イメージ 1

 ニューイングランドとは、イングランドからやって来たピルグリム・ファーザーズの入植地であるのは言うまでもないけれど、今日の地図区分では、ヴァーモント、マサチューセッツ、コネチカット、メイン、ニュー・ハンプシャー、ロード・アイランドの6つの州を含む地域を指す。

 

 

【宗教国家アメリカ】
 同じ北米大陸に位置するカナダ。そこでも “宗教的表現” が多用されるのかと、カナダ人研究者に訊ねてみたことがあった。
「いや、カナダでは違います。それが、合衆国との根本的な違いの一つです。 ・・・(中略)・・・ 」
 アメリカ人と結婚してアメリカへ移住した英国人女性を知っているが、「アメリカでは宗教が日常の最前部に陣取っている」 と驚いていた。(p.31)
   《参照》   『敗者の論理 勝者の法則』 増田俊男 (プレジデント社) 《前編》
             【アメリカの 「見えざる国境」 】

 

 

【二面性を悩まないアメリカ人】
 知人でやり手で貪欲に金儲けに励む事業家がいた。ちょっとしたことでも、利益につながる機会は決して逃がさない。彼に蹴落とされだしぬかれた人々は多いはずである。
 ところが一方では、かれは熱心にボランティア活動に打ち込んでいた。ボランティア活動であるから、もちろん無償で、そのうえ多額の寄付もする。
 日本人としての私の感覚では、彼の二面性はどうもしっくりとはいかなかった。 (p.34)
 ロックフェラー一族の貪欲のために、どれほど多くの人々が自殺においやられ、またロックフェラー一族はどれほど多額の寄付をしてきたことか。ネオコンの総帥チェイニーも国内外で惜しみなく人殺しを実践しつつ、家庭では肌の色の違う少なからぬ子供たちを養子として育ててもいる。
 ところが、周囲のアメリカ人の友人たちは、彼の二面性をありのままに受け入れ、矛盾を感じていなかった。彼らにこの “矛盾” について意見を聞いたのだが、なぜ私がこの二面性を矛盾ととるのかが、彼らには理解できなかった。「あなたは、カテゴリーの全く違うものを、無理に一緒にしている」 「一つは宗教的というか、倫理的活動。もう一つは経済活動ですもの。全く違うわ」 というような説明が帰ってくるのだった。(p.34-35)
 アメリカ人にとって経済活動は、倫理とは全く無関係なのである。つまり、スクラップ&ビルドの典型である戦争は完全なる経済行為として認識されている。
 『論語と算盤』 を同一の地平で考えるのは日本人だけである。しかし、まもなく訪れる “基軸通貨ドルの終焉“ の後は、世界中の国々が、日本のやり方こそが正しいと認めるはずである。

 

 

【アメリカ人の万引き感覚】
 マサチューセッツ大学の学生会館であるキャンパス・センターには、文房具や本などを売る店があるが、その店の1970年度における万引被害額は、5万ドルに達したとある。一大学の一つの店だけで、1年に約1520万円の被害である。
 このような万引が悪事と認識されていないアメリカの文化を、著者は下記の句を基に考察している。

 

 

【 Finders, keepers 】
 英語に “Finders, keepers.” という句がある。
 見つけた人が、所有する人。つまり、拾ったものは拾った人の物という意味である。 ・・・(中略)・・・ 。
 「日本ではね、道でお金を拾った子供は、警察へ届けるのですって」 と聞かされたアメリカ人の女の子は、ゲラゲラ笑いだしたそうである。(p.102-103)
 この句で、万引が多発する社会現象まで説明できないと思うけれど、万引を悪事と認識する意識の希薄化には貢献することだろう。悪事と認識しなければ、次なるステージである自己正当化は容易である。
 この句は、万引というより、アメリカを発見したものがアメリカの所有者であるという意識の醸成には、この上なくもってこいである。先住民が誰であろうと、独善的歴史の記述者であるアメリカ人にとって、新大陸の発見者はアメリカ人であり、故にアメリカ人が新大陸の所有者なのである。新大陸という国土の万引きが立派に正当化できるではないか。

 

 

【ニューイングランドの樹】
 “ニューイングランドの樹” というと、私はメープル樹をイメージするのだが、主人は花みずきなのだそうである。(p.209)
 おそらく “花みずき“ をイメージする人の方が多いのではないだろうか。著者はニューイングランドの歴史をつぶさに調べたから ”メープル樹“ になったのであろう。
 ニューイングランドを世界で有名にしたものの一つ、メープル・シロップとメープル・シュガーについて語ろうとすると、ここでまたインディアンを抜きにはできないのである。
 「メイフラワー号」 の乗組員たちが、土地のインディアンたちからいかに多くのことを習ったかについては、すでにふれた。だが、プリマス植民地だけではない。「土地」 のあちこちで、入植者たちはインディアンに助けられたのだ。(p.164)
 当初、入植者たちは、インディアンのマサソイト大首長と共に感謝祭を祝った仲だった。
 そんな中で、英国名のフィリップ王という人物が、入植者たちと壮絶な戦いを繰り広げている。
 著者は、文献を辿ってフィリップという人物とマサソイト大首長の関係を知ったとき、衝撃が走ったらしい。

 

 

【入植者とインディアンの結末】
 「土地をすべて失う前に」 と立ち上がったフィリップに多くのインディアンが従ったが、次々に敗退し、彼自身もロード・アイランド植民地のホープ山付近の湿地帯で虐殺された。そして彼の首は、プリマス植民地の広場で、20年以上晒し首になったという。
 父、マサソイト大首長が最初の 「感謝祭」 を 「メイフラワー号」 の乗組員たちと祝い、彼自身 “フィリップ” という英国名をもらった、あの広場にであった。(p.57)
 フィリップは、マサソイト大首長の次男だったのである。

 

 

【ニューイングランド歴史散歩】
 ニューイングランドで最も早く生まれたプリマス植民地。その中心地であったプリマスを離れると、次に向かうのは、マサチューセッツ湾植民地の中心地だったセーラムとボストンであろうか。今日では “プリマス植民地” は消滅し、プリマス市はマサチューセッツ州の一部となっている。
 セーラムは、ボストンの北東約16マイルの位置にある、貿易港として栄えた町だった。(p.146-147)
 セーラムについては下記参照。
   《参照》   『フェノロサと魔女の町』 久我なつみ (河出書房新社)
 セーラム全体の雰囲気は、過去へ向いている。 ・・・(中略)・・・ 。
 その点、ボストンは、過去と現在、そして未来をかかえ込んだ活力に充ちている。ボストンは、 “ニューイングランドを創った町” だけではなく、 “アメリカ合衆国を創った町” でもあるのだ。
 ボストン、そして郊外のレキシントン(Lexington)から、 “アメリカ合衆国誕生の過程” を見て回れば、それがそのまま素晴らしい歴史散歩となる。(p.147)

 

 

《関連:参照》

 

 

<了>