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 大峯山を巡る神霊界が、昨日の読書記録と重なるので読んでみた。
 著者は神道家。著者は、聖徳太子、役の小角、行基、最澄、空海、日蓮などと共に、あたかもその時代に生きていたかのように、日本の神仙界を活き活きと語っている。
 ここに全てを書き出すことはできない。少しくこの時代の宗教世界を知っている人なら喝目すべき内容の書籍であることに気づけるはず。


【役の小角】
 役の小角は聖徳太子の死後十数年目に生まれました。役の小角の一族、加茂族のご先祖さんはスサノオの尊といわれています。加茂族のいるあたりにはお寺が一切ない。神社だけです。
 龍猛・龍智・金剛智・不空・善無畏三蔵・一行・恵果・空海と続く真言密教。その基となる龍猛が役の小角に密教を直伝したわけです。これが日本の山岳宗教の始まりであり、修験道の始まりであります。(p.100)



【行基】
 聖武天皇は国家鎮護のために、奈良の大仏を作りました。この大仏の開眼供養を行基に依頼したのです。行基は遊行僧のように定住せず土木工事を行いながら民衆を助けてもいたのですが、当事の最も秀でた霊覚者でした。
 行基は、天皇の御心に叶うようにと、伊勢の二見が浦で命がけの修行をしたのです。ところが、開眼供養を前にして行基は死ぬのです。開眼供養の法要を実際にしたのはインド人のお坊さんです。行基は奈良の大仏さんに本当の仏様が宿るようにと祈り、最後は己の命と立て替えたわけです。 (p.121-126)



【空海】
 奈良の大仏で霊告を受けた空海は、久米寺へゆき『大日経』を手にする。しかし大事な部分が梵語でかかれていたため中国に行かねばならないと決意。しかし、次の遣唐使船まで7年ある。これを。「空白の7年」 という。この間、空海はおそらく役の小角や行基の辿った山岳宗教、修験道の霊跡をずっと巡っていたのでしょう。この間にすごい霊力をみにつけたのではないかと思います。
 唐に渡った空海は、
長安(現:西安)の青龍寺で恵果に出会い、わずか3ヶ月の期間に密教をマスターして、密教の第八祖となり、日本に帰還した。 (p.127-140)


【大峯山に現れた三宝荒神・蔵王権現】
 役の小角が大峰山で祈りを込めていると紫色の雲がたなびき、異形の神が表れた。三宝荒神である。「大峯の九山九川、これわが本体なり」。要するに、大地の金神、艮の金神、国常立大神ということです。「忍耐をもち、精進する人間をわれは守る」・・・・ (p.167-172)
 役の小角が、「皇室のため、国のため、民のために・・」と祈っていたら、顔が3つある蔵王権現が現れた。顔が三つということは、3仏が合体しているということです。釈迦牟尼仏・観世音菩薩・弥勒菩薩。この3つが合体して出てこられたのが蔵王権現です。
 三宝荒神と蔵王権現はインドの神様でもないし、中国の神でもない。メイド・イン・ジャパンの仏様です。 (p.172-180)



【慧思と鑑真】
 慧思は天台宗を開いた中国仏教の大成者・智顗のお師匠さん。慧思には伝説があり、慧思は日本に生まれ変わっているといわれていました。それが聖徳太子であるという説があります。その日本に生まれ変わっているであろう慧思を求めて日本にやってきたのが鑑真和上です。
 5回も渡航に失敗しそれがために失明してまで日本にやってきた鑑真。唐招提寺を開き小乗仏教の戒壇を開きました。



【最澄と空海】
 この2人には、『理趣釈経』の貸借を巡る葛藤や、弟子を巡るトラブルから不仲説が言われている。しかし、比叡山に大乗仏教の戒壇をつくることを望んでいた最澄であったが、叶わずに亡くなった7日後に成就している。これは空海の働きかけがあったためですから、それほどの不仲でもない。やっぱり仏法のために生きるという、大きな義の心があったと考えるべきでしょう。(p.190)


【聖徳太子が『三経義疏』を著した理由】
 『三経義疏』とは、『法華経』、『勝鬘経』、『維摩経』のこと。この三つのお経を選ばれたということは、神道と惟神の道を踏まえたうえで仏教を咀嚼していたと言ってよいでしょう。 (p.193-197)


【梅と桜】
 神界の教えを象徴するのが梅。それに対して、パッと咲いてパッと散る桜は人の心を表す仏界の木。桜は仏様の悟り、心の有様を表しています。 (p.148)


【審神のポイント】
 正神界のものと邪神界、あるいは兇党霊界のものを分けるのは真心の一点。これが正邪を分別させる審神のポイントなのです。 (p.62)

 では、真心って何かというと、「愛をもって帰一するを真心となす」 だから、「最後を愛で締めくくる」 のが真心。 (p.63)


【神仙界に行く三つの方法】
 この本のタイトルの回答。
1:板鋏みになる(現実界の困難に直面する)。(p.36)
2:<あえて書きださない>
3:神仙界のことを何も考えないで、人の幸せだけを一生懸命祈る。 (p.285)

 

   《参照》  深見東州・著の読書記録

 

<了>