰かが『旧事本紀』を書いた可能性は高いと言えるでしょう。石上に伝わる古代の伝承を、そのまま伝えたのかもしれません。(p.129-130)
通常、神宮と名のつくところは伊勢神宮だけなのに、それ以外に唯一物部氏の拠点であった所は、石上(いそがみ)神宮と言われている。そういうところから考えると、あそこにいた宮司に当たる職の誰かが『旧事本紀』を書いた可能性は高いと言えるでしょう。石上に伝わる古代の伝承を、そのまま伝えたのかもしれません。(p.129-130)
因みに、物部氏と切り離せないフツノミタマノツルギを、この本では 「韴霊剣」 と表記している。
この本の表紙に描かれている七支刀は、華道の原型ともいわれているけれど、本来はユダヤのメノラー(メノーラー)という燭台を原型としているのだろう。百済を経由し収まるべくして石上に収まっていた。日本にある主要な神社は、遠い昔、日本を出ていった人々が中東近辺で国を造り、やがてユダヤ人として日本に帰還した時に作られている。
《参照》 日本文化講座 ④ 【 日本と古代キリスト教の関係 】
【崇仏と廃仏】
《参照》 『失われたアイデンティティ』 ケン・ジョセフ 光文社 《後編》
蘇我氏が崇仏で物部氏や中臣氏が廃仏とみんなが言うのは、『日本書紀』に書いてあるからです。『古事記』にはもちろんそんなことは書いてありません。(p.174)
『先代旧事本紀』にも『古語拾遺』にも書かれていない。《参照》 『失われたアイデンティティ』 ケン・ジョセフ 光文社 《後編》
【聖徳太子と仏教を結びつける確証はない】
【日本の特質】
それは、日本が “霊(ひ)の元” の国だからなのであろう。天皇家が血縁を無視しているわけではないけれど、天皇を定める第一条件はDNAではなく三種の神器というレガリアなのであろうし、より本質的には天皇霊の継承によるのである。霊主体従のお国柄であるということ。
物部氏とか中臣氏という場合の「氏」、これに相当するのを英語では「クランClan 」と言いますね。そのためクランは日本の氏族と同じ性格を持つものだと思われがちです。 ・・・(中略)・・・ 日本の氏族は、クランとは異なって政治的従属関係で非血縁者を含む場合もあるのです。(p.198-199)
日本は、中国や韓国ほど父系制を強固に維持していないけれど、日本人はむしろ世界的に見て血縁をそれほど重視していない傾向があるのである。子孫が途絶えた場合、両入りで家が継承されている例などいくらでもあるはずである。それは、日本が “霊(ひ)の元” の国だからなのであろう。天皇家が血縁を無視しているわけではないけれど、天皇を定める第一条件はDNAではなく三種の神器というレガリアなのであろうし、より本質的には天皇霊の継承によるのである。霊主体従のお国柄であるということ。
『先代旧事本紀』に言及している読書記録。
《参照》 『聖徳太子の「日本が沈む日」秘書 『未来記』 の真相』 友常貴仁 三五館
《参照》 『聖徳太子の「日本が沈む日」秘書 『未来記』 の真相』 友常貴仁 三五館
【過去に千年、未来に千年、自由自在に行き来した聖徳太子】
《参照》 『知っておこう!日本の国歌 君が代』 五十嵐直詞 リーブル
<了>