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【 「法華経」 と 「ヨハネの福音書」 】
 冨山昌徳も、 「『(法華経の)寿量品』 は、新約聖書 『ヨハネの福音書』 の教えを換骨奪胎(焼き直し)してできたものと考えられます」 と述べています。 (p.255)
 法華経にいうところの 「久遠実成の仏」 は、「永遠のキリスト」 に対応している。 「一乗妙法」 は、「誰でもキリストによって神の子になれる」 という思想と同じ。

 

 

【日本で 『法華経』 が尊ばれた訳】
 仏教学では、「個人の解脱を願う小乗仏教から、大衆の解脱を願う大乗仏教へと発展していった」 と解釈されている。ならば、それは “仏陀の智慧“ に、トマスをはじめとする東方キリスト教会が東洋に伝えておいた ”キリストの愛” が融合することでそのように発展していったと言えるのである。
 学校で公式に教えている日本への 「仏教伝来」 より以前に、古代キリスト教は日本へ伝わっていたのだから、日本人にとって、大乗仏教経典であるところの 『法華経』 が最も相応しいものとして選ばれたのは、不思議というより当然のことになろう。

 

 

【聖徳太子と仏教を結びつける確証はない】
 聖徳太子を記念してつくられた大聖勝軍寺(大阪府八尾市)という寺があります。その境内には、守屋の墓があります。物部守屋が手厚く葬られていて、木造の守屋像が祭られています。しかし、その物部守屋像の後ろには、聖徳太子像が立っているのです。その光景は、とうてい敵対関係にはみえません。むしろ聖徳太子が物部守屋を追悼 mourn し、保護 protect しているように見えるのです。(p.253)
   《参照》   『もう朝だぞ!』  友常貴仁  三五館
           【聖徳太子の本質と、日本列島に宿る神々の魂霊】
   《参照》   物部守屋神社


【聖武天皇と光明皇后】
 聖武天皇といえば、741年に 「国分寺建立の詔」 を発し、日本を仏教国家として完成させていった人物のように思われるけれど・・・、
 その詔には、「あまねく景福を求め・・・・」 という表現がみられます。 
 じつはこれは、「景教的幸福」 の意味で、中国の景教徒たちが盛んに使っていたのです。(p.262)
 聖武天皇の后である光明皇后は、病人や孤児を保護する施設を造ったことで有名である。
 日本の景教の研究者たちは、光明皇后は李密医から、聖書を読んで聞かされていたという。それは 『マタイによる福音書』 の第8章が中心である。・・・中略・・・。そこには、イエスによる病人の癒しが書いてある。
 ・・・中略・・・。
 京都大学の池田栄教授によると、さまざまな調査から、日本に最初の孤児院を作ったのは 「カラ」 という景教徒であったといいます。この人物も李密医といっしょに来た人物です。このような、現代では慈善事業と呼ばれることを、当時の仏教徒はしませんでした。仏教には慈善の考え方や実践はなく、個人的に 「悟り」 を得て 「最高の知性」 を得ることが教義の中心でした。そして、日本が政治的に取り入れた仏教は、国家安泰、鎮護のための仏教でした。(p.264)
 景教(キリスト教)徒の思想や実践まで、仏教思想によるものと勝手に解釈しようとするのは、換骨奪胎に近い仏教徒側の独善である。

 

 

【高野山ではお坊さんが十字を切る】
 日本のアカデミックな人たちは、空海と景教のつながりを、なぜか否定しようとするのです。しかし、自分達がなにかよく知っている高野山のお坊さんたちは、「ええ、うちは景教からきていますから」 と、いとも簡単に認めるのです。(p.273)
 密教も、仏教学的な分類では 「後期大乗」 であるから、12使徒の一人であるトマスが伝えた東方キリスト教思想との融合を無視することはできない。
 密教の教義にある 「三身即一」 は、キリスト教の 「三位一体」 と思想的には同じであろう。三身とは、報身・法身・応身を意味している。 「潅頂」 という儀式は、キリスト教の 「洗礼式」 に対応する。密教の法具として用いられる火舎香炉も、キリスト教の儀式で用いられる香炉に似ている。密教は “景教と混合した仏教” というべきものなのだろう。


【空海と最澄・真言宗と天台宗・新約聖書と旧約聖書】
 空海の出身地、讃岐(香川県)は、じつは秦氏の人々が多く住んでいるところでした。また空海の先生であった仏教僧 「勤操」(758-827) も、もとの姓を秦氏といったのです。(p.274)
 当時の空海の仏教僧としての位は決して高いものではなかった。それでも、遣唐使に選ばれたのは、こうした人脈的背景があっての故であったという著述は何冊も読んだことがある。
 空海といっしょに、後の天台宗の開祖・最澄も唐に渡りました。そして、最澄は 「旧約聖書」 を持ち帰り、一方の空海は 「新約聖書」 を持ち帰ったということです。(p.274)
 ここまで書いてある本は、かつて出会ったことはない。

 

 

【阿弥陀信仰】
 キリスト教では、イエスの救いを信じて、その御名を呼び求める者は誰でも救われると教えるのです。また、阿弥陀信仰自体、原始仏教にはなかったものでした。仏教史学の権威アルティ博士は、「阿弥陀仏の教義は・・・インドでつくられたものではない。中国仏教は、カシミールやネパールから伝来したもので、阿弥陀仏は、当時この地方に影響を与えたペルシャのゾロアスター教と、キリスト教に起因する」 と述べています。(p.282)

 

 

【日本の仏教】
 日本には、本来的な仏教はほとんどありません。かつて京都で世界仏教大会が開かれたとき、東南アジア各国から集まった代表者たちは、日本の仏教を見て、「これでも仏教か?」 と驚いたといいます。それくらい、変っている。(p.287)
 多くの日本人が、仏教と思っている世界には、キリスト教の影響が既に十分入っていることは否定しようもない事実である。こんな日本の仏教を、 “変わっている” と解釈するより、 “変貌すべき最終形体の様相を示している“ と考えるべきなのではないだろうか。
 なぜなら、世界各地で活躍していた世界史に関わるほどの人物は、おしなべて直感力に秀でた霊覚者としての能力を程度の差こそあれ有していたのであり、争いの絶えない世界に起居する彼らが “平和と安寧“ を希いつつ、その実現を可能にする地を求めたとき、それは ”極東の島国・日本“ であることを知っていたからである。民族の移動と共に、世界各地で様々な思想が混合・融合するより先に、民族の中で、高度な霊格を持った中心となる人々は、先んじて日本に到達していたからなのである。

 

 

【戦争でメシを食い続ける西洋とは、一線を画す】
 私はこの国の 「絶対平和主義」者でも、ナイーブな「反戦論」者でもありません。ただ、日本は戦争をしないことで、そのユニークな立場を守り続けるべきだと思うだけです。これが、聖徳太子の時代からキリスト教精神を培ってきた日本の伝統だからです。(p.381)
 100%、同感。 
 
 
<了>