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 『ウーマンアローン』 の著者による体験記。新田二郎の『アラスカ物語』に描かれていたフランク安田が生きた世界を自分で体験したかったのだろう。捕鯨で生活しているエスキモーと共に生活した記録が著されている。伝統と近代化が交錯する中で、徐々に過去が失われてゆく様子が分ってしまう。2010年8月初版。
 上掲写真は、本書には掲載されていない。著者の講演会に行けば豊富な写真や動画を見せてもらえる。

 

 

【私の名前はナルヴァルック】
 「ナルヴァルック・・・」
 私がきょとんとしていると、アカは微笑みながら続けた。
 「あなたのエスキモーの名前よ。あなたは、今日からエスキモー」
 ・・・(中略)・・・ 。
 「私の母親の名前よ・・・」
 エナが驚く理由を一瞬で悟った。
 「いいの? 母親の名前を人に与えるなんて、特別なことよ」
 エナは、アカをいさめるように言った。彼女の言うとおり、エスキモーたちは、大切な名前を家族の中で継いでいく。
 父親は息子に自分の名前を継がせ、母親は娘に、自分の母親の名前を与える。
 最近では、英語の名前をつけるようになったために、アカは母親の名前を誰にも継がせていなかったのだ。その名前を、私がもらうことになった。
 エナは、アカの顔を覗き込むと、「ホントにいいの? 日本人だよ」と、念を押している。
 そんなエナの問いかけを気にせずに、アカは朗らかにほほ笑んだ。
 「娘がもう一人できた」 (p.32-33)
 現地のイヌピアック語でアカは「おばあちゃん」、アパは「おじいちゃん」。
 エナはアカの娘。現在でも養子が普通の文化ゆえに、アカは著者に名前をあげたのだろう。
 ナルヴァルックの意味について、この文章の直後には、イヌピアック語で特別な意味をもつ名前ではないと書かれているけれど、あとがきには、過去の同化政策によって民族の言語が失われ、今となってはナルヴァルックの意味もわからない。(p.298) と書かれている。

 

 

【イヌピアック語】
 長老の一人が、
 「初めて覚えたイヌピアック語の言葉は何?」と私に尋ねた。
 「アナックですよ」
 と答えると、長老たちは大笑い。
 アナックとは、イヌピアック語で「うんこ」のことだ。
 子供たちが、真っ先に教えてくれた言葉だった。次が「ミルガー」オッパイである。(p.115)

 「カニチャック(玄関先)」「ウマ(あなた)」「アラッパー(寒い)」「テークー、コヤナック(どうもありがとう)」などは、日常に使われる簡単な言葉で、英語に交ぜて使われている。(p.116)

 

 

【日本製品の浸透状況】
 村人たちのほとんどは、四輪駆動のバギーに乗っていて、彼らは、生産社名の「ホンダ」と呼んでいた。
 「この村の中で、一番使われている日本語ではないか?」と尋ねてみると、彼らは、ホンダが日本製であることも知らなかった。
 ちなみに、この村で次によく知られている日本語は、ニンテンドー、その次は、ゴジラだろう。(p.56)
 日本の各メーカーは、アメリカ市場で多様な車をつくっているけれど、日本国内ではほぼ形状の決まった車ばかりである。今どきは日本でもキャンピングカーの潜在需要は非常に多いのに、様々な規制によって市場が活性化できないのである。
 ニンテンドーが有名なのはもちろん子どもたちのゲームを供給する会社だから。今やエスキモーの子供達は、アメリカ的文化生活に影響され、伝統的なエスキモー生活に生きるのでもなく、日々ゲーム漬けのような生活をしているらしい。(任天堂はシアトル・マリナーズの実質的な経営母体である)酒と麻薬も普通にはびこっている様子が書かれている。
   《参照》   『異文化に心を溶かせて』 穴口恵子 (悠飛社) 《後編》
             【日本認識の世代間格差】

 

 

【エスキモーの家族】
 もともとエスキモーの間では、養子縁組が行われていた。大きなグループをつくることが、極寒の地で生き延びていくために必要だったことから、養う甲斐性のある者が、弱きものを扶養することで家族を構成してきた。
 だから、彼らは血縁にこだわることなく、養子養女が多ければ多いほど、家の自慢だとも言った。(p.27)
 たぶん、厳しい環境の中で危険と隣り合わせの生活をしていた世界中の近代化以前の家々は、養子縁組が普通に行われていたはずである。

 

 

【村の人種構成】
 驚くことに、この村は、黒人の人口が多く、エスキモー女性と黒人男性というカップルも非常に多い。
 さらに北にあるバローというエスキモーの町には、黒人もさることながら、フィリピーナの人口が特に多いという。
 石油産業が進出しているエスキモーの村に出稼ぎに来て、自国の家族に仕送りしているのだ。そのほかにも、韓国人や中国人の経営するレストランなども増えて、今のエスキモーの村は、人種のるつぼのようになってきている。(p.89-90)
 アラスカの北の果てにあるエスキモーの村であっても、アメリカはやはりアメリカである。
 村の長老たちと話していると、最近の若者たちは、大人になるのにとても時間がかかると嘆いていた。
「酒や薬物で自分を失った末に、ケンカや罪を犯して刑務所に入って、そこでようやく反省して、村に帰って、狩りや仕事をするようになる・・・」 (p.91)

 

 

【時間の観念】
 西洋文化の浸透によって、そろってテーブルについて食事をする家庭も増えてきてはいるが、もともと太陽が沈まない夏やまったく太陽が出ない冬を生きてきたエスキモーたちには、時間の観念がなく、お腹が減ったときが、食べるときなのである。(p.97)
 日本に住んでいたって、現代の自由気ままなひきこもりたちは、遮光カーテンと電気によって自然サイクルに則した時間の観念は希薄になってゆくだろう。食べたいときが食べるときを実践している日本人だって少なくないはずである。

 

 

【鯨幕】
 鯨皮は、黒い皮膚に白い皮下脂肪がついた二層になっていて、黒と白のきれいなコントラストを描いている。
 日本でも、おもに弔事のときに使用される黒と白の幕は、鯨幕と呼ばれていて、それは、かつて日本が鯨文化を持っていた名残だといわれている。その幕を思わせるほどのツートーンをしていた。
 この鯨皮はマクタックと呼ばれ、生で食べたり、またはゆでて食べたりする。(p.93)
 チャンちゃんは生粋の日本人だけど、それを鯨幕と呼ぶことなど、これを読むまで知らなかった。

 

 

【鯨解体の後】
 鯨がとれて村人総出で解体され、それぞれに分け与えられた。
 肉の海は、影も形もなく消えていた。
 ところが・・・
 大量に残されたものがあったのだ ――。それは、鯨の脂肪のかたまり。
 60センチ四方はある大きな脂肪層のかたまりが、山積みになって置き去りにされていたのだ。
 「かつて、鯨の油は、貴重な燃料だったのだよ」
 呆然と立ち尽くす私に、頭領は言った。(p.188-189)
 捕鯨で生活してきた村であってさえも、今は石油機器に囲まれた生活である。
 最近、オードリーがレポーターをしていたテレビ番組を見ていたら、電気炬燵の電気代より、練炭炬燵の燃料代の方がかなり安いと言っていた。しかもはるかに暖かいとか。今どきは、机仕様の炬燵が多いんだろうから、床における練炭火鉢をつくればきっと売れるんじゃないだろうか。
 かつて使われていたものを捨て置いてわざわざ費用のかさむものを使っているなんて、全然エコじゃない上に馬鹿げている。次の冬は、練炭炬燵でいこう。

 

 

【ウグルックで造るウミアック】
 ウミアックの船体に張られる皮は、このウグルックの皮である。(p.192)
 ウミアックというのは、捕鯨につかう船のこと。
 ウグルックはアゴヒゲアザラシのこと。体長が2mを超える大きなアザラシ。<上掲写真>
 一艘のウミアックを造るのにウグルック11頭分ほどの皮が必要。
 冬場は凍結するのでウミアックを使わない。その間、ウミアックからウグルックの皮を剥がして骨組みだけの状態にしておく。シロクマや犬に食べられてしまうから。
 手間のかかるウミアックは、近年、グラスファイバー製に置き換わりつつあるらしい。

 

 

【ミキヤック】
 ミキヤックは、鯨の生肉を毎日かき混ぜて自然発酵させたものである。血汁や肉が黒く変色し、ドロドロしている。
 しかし、見た目はさることながら、この濃厚な深みのある味わいには、品さえ感じる。
 日本の高級マグロに、負けず劣らず、うまい。
 これは、見た目のすごさという高いハードルを越えた者だけが堪能できる美味ともいえるだろう。(p.246)
 ミキヤックこそが、捕鯨エスキモーの代表的食品なんだろう。<上掲写真>
 他にもいろんな食べ物のことがあっちこっちに書かれているから、食に目がない人は自分で読んでみるといい。