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 異文化に関わる人生を歩んできた著者の半生が書かれている。海外留学から外資系企業に関わる仕事へと連なる人生を歩んでいる女性は、少なくないだろうし、これからそうしようと思っている人には格好の前例として学びの教材になることだろう。

 

 

【 “命が響く” 毎日をおくるために】
 高校を卒業すると、親の希望通り短大に入学しましたが、短大を三カ月くらいですぐ辞めてしまいました。その理由はただひと言、「つまらなかったから」。
 ・・・(中略)・・・ 。
 心の底からこんな叫び声が聞こえてきました。
 私にとっていちばん大切なことをしたい。短大なんてさっさとやめて、旅行をどんどん続けられるお金を早く手にして、海外に出よう。そうすれば “命が響く” 毎日をおくることができる。両親だってきっと喜んでくれるはず。そんなことを勝手に思いながら、両親には内緒で思い切って行動に移しました。(p.16)
 なぜ海外なのかという動機の原因は、幼少期にカトリックの幼稚園に通っていたことにあったらしい。
 親の勧めでビジネス・マナーの会社で働き、その後、外資系の企業で働く機会を得たものの、英語が話せないという現実に直面し、海外留学することにした。最初はハワイ大学。

 

 

【スピーチの仕方】
 私の話は感動的に聴衆に訴えるはずだと自分では思っていたのです。 ・・・(中略)・・・ 。
 ところが、いつも反応は “What’s your point ?” (で、あなたの結論は何なの?)
 ・・・(中略)・・・ 。
 英語圏の人間は、どのような経験をしても、たとえばその経験で学んだポイントは3つあって、第一の結論はこれだ、そうなる経過背景はこういうことだった、だからこういう結論になるんだ、という組み立てでスピーチはなされるべきである。そうでないスピーチは意味不明だ、ということをすでにさんざん教わってきているのです。
 よく考えてみると、私のスピーチというのは結論がないのです。でもわたしは、そんなことはまだぜんぜん理解していません。(p.33)
 結論が無いという日本人的思考パターンは、日本人同士ならそれなりの良さがあるけれど、相手が外国人だと、やはりよろしくない。
 外国人でも聞き取ろうとする意志がある人なら “What’s your point ?” と聞き返してくれるけれど、どうでもいい人なら “You don’t make sense.” (あなたの話チンプンカンプン) と言わないまでも心中ではそう思っている。 聞き手に “I got your point.” と言ってもらえたら成功である。

 

 

【集団に合わせる日本、個を優先するアメリカ】
 ルームメイトが、せっかくだからどこかに遊びに行こうと誘ってきます。そこでわたしはこう返事します。
 “wherever.” (どこでもいいよ、あなたにあわせるわ)
 そうするといつも相手が決めてくれる、ところがいつもこんなことが続くと、次第に相手がいら立ってくるのです。 ・・・(中略)・・・ 、
 私は、あなたと一緒にいて、楽しい時間が過ごせればそれでいい。それ以上の目的なんてないから本当に<何でもいい>のです。だけど彼女たちは、個性・個人が大事であって、それを尊重しようと思っているから<何でもいい>わけがない。そんな彼女たちから見れば、<グループでいることに第一の価値を見出しているのよ>という私の気持ちは、まったく理解されていないのです。(p.42)
 個性より集団を尊重する日本人。集団より個性を尊重するアメリカ人。
 異文化摩擦の基盤がこれなのだけれど、近年は、アメリカも個性を強調しすぎるから家族や集団がまとまらない傾向に拍車がかかり、社会全体がうまく行かないと認識され始めている。徐々に個性を強調しすぎない日本的有り方の良さを再評価する外国人は増えているはずである。
   《参照》   『共に輝く 21世紀と資生堂』 弦間明 求龍堂
             【自分のための化粧、他人のための化粧】

 

 

【ハイコンテキスト文化とローコンテキスト文化】
 日本人が知っていなければいけない最も基本的なことだから、あえて書き出しておいた。
 もともとの意味は、(文章の)文脈、前後関係というもので、広げて言えば、情況、周辺状況、背景を意味します、これらを重視する文化が前者で、文章そのものを重視するのが後者です。(p.125)
 以心伝心的に全てを表現しなくても伝わる日本人的な在り方がハイコンテキスト文化。
 何でもかんでも言葉にしないと伝わらないのがローコンテキスト文化。同じアジアの国々であっても日本以外の国々はほとんどこっちである。
   《参照》   日韓文化比較

 

 

【異文化認識の結論】
 異文化に接するだけで、その功罪について深く考えようとしない普通の外国人は、「日本人には自己が無い、依存的である、集団でしか行動しない、本音がわからない」 と捉えてしまう。
 でも、それは、どっちがいい、悪いというべき問題ではない。日本人の弱さ・強さでもなく、アメリカの価値基準をもった人が日本人の言動を見たときに、日本人の価値基準が理解できないだけなのではないかと思う。(p.43)
 これが異文化認識のありうべき結論であり落し処なんだけれど、実践は認識とは別の処にある。
 現実に異文化の中で生活している人は、「郷に入っては郷に従え」 という諺に則して、現地の文化様式に合わせて行くしかないのである。
 この本には、外国人に関わるビジネスの現場で、著者が直接経験したことや、実践に用いている異文化トレーニングなどがたくさん書かれている。国内の外資系企業で働いている人や、何らかの理由で海外に行かなきゃならない人にとっては、密度の濃い参考図書になるだろう。もちろん比較文化を学んでいる人にとっても。

 

 

【異文化的状況と到達点】
 私は研修部門のトップとして、各部門のトップを交えて終末のウイークリー・ミーティングに参加しました。そこで感じたのは、国と国が違えば異文化というわけではないということ、私のような外部の人間がいることも企業にとっては異文化的状況だといえるし、その企業の中でも部門の違い、つまり営業とマーケティング、アフターセールス、そして人事教育部門の人間が混在する場は、異文化的状況である、と。(p.92)
 平べったく最終単位で言ってしまえば、他人同士が接する人間関係こそが異文化的状況なのである。異文化的状況を放置し、歩み寄ることなく離婚してしまう夫婦だってテンコモリあるのである。
 企業活動におけるM&Aの成功条件にも、異なる社風の人間集団が上手に融和できるかどうかが、重要な条件として入っている。
   《参照》   『Google経済学』 柴山政行 (フォレスト出版)
              【M&Aの成功条件】
 結局<個>の自分が残っていく。個が受け入れられ、周囲から認知される存在になったとき、その人の文化的背景、文化の壁は溶けていき、一人の人間として歩むことができるようになる、
 異文化体験の到達点はまさにそこにあるといっていいでしょう。(p.93-94)
 この著作のタイトルは、このことを示唆しているのだろう。

 

 

【破局】
 著者は、外国産車を販売する日本法人企業にやって来たイギリス人社長を補佐する仕事をしていた。
 彼は成功したかった。その成功とは売上げ実績を上げて、自分の経歴を飾ることにあった。そのこと自体はまちがいではないでしょう。でも、彼には成功を日本人と<ともに築く>という発想はなかった。(p.100)
 結局、成果が得られず、任期満了を待たず、イギリス人社長は解任された。
 すべてがここで終わってしまった・・・・。
 ガラスが 「パリン!」 と割れたような感じ。衝撃的な<失敗例>という現実を突きつけられ、まる一ヶ月の間、落ち込みから立ち直れない自分がいました。
 ・・・(中略)・・・ 。
 そしてこの同じ時期、私生活の上でも、破局が訪れていたのです、
 離婚。
 結局、最初の予感通り、私たち夫婦のコミュニケーションのギャップが埋まることはありませんでした、私は夫に、自分と同じように<キャリア=自己実現>を求めていました。(p.102)
 結局のところ、著者はイギリス人社長と同じである。イギリス人社長は、ビジネスでの成功を日本人と<ともに築く>ことができなかったように、著者は、家庭での幸せをアメリカ人の旦那さんと<ともに築く>ことができなかったのである。当然、解任と離婚はシンクロしていたはずである。
 イギリス人社長も、著者も、それぞれに自他に対して求めていたのはキャリアであって、ついに 『異文化に心を溶かせて』 しまうことは出来なかったのである。
 ここで、読書記録を終わりにしてしまったら、著者はハッとするかもしれないけれど、かなり不愉快だろう。
 だから、ここで終わりにしない。
 以前から “転んでもタダでは起きない” 著者は、この破局ですらも人生の糧に変えている。