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 著者は世界にまたがってボランティア活動をしている人で、メディアにも時々出てくるから、その顔を知っている人々も多いことだろう。
 日本人は自らのルーツをはっきり認識することで、アイデンティティを明確にすれば、もっと確たる民族になれるであろうという主旨の著作。著者のルーツはイラク北部方面のアッシリア人だという。

 

   また長い読書記録を書いてしまったから、文字制限上3つにわけざるを得ない。
   日本人の文化的ルーツに関する記述は、《中編》と《後編》に、
   《前編》には、ボランティア活動の実体験から興味深いところを書き出す。

 

 

【中東の人々の日本認識】
 1991年の湾岸戦争時に救援活動をした著者の経験では、
 このときの救援活動は、なんと1年間にもわたり、私は本当に多くのことを学びました。
 その最大の収穫は、アラブの人々がみな、日本が好きだということを知った点です。私が 「日本から来た」 と言うと、「それは素晴らしい。日本は、あの第2次世界大戦以降1度も戦争をしていない。こんな国は世界にないよ」 とみな口々に言うのです。(p.85)
 中東の住人はすべてアラブ人というわけではない。中東には著者のルーツとなるアッシリア人なども多く住んでいる。著者はアメリカ人であるけれど、祖先の地はアッシリア人の多く住むイラク北部の町モスルだという。祖父母は今でもそこに住んでいる。

 

 

【日本航空とヴァージン・アトランティック航空】
 ボランティア活動をしている著者たちにとって、渡航費用というのは最も大きな問題である。しかし、当時の外務報道官であった渡辺泰三さんの計らいで日本政府がチャーターした日本航空の便に同乗することができたという。ところが、日本航空は最初からボランティアの搭乗を拒み、あろうことか後々まで請求書を送りつけてきたという。
 一方、ヴァージン・アトランティック航空はというと、オーナーへ電話一本入れただけで了解してくれたという。そして、救援活動を終え、中継地のロンドンから日本に帰る日、ヒースロー航空に行くと、なんとオーナーであるリチャード・ブランソン本人が空港まで見送りに来てくれて、航空券を一人ずつ手渡し握手してくれたという。
 このとき、私たちは、シャワーも浴びていないし、とんでもない汚いカッコウをしていました。しかも、航空券を見るとファーストクラス。さすがに気が引けました。・・・中略・・・。
 すると、ステュワーデスたちが、乗客に説明を始めました。
「じつは、いまから搭乗する人たちはヨルダンの難民キャンプからの帰りのボランティアです。いわば、ヒーローです。どうか、彼らを拍手で迎えてください」
 このフォローには感激しました。乗客たちは歓声をあげ、「お疲れさま」 「ありがとうございます」 で、私たちは握手攻めでした。(p.107)
 素晴らしいエピソードではないか。この書籍の主旨とは直接関係ないけれど、この部分が最高である。
 日本航空と同様に欧米系の航空会社のサービスを褒めたたえる話しを聞くことは少ない。「英国航空の乗務員は露骨に客を見下す」 という逆の話なら耳にしたことがある。そんな中でヴァージン・アトランティック航空は異彩を放つほどにサービスの行き届いた会社のようだ。ヒースロー空港では、ヴァージンのカウンターばかりに長蛇の列が出来ていたのを覚えている。機内でひざまずき自ら目線を下げて対応してくれていたスチュワーデスの笑顔まで思い出してしまった。
 リチャード・ブランソン Richard Branson といえば、母国イギリスではベンチャー経営者として大成功したことで、ビートルズに次ぐ大ヒーローです。なぜ、彼がそれほど人気があるのかというと、いくらお金持ちになっても、自分がワーキングクラス(労働者階級)の出で、高校も満足に卒業できなかったという原点を決して忘れないからです。(p.105)

 

 

【役人の救援】
 1993年7月に起きた北海道南西沖地震でボランティア救援に行ったときのことが書かれている。
 役人は対策本部と称して、町役場の暖かい部屋の中に場所を確保し、被災者や遺族は戸外の寒いところにダンボールを敷いて震えていたのだという。これを見た著者は無性に腹が立って仕方がなかったという。
 違うんじゃないですか。お前ら、ちょっと客席から降りろ。遺族らが主人公だ。(p.351)
 と言って、役場の中に遺族のスペースを確保したのだという。
 まったく、お役人の馬鹿さ加減というか精神の腐敗ぶりはドン底である。「被災者を助けてやってるんだ」 とでも言う気なのか。
 お役人はシステムの回復に全力をあげるだけで、市民生活の常識に気づかないのです。だから、神戸などでは、最後の頃になると、役所も役人も不要だということに市民たちは気づいてしまいました。(p.374)

 自衛隊は独立した軍隊ですから、被災地の人々とは食べ物まで違います。みなさんは多分知らないでしょうが、自衛隊員には、1日3食、必ずステーキとかエビとかが入ったお弁当、あるいはキャンプでの十分な食事が支給されます。しかし、被災者たちは、一時は食べ物にも困り、避難所で朝から晩までまずいおにぎりやラーメンを食べているのを見ると、私は腹が立つというより、悲しくなるだけでした。なんで日本はこんな国になってしまったのでしょうか? (p.366)
 中越地震のテレビ報道で、被災者の男性が、「ロクな食べ物がない」 と不満を言っていたのを見たときには、その感謝の 「か」 の字もない無神経かつ傲慢な発言にウルトラ唖然としものであるけれど、これを読んで、「もしかしたら、その被災者は自衛隊員の食事を見ていたから、あんなことを言ったのではないだろうか」 と思ってしまった。
 傍観者の立場でいるばかりの私が偉そうなことはいえないけれど、日本人は総じてお役人化しているのではないだろうかと思えることが最近は非常に多い。この本の著者のボランティア体験を読んで、さらにその思いを強くしてしまった。
 こういった無神経なことを平気でしているのは、実は、お役人ばかりではないだろう。例えば、巷の宗教団体とかいう集団の中にも見られそうなことである。奉仕者と称する人々が、奉仕される側の人々の長い行列をふんぞり返って眺めているのである。そういったお役人のような奉仕者を有する宗教団体の職員は、おそらく別室で貴族的な待遇に住み慣れているのであろう。役人組織の写しであるかのような腐りきった宗教団体であるか否か、自分自身の純粋な瞳をもって判別すべきである。
 著者は、キリストの言う “アガペ(無償の愛)“ を実践する、本当に正しい生き方をしている人のようだ。

 

 

【サダム・フセイン独裁政権】
 アッシリア人に限らず、多くのイラク人がみな同じ答えをいうのです。
 「平和よりも戦争だ」
 こうなると、さすがに私も考えを変えざるを得ません。人間は間違えたら、潔く認めなければなりません。イラク人にとって、サダム・フセイン独裁政権は、平和と引き換えにしても妥当すべき存在だったのです。(p.124)

「戦争になれば街は破壊される。多くの人たちが犠牲になる。それでもサダムがいなくなるのなら、その方がマシだ。私は死んでもかまわない」
 この父の従兄弟の言葉を、私は、いまでも忘れません。ティアリの人々を襲った悲劇は、話を聞けば聞くほど、いくらでも出てきました。(p.128)
 9・11テロという大規模なでっち上げを仕組んだ影のアメリカ政府が関与したことであるから、「イラク戦争も石油の利権に絡んだアメリカの謀略に決まってる」 と考えてしまいがちだけれど、サダム・フセイン独裁政権に関しては、「毒を持って毒を制した」 と考えよう。

 

 

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