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 51才(1994年)から2年間、フランスへの留学体験が記述されている。
 著者は本当にフランスが好きなんだなぁ、と思える記述内容に満ちていた。フランスやイタリアの滞在記は、男性が書いたものより女性が書いたものの方が、やはり面白い。花の名前が多く記述されていたりして、雰囲気が上手に描き出されているからである。

 

 

【美しき錯覚】
 遠く親元を離れ世界の各地から集まってきて共に学校生活を送り青春をエンジョイしている若者たちの間に国籍を超えたロマンスが芽生えるのは自然の成り行きだろう。言葉の不自由さは彼らの 《若さ》 と互いの 《美しき錯覚》 でカバーして、次々とカップルが生まれる。 (p.21)
 マダム・ヒロコ(著者)ならではの文章。マダム・ヒロコが記述しているこの 《美しき錯覚》 という言葉にこもっているのは、“皮肉” ではなく、むしろ “青春の賛美” という感じである。
 上記の文章に続いて、いくつかのカップルのその後の経過が記述されている。日仏両国の文化の違いと現実を知っている母親世代の視点で記述されているから、その後の経過過程にペーソスを感じてしまう。

 

 

【同棲】
 ヨーロッパでは若者ばかりではなく親の世代も引き込んで 《同棲》 は世間に認められている。それはモラルとは関係のないただの社会現象だといえよう。その現象を憂えているのは敬虔なカトリック信者(彼らは結婚を神との契約だと考えている)や国税調査局、税務署などのお役所だけでないだろうか。
 そこまで考えてやっと私は今まで 《同棲》 が不道徳なものだと思い込んでいた自分の偏見から解放されたのだった。 (p.31)

 この国の多くの女性は結婚後も働き続けるのが普通だし、婚前交渉や同棲は相手をよく知るために必要であると思っている。
 女性の生き方やモラルは時代につれてどんどん変わっていく。日本の若い女性たちが結婚について自由な考えを持った時、その母親はそれにどう対処したらいいのだろう。 (p.141)
 フランスでは結婚と同棲が制度的に別途認められていることは、以前ブログで書いている。
             【「結婚届け」と「同棲届け」】
 ところで、 《同棲》 が不道徳であるか否かを判定する以前に、 《同棲》 を制度として認めているフランスの実状は知っておかねばならない。
 フランスのコンドーム消費量は世界一だという。西洋人は同年齢の東洋人に比べて実際に老けて見えるのは事実である。しかしこれは肉食文化と草食(雑食)文化の差というだけではない。セックスの過剰が肉体を急速に老化させているのである。この様な国になってしまえば、国民全体の国力としてのボルテージは下がるばかりである。
  《同棲》 について偏見から解放されたと言っている著者のような母親世代が、この点に気付いていないならば、フランスに留学した結果、日本という国家を滅ぼす “愚かな母親” になって戻ってきただけということになる。
  《類似ブログ》    『レッツムラムラ』 ラミーコ (文芸社)

 

 

【アッピコート】
  《半てん》 つまり 《法被》 。フランス人はハッピの H が発音できないから 《アッピ》 となるのだ。 (p.42)

 

 

【パリジェンヌ】
 「ヒロコはいよいよパリジェンヌになるのね」
 パリジェンヌといえばお洒落で粋なフランス娘を思い浮かべるが、 《パリジャン》 は単にパリの男、 《パリジェンヌ》 はパリの女という意味だから、パリに住んでいればそれがたとえおばあさんだろうと私のような外国人であろうと 《パリジェンヌ》 には違いない。 (p.53)
 パリに憧れている時代ではない。今や東京が世界へ向けての文化の発信地になっている。 《東京ジェンヌ》 が胸を張るべき時代である。
 それにしても、東京在住の男性が。「私は、 《東京ジャン》 」などというと、横浜や山梨の方言と混ざってしまって「アホか!」と思われるだろう。


【知を学ぶ喜び】
 私の今までの人生を振り返ってもこれほど充実した喜びにあふれた勉強の時期はなかった。何故ならそれはテストの点数のためでも、受験のためでも、職業につく手段のためでもなく純粋に 《知を学ぶ喜び》 のための勉強だったからだ。 (p.85)
  《知を学ぶ喜び》 、良い言葉だと思う。私も大学時代、出席しないと単位をくれない語学と実験以外の授業は一切出ず、好きな本を読んでばかりいた時期があった。その時期の心境を表現するなら、正に 《知を学ぶ喜び》 だった気がする。
 ところで、フランスという国は、老若男女、国内外を問わず、 《知を学ぶ喜び》 を求めている人々に対して、門戸が開放されているらしい。学生証さえあれば社会的にいくつかの特権が享受できることが記述されている。フランスが文化国家と言われる所以はこの辺りにあるらしい。

 

 

【グルネル橋の 《自由の女神》 】
 グルネル橋の手前にニューヨークにあるのとそっくりだけれど少し小ぶりな 《自由の女神》 像が立ち、その向こうにエッフェル塔・・(中略)・・。
 この小ぶりな 《自由の女神》 は日仏友好のシンボルとして1998年の春、日本にやってきた。東京お台場でそれを見た人は多いだろう。 (p.90)
 この 《自由の女神》 、最初は期限付きでフランスから日本へ出張して来ていて、一度はお台場から姿を消し、再度帰ってきたように記憶している。 
   《参照》  お台場の夜景
 「グルネル橋」は、アポリネールの詩で有名な「ミラボー橋」の隣にある橋だという。

 

 

【口答試験】
 「ところでジャンヌの時代、パリは誰に支配されていましたか?」
 「知りません」
  先生はあきれたような顔をした。
 「パリもイギリス軍と組んだブルゴーニュ軍に占領されていたのですよ」
 「そうだったんですか、初めてしりました」    (p.109)
 それでも、他の学科が優秀だったのか、著者が謙遜して書いているのかは不明ですけれど、ソルボンヌ大学フランス文明講座のディプロムを受取ったのだそうです。

 

 

【悪魔の魚】
 私がタコのマリネを頼むと「ヒロコがタコを食べた」と言って一同驚いた。フランスではタコは 《悪魔の魚》 とされていて食べない。彼らは日本人もそれを食べないものだ、と思っていたようだ。
 ちゅーちゅータコかいなぁ~のタコちゃんが、なんで《悪魔の魚》なんでしょねぇ? 書かれていない。

 

 

【帰国後の違和感】
 帰国後すぐ新宿に出たことがあった。色も色彩も高さもバラバラで統一の取れていない建築群。町の風景を醜くしている看板。どこに行ってもあふれるような人の波。駅ではホームに描かれた線に行儀よく並び、3分おきに入ってくる電車のドアが自動的に開くと、アナウンスの指示通りに動く人々。そのどれもがフランスにはなかったものだ。 (p.148)
 長期間ヨーロッパに滞在していた人々が東京に戻ってくるとこのように感じるだろう。外国人はこの様な東京の様子を端的に 「ストレンジ」 という言葉で表現する。
 短期間ヨーロッパに滞在した日本人は、統一の取れた美しい街並みの中で、待ち合わせ場所を探すのに看板がなくって慌てた経験があるのではないだろうか。これを不便と感じてしまう日本人の感覚が悲しい。
 
<了>