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 タイトルから内容に興味をもったけれど、実質は副題の “「元大日本帝国臣民」たちの軌跡” に近い。ニューヨークに移住した台湾人に共通する特筆すべき何かがあったという訳でもない。
 それに、著者が女性である場合、ほぼ共通することではあるけれど、歴史的時系列に即して一貫性を持たせようとする作為はなく、個々のテーマに即して記述するという作為もない。なので、読み終わってまとまった印象が残らない。単に、ニューヨーク市クイーンズ区フラッシングという地域に集まって生活している、今や高齢となった台湾人からの個々の聞き取りを記録したにすぎない感じだ。

 

 

【公の精神】
 呂登義は、現在の台湾の繁栄は、日本時代に教育を受けた人たちがその基礎を作ったと信じている。そしてその思いは何錦華にとっても同じだ。
 「今の台湾は日本人の教育によって成功しているんですよ。国民党が来たから、国民党のおかげでいろいろと成長したのではないです。中国式の教え方は、会社とかに忠誠を尽くす教え方ではないですよ。恩をすぐ忘れてしまうっていうかね。日本式は先生の言うことを皆聞くでしょう」    (p.144)
 日本統治時代に日本語教育を受けたことのある台湾の人々は、おしなべて上記と同様な意見のようだ。
 李登輝さんをはじめとする、台湾政財界の人々は、「日本精神=公の精神」と口を揃えて言っているし、そのことを様々な著作に書き残してくれてもいる。
 例えば、『台湾人と日本精神 日本人よ胸を張りなさい』 蔡焜燦・著 (日本教文社) がある。

 

 

【 “いじめの構造” と “時代劇の冷徹さ” 】
 この「お前には日本のことがわからないんだ」という文句を際相はよく耳にした。しかし際相にしてみれば、8年間の皇民教育を受け、大東亜戦争を体験し、日本人がいかに勇敢に戦ったかを、若い世代の日本人よりよく知っているという自負があった。少年の頃は、宮本武蔵、嵐勘十郎、大内義男の四十七士などを読み、侍の格好良さにあこがれていた。そういう日本文化に取り付かれていた少年が、大人になってからの6年間の留学で、日本は住みにくいところと結論づけてしまう。日本社会の根底には「いじめの構造」があると思った。
 ・・・(中略)・・・。
 際相は日本人の冷徹さを時代劇と結び付けている。「暴れん坊将軍がバサバサと人を斬る」のは、「格好がよく、刀さばきがすごい」ので観客も、「将軍だったらだれでも殺していい」風潮を許していると言った。
 上記のように、日本には「いじめの構造」があるという記述がある一方で、日本文化に関して「甘えの構造」があるという解釈もある。どちらも確かにあるだろう。おそらく日本文化には “幼児性” が秘められているからである。
 「素直」を尊ぶ考え方も日本ならではであろう。これも “幼児性” に根幹をおかずに成り立つものではない。日本人にとって “幼児性” は “神性” に連なる重要な因子なのである。
 日本文化の中に生きていれば、自らは “幼児” のままに何も計らわず、見事な刀捌きで悪者を裁くお上の存在は、神や天の代理人のように受け入れてしまえるのだろう。
 これを、異国文化の人々が裁かれる立場で体験すれば、差別やイジメの側面だけが強く感じられてしまうのは当然である。もちろん日本人であろうと、“神すまう魂なき者による裁き” は、単なる “いじめ” や “差別” であるにすぎないのはいうまでもない。

 

 

【台湾からの移民】
 明確さを欠いた分りずらい著作の記述を要約すると、以下の概要である。
 1882年:移民排斥法
 1943年:移民排斥法の撤廃。中国人(台湾・香港を含む)の年間移民枠は105人。
 1946年:戦争花嫁法によって兵士たちは妻を呼び寄せることが可能となった。
 1965年:中国人(台湾・香港を含む)の年間移民枠は2万人に拡大。
 1981年:米中国交回復にともない、以下のとおり
 戦後中国からの移民といえばほとんどが台湾出身者だったが、国交回復後の81年から、中華人民共和国にも同じ2万人枠が設けられて、大陸出身者も増えていった。現在の移民は、職業、学歴も異なり、以前のように大都市のゲットー「チャイナタウン」ではなく、一般の住宅街に住むようになった。台湾・香港を含む「中国人」移民(82~89年)は36万人近くになり、メキシコ、フィリピンに次いで国別では3位、同期におけるニューヨーク市への移民も7万人以上と、ドミニカ共和国、ジャマイカに次いで、中国は3番目になっている。
 ・・・(中略)・・・
 83年から台北―ニューヨーク間に中華民航の直行便が飛ぶようになり、94年には長栄航空もそれに加わった。ドル保有高が増えるにつれて台湾人の暮らしぶりも豊かになり、逆に台湾ドルが強くなると、かってのようなアメリカ定住への熱も冷めてきている。 (p.175-176)
 移民排斥法以前のことに関しては何も書かれていないから書き加えておけば、その時代アメリカ東海岸に渡ったアジア人たちの殆どは、大陸横断鉄道を建設するための過酷な労働に従事していた。あまりに過酷なので現場で絶命する人々も多かったそうである。シリコンバレーの中核をなすスタンフォード大学の創設は、鉄道経営で財をなした資産家の寄付に拠っている。今日、そこに学ぶ優秀な学生たちの多くが台湾人・中国人を中心とするアジア人である。たいそうな因縁だけれども、アジア人にとっては、民族の祖先の命と引き換えに得られている教育機関ということができる。
 ニューヨークの台湾人を取材対象にするより、スタンフォードの台湾人を取材対象にしたほうが、近代産業史に関わって遥かに面白い読み物になるだろう。
 中国人移民に関する文献が示されている記録
    《参照》   『「マネー」より「ゼニ」や!』  日下公人・青木雄二  ダイヤモンド社
              【鉄道の枕木の数だけ中国人の死骸がある】
 
<了>