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 55歳のオバちゃんが、ジョージア州コロンバスにあるカレッジで、日本語教師をしていた9カ月間の体験談が書かれている。1994年初版。
 日本語教師の経験のあるオバちゃんといっても本職はシナリオライターさんだから、流れるような文章を読みながらアメリカ南部の様子を楽しく学びつつ随所で笑ってしまう。やはり体験談は面白い。

 

 

【アトランタとコロンバス】
 アトランタはコカコーラ発祥の地である。ペプシを飲む人はほとんどいない。(p.26)
 ジョージア州の州都アトランタは南部の中心ともいえるような都市なので、自動車産業を中心とする日本企業が数多く進出している。故に現地人の日本語学習熱が比較的高い所なのだろう。
 著者が日本語を教えていたカレッジのあるコロンバスは、アトランタの南南西200km程の所にある。コロンバスは、アメリカン・ファミリー・インシュアランス(=アフラック)の本社がある所でもある。

 

 

【日本語の神秘?】
「じゃ、私が日本語で発音してみますね。ジョージア」
 1つ1つの拍に合わせて、手を打ちながら発音する。
「ジョ・オ・ジ・ア。何とシラブルは4つです」
 生徒達はシーンとして、不思議なものでも見るように私の顔を見ている。日本語の神秘に触れた顔だ。計算通りの反応である。(p.42)
 こんなことに “日本語の神秘” と書かれていてがっかりもするけれど、外国人にとっては、このようなアクセントのない発音はやはり “神秘” なのである。 チャンちゃんも外国人に、 “日本語の上手な読み方は、アクセントをつけずにダラダラ読むこと“ と言っている。 ”何故だ?“ と云いたそうな顔が見えたら、 ”日本人は穏やかだから“ と言うことにしている。神秘と思ったことは全然ない。

 

 

【徒党を組む日本企業の奥さん達】
 “日本人はどこへ行っても固まる” の評判通り、ここの日本企業の奥さん達もまたガッチリと徒党を組んでいた。・・・中略・・・。
 私は、そういうグループに組み込まれないよう極力警戒した。今まで何人もの日本語教師が、現地人ではなく、日本人同士のいざこざに巻き込まれ、神経を擦り減らして帰国したのを知っていたからである。(p.72-73)
 女性ですらこのような体験をしているという記述に、やや驚きつつ心底ウンザリする。ダンナの地位や肩書が徒党内のヒエラルキーに露骨に反映しているのだろうけれど、おぞましい日本人の奥さん達たちである。

 

 

【南部とニューヨーク、田舎と都会】
「ハーイ」 もそう。南部の習慣をそのままニューヨークに持ち込んだ私は、「ハーイ」 を連発する度に冷たい目でジロッと睨み返され、ビビッたものだ。そして、日本に帰りつくころには、誰にも負けないほど無愛想な女になっていた。環境はいかに人を変えるかの見本をやってしまったわけだ。私の人間性の向上のためには、南部から真っ直ぐ帰ってくるべきだったのである。(p.95)

 

 

【南部の料理法】
 思えば、焦げ目のついた食べ物というのは、カフェテリアでは見たことがない。何もかもが、びちゃびちゃのグチャグチャ。ローストビーフでさえローストとは縁のない煮た牛肉の薄切りである。・・・中略・・・。私は他の国の留学生たちと、ここのコックはどういうセンスを持っているんだとさんざん悪口をいったが、実はこれが南部の典型的な食べ物らしいと、後にニール・サイモンの 『ロスト・イン・ヨンカーズ』 という芝居を見て知った。(p.99)
    《参照》   『ボストンで暮らして』 久野揚子 大和書房
             【ボストンの料理は “日光の手前” 】

 

 

【南部なまり】
 hand は 「ヒャーインド」、 white rice は 「ワーィトラース」 のように私には聞こえる。アトランタは 「アットラーナ」 が普通だ。 (p.138)

 

 

【南部 VS ニューヨーク】
 南部にはこんな言葉がある、とジムは言う。
「ヤンキーには2種類ある。いいヤンキーと悪いヤンキーだ。いいヤンキーは、南部へ来ない。悪いヤンキーは南部へやってくる。だが一番悪いのは、南部へ来て、そこに住み着くヤンキーだ」 (p.194)
 アトランタ近郊は南北戦争の激戦地でもあるから、北部に対する確執が今でも根強く残っているらしい。

 

 

【生徒による教師の評価】
 コロンバスカレッジの経験の後、考えは少し変わった。エヴァリュエイションの存在が教師を萎縮させるようでは、本当にいい授業はできないのではないか、むしろ弊害の方が多いのではないかと思えてきたのである。(p.153)
 26の具体的な評価項目が記述されているけれど、この中に 「講師の授業は分かりやすいか」 などという漠然とした項目がないのはまだしもまっとうである。こんな項目があったら、教師は、愚鈍なレベルの学生には教える内容を極力減らすことで自分の評価を維持しようと努めるはずである。
 学生の平均的レベルが高いのならば、生徒による教師の評価もある程度は信頼性を認められるであろう。しかし、レベルの低い学生に評価をさせて高得点がでたとするなら、それこそ中身のない授業をやっているという証拠である。しかも、知力に乏しい生徒ほどモラルも乏しいという一般的傾向があるから、授業態度まで真剣に指導しようとする教師は、報復的評価を得て最悪の結果を受け取ることになるだろう。
 この本の中にも、エヴァリュエイションの前後で教師の態度が明らかに変わったと書かれている。

 

 

【日本語教師の継続断念】
「秋学期にも先生の授業はあるんですか」
「カレッジは今学期でやめるの」
 他の生徒達も、コーラの缶を片手に耳を澄ませている。
「俺達、先生をがっかりさせちゃったんじゃないかなぁ」
 サワーズさんの言葉に私はドキッとした。気をつけていたつもりなのにバレていたのだ、私の焦りも失望も。(p.200)
 「前回教えたことが何も残っていない」 というような記述で、コロンバスカレッジの学生のレベルの低さを嘆いている個所が何ヶ所かあった。 生徒のレベルが低いと、本当に “教える楽しみ“ が ”失望“ に変わるのである。
 滞在場所と学期間中の食事の提供があるだけで無給の持ち出しボランティアのような待遇であってすら現地に赴くという意気込み持っていた著者であったのに、 “向上する意志のない学生” を前にして、愛着は生じたにしても、意気込みは覿面に萎むのである。よくわかる。
 そんな著者が、帰国を前にして5歳の幼児たちに45分間だけ教える機会があった・・・。
 実に正確だった。大人のように、「どぞよろおしく」 などという者はいない。高低イントネーションも正確だった。私は驚嘆した。大人と子どもの言語習得能力には、こうも差があるものか。
 45分は瞬く間に過ぎ、自分で折ったカブトを頭に載せた子供達とワイワイいいながら別れた後、つい思ってしまった。どうせなら、あの子達を1年間教えてみたかった。(p.208)

 

 

 著者がコロンバスで教えていたのは1992年秋から翌年にかけての9カ月間。この後、ニューヨークなどの都市部に数カ月滞在してから帰国し、その後はシナリオライターの本職に復帰したと書かれている。
 それにしても、55歳で渡米して無給で日本語指導に当たったという事実は、掛値なく称賛に値する。素直にスゴイと思う。しかも、こんなに面白い書籍を残してくれた著者に “ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。” と言いたい。
 
<了>

 

 

   《アメリカ関連》 

   《参照》   『女性たちよ、アメリカへ行ってどうするの?』  樹田翠  PHP研究所
   《参照》   『54日間のアメリカ人』  八神純子 YAMAHA
   《参照》   『なんでだろうアメリカ』 みなみななみ  休息的時間
   《参照》   『異文化に心を溶かせて』 穴口恵子 (悠飛社)
   《参照》   『ほんのちょっとした違いなんですが』 池田和子 (タイムス) 《後編》
   《参照》   『ニューイングランド物語』 加藤恭子 (NHK) 
   《参照》   『ザッツ・ア・グッド・クエッション!』  譚璐美  日本経済新聞社
   《参照》   『ニューヨークの台湾人』 田中道代  芙蓉書房出版
   《参照》   『ハーバード大学 春夏秋冬』 黒田かをり TOKYO FM 出版
   《参照》   『お母さんの留学』 黒沢宏子  新風舎
   《参照》   『マイ・チャレンジ』  朝倉千筆  中央公論社
   《参照》   『スタンフォードの朝』  アグネス・チャン  日本文芸社
   《参照》   『夢を翼にのせて』 岡村嘉子  双葉社
   《参照》   『地球の回る音を聞きながら】  原水音 光文社

   《参照》   『ウーマンアローン』 廣川まさき
   《参照》   『私の名前はナルヴァルック』 廣川まさき (集英社)
   《参照》   『ブレイヴ・ガール』 リズ山崎 (メディアファクトリー)
   《参照》   『楽しいハワイ留学』 ココナッツ娘 (アップフロントブックス)
   《参照》   『カリフォルニアの空から』 西田ひかる (産経新聞社)
   《参照》   『アロハ・スピリット』 カミムラマリコ (ナチュラルスピリット)