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 マンガで描かれているし、全ての漢字にはふりがなが付けられているから、小学生向けに作成されたのであろうが、内容は大人向けである。子どもには理解しづらい記述になってしまっているように思う。
 口頭で語られた会話を忠実に文章化しているようであるが、このような文章というものを読んでみると、文法的にありえない記述になってしまっていることが多いのである。そのような文章のために、たいそう読みづらい本になっている。もったいない。


【「君が代」の出典】
 明治2年(1865年)に国歌の必要性から、新政府の陸軍要人薩摩出身の大山巌らが、その国歌とする歌詞を、故郷の年賀や祝賀のさい歌われていた薩摩琵琶、蓬莱山の一節の「君が代」を選びだしていた。そして、その薩摩琵琶の「君が代」のルーツはと遡及すれば、『旧事本紀』第62巻「詠歌本紀」になる。(p.80-95)

 『旧事本紀』とは聖徳太子が著したものであるが、聖徳太子なき後、いっさい隠されてしまったという経緯もあり、国学論争の激しかった江戸時代に、本居宣長らがこの『旧事本紀』を偽書として排撃してしまい、以来、学術界でも偽書として扱われ続けていたそうである。(今もかも?)
 本居宣長は歌人の系譜にある人であるから、日本古来の短歌に秘められた言霊にその重要な意義を見出していたのに、圧倒的な霊覚者であった聖徳太子の著作を評価できなかったということが、私には不思議である。この本には、
 江戸幕府の御用学者(加茂真淵や本居宣長など)が、皇統連綿天皇の真の国学を書けるわけがない。彼らは儒学者で、儒学とは中国の学問です。(p.82)
と説明されている。
 そういうわけで、「君が代」の出典は、江戸時代の国学者・本居宣長が残した、“古今和歌集収録の我が君”である、という説が長いこと信じられてきたそうである。今でも語っている学者がいるならば、単なる権威主義者ということなのでしょう。東大派の学風は正に儒学的です。いい意味で礼節は保たれているのですが、儒学の持つ権威主義が悪しき側面として立派に保たれてもいるようです。
 このような妄信が成立していたもう一つの別な理由は、和歌の世界で認められていた本歌取りという手法による類歌が多く存在し、本歌が特定しづらかったことがあるそうです。


【「君が代」の解説】
 「君が代は・千代に・八千代に」 の句節は、それぞれ、「現在・過去・未来」を表し、三世の生命の働きが秘められている。日本人の魂には、永遠の生命観が息づいている。 (p.118)

 松平阿壽加先生という神話学者の 『日の本のやまと』(1981年刊) の中には、「日本の昔の呼び名は、大八島国ここに八百万の神がいる。日本の伝承は八心を思い兼ねると言う形で伝えられ八っの道義が順を追って実現する。これは八百万の神々が睦みあう外に道はない、つまり大和合しなければ安穏に暮らせない」 と書かれている。八の字は未来を意味します。 (p.121)
 
「さざれ石の・巌となりて」 の句説は、それぞれ、「国民・天皇」 を表している。「なりて」 は 「心がひとつになる」 という深い意味があるのだという。単に 「細かい石が、岩に、成る」 という長い時間を表すとする解釈は、加茂・本居説の単なる踏襲である。 (p.125-126)

「苔のむすまで」 は、「自分の亡骸に苔が生えるまで」 と言っている。 (p.131)
『万葉集』 の大友家持の歌、「海ゆかばみずく屍、山ゆかが草むす屍」。この 「みづく屍」、「草むす屍」、「苔むす屍」 は同意義で、「苔のむすまで」 の間には 「屍(亡骸)」 の字が隠されているのです。
 日本人は、昔から、ことがあれば我が身を捨てて家のため、国のために命をささげる。この大戦がよい例だ。例え山野に屍をさらそうとも、命を惜しまない強い信念がある。これが古来からの日本人の精神。(p.132-133)



【「君が代」の作曲者は】
 最初は、イギリス公使館の軍楽隊長フェントンに依頼したが、日本人にはなじめず、止むなく海軍のドイツ人エッケルトに依頼したがこれもなじめず、最後に(宮内庁の)雅楽部に依頼。作曲者は林廣守さん。(p.174-175)


【「君が代」の法的根拠は?】
 共産主義者の愚かな知性が、このような 「法的根拠は?」 という質問をしてくる。
法とは、国によって、時代によって違うのが当たり前。日本の憲法は外国で通用しない。江戸時代の諸法度は現代社会に通用しない。
 長い年月を経ても変わらない習慣は、特別に国で法律を制定しなくても、この習慣こそが立派な法的根拠となる。 (p.185-192)


【その他】

 日本の文化や皇室について深い理解を示した外国人の名前と著作がテンコモリ(p.198-202)記述されている。
 また、諸外国の国歌の歌詞が日本語に翻訳されており、「君が代」 との歴然たる違いを明白に示してくれている。

 非常に素晴らしい内容を多く含んでいるのに、マンガ仕様のこの本は、とっても読みづらい。国際交流の現場に立つ可能性の高い大学生用に、内容を整理し再編集して、マンガではない本を作って欲しいと思う。

 

<了>