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 資生堂と言えば、福原義春(現在は会長?)さんの本をいくつか読んだことがあります。そして社員の方々が書かれた本なども。そんな中で、日本文化という視点に興味のある私は、弦間(現在の社長?)さんが著したこの本に、それらを多く見出したので、その付近の記録を残しておくことにしました。


【日本人の美意識の基礎】
 日本固有の美意識の基礎は、すべて日本固有の風土の上に育まれたものです。
 日本の伝統文化である能が表現する 「幽玄の美」 も、日本でしか生まれえなかったものでしょう。これは、言葉で言い尽くされないことで逆に表れてくる幽かで奥深い美、あるかなきかのごとき儚いものの美しさを表現しているのですが、このような繊細で優美な美意識にしても、移ろい易く、長く定着させることのできない四季があってこそ生まれた思想であり表現であったことでしょう。
 日本人の美意識の原点は、今からおよそ千年前の平安時代に生まれたといわれています。そしてこの美意識は、ただ繊細で優美というのではありません。当時の女性を表現する 「手弱女」 という言葉がありますが、これは弱々しいしい生き物を表現している言葉ではありません。柔らかくてしなやかで、そして根強いたくましさを備えた女性像を表現している言葉なのです。柔道の精神である 「柔よく剛を制す」 も同様で、しなやかなたくましさは、日本人が常に価値をおいてきた美意識であり、四季の循環に見られる再生へのエネルギーを秘めた豊かさのある美意識でもあります。


【歌舞伎役者にみる化粧の美学】
 鏡の前に映る男性の顔は、ひとたび白いどうらんをのせはじめたときから消失し、男という存在から、中性的な存在へと変わり始めます。「清廉の白」 で男性性を禊ぎ、潔白な心の状態で 「赤い紅」 をさすとき、そこに清らかな女性性が鮮やかに浮き上がってきて、見るものを絶句させるほどの美しさが現れてきます。
 私の推論が正しいとするならば、化粧はまず 「白」 から始めなければならないし、紅は 「赤」 でなければならない。それが、技術論を超えた精神作用、化粧における作法の力なのです。


【自分のための化粧、他人のための化粧】
 アメリカ人女性の場合、メーキャップの効用は自分自身に向って強くはたらくと思われます。快い緊張感、強い自尊心、社会的な優位性などの、心理的な作用を期待している人が多いようです。
 一方、日本人女性の場合は、社会的な役割への “ 適合 ” を期待してメーキャップをするのだと思われます。 日本人女性が他者の視線を常に意識するということは、他者に美人と認められたいというよりも、他者にとって気持ちの良い存在でありたいということなのです。これを広く “ 共生の心 ” ととらえて間違いありません。


【「装い」の心 = 美しい生き方】
 “「装い」の心” の中には、「持成」 「室礼」 「振舞」 という三つの意味があると、古い指南書は指摘しています。「持成」 は客への待遇など、総じて他者への思いやりを表し、「室礼」 は空間的な装飾、「振舞」 は自らの品格ある挙動、態度を表します。
 「装いのある人」 と評価されたなら最高の賞賛に値するのではないでしょうか。


【手から手へ、心を添えて】
 お客様に商品を手渡す場合、外国人の研修生は片手で商品を渡してしまいます。そんな時、日本人の美容部員は、敢えて 「両手で商品を渡してあげてください」 とその作法を実演して見せるのですが、外国人の研修生は「片手で目的は達せられる」と言うのだそうです。そこで、「資生堂は化粧品を売る企業ではなく、美しい生き方を広める企業である」 ことを説明し、“「装い」の心”を理解してもらうのだそうです。


【反響を巻き起こした資生堂のポスター】
 ニューヨーク・スタイルの美しいキャリア・ウーマンが街を闊歩する写真に 「彼女が美しいのではない、彼女の生き方が美しいのだ」 という広告コピーをつけました。これは1977年当時の日本人女性に想像以上の反響を巻き起こしたそうです。


【社名の由来】
 資生堂の社名は、『易経』 の 「万物資生」 の一説から取っています。「万物は天地の恵みによるもの、そこから資源を集めて新しい価値を創造するものである」 という東洋哲学の真髄を社名に託したのです。


■ 大和の美の女神 ■ 

 資生堂社長の弦間さんは、東京で生まれ山梨県の一宮町で育ったそうです。山梨県一宮町には浅間神社があり、その神社の祭神は 「木花咲耶姫」 です。漢字からおわかりでしょうが、本来は霊峰・富士山頂に住まう女神であり、木の花が咲く時を告げる美の女神です。
 弦間さんが、日本の美しさを引出す化粧品会社の社長さんになっているのも偶然ではないかもしれません。
 

<了>