3つの「定番モノ」は外せない…東京都心の“あの街”には、やっぱり“アレ”がある♪
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やはり昔は「溜池」があったらしい
東京メトロの溜池山王駅付近は江戸城外濠の一部であったらしい。
元々水の湧く所であり、堤を作り水を溜めるようにしたためこの名がある。
その形から別名ひょうたん池とも呼ばれ、神田上水、玉川上水が整備されるまではこの溜池の水を上水として利用していたそうだ。
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既に江戸中期の宝永年間より断続的に埋め立てられ、明治21年には完全に埋め立てられて溜池町となったようだ。
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虎ノ門には「虎」が居た!
虎ノ門の交差点に「虎」が居た。。。
碑文によると、1952(昭和27)年9月、町の名前が今入町から虎ノ門に改称されて3周年になったのを記念して地元町内会の「虎ノ門会」が建てたものらしい。
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虎ノ門の由来は、江戸城にあった36の門のうち、「寅」の方角の門だったことによる。
江戸時代には立派な渡櫓がある門だったようだが、1923(大正12)年の関東大震災による火災と、その後2度にわたる区画整理が実施され大通りができ、さらに第2次世界大戦による空襲で再び町が焼けたことから、遺構はほとんど残っていない。
戦後、復興を成し遂げた虎ノ門会の人々が「往時を偲ぶ一片の石」として石碑を建て、石碑の上に石造りの虎を置いたのだそうだ。。。
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そして、
愛宕神社には「噂通り」激坂の階段
曲垣平九郎の故事にちなんだ「出世の石段(男坂)」と呼ばれる斜度45°×68段の急な石段。
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寛永11年(1634年)江戸三代将軍の徳川家光が、愛宕山の満開の梅を目にし『誰か、馬にてあの梅を取って参れ!』と命じた。
周囲がたじろいでいるところ、四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)という者が石段をパカッパカッと馬に乗って上り始め、そして、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上。
この事で平九郎は家光公より『この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである!』と称賛され、『日本一の馬術の名人』と讃えられ、その名を一日にして全国に轟かせたと伝えられている。
(東京都港区愛宕1-5-3/本ブログ管理者2019.5.3撮影)
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愛宕山の山頂を示す「三等三角点」
天然の山としては東京23区内最高峰(標高25.7m)とされているが、決して「23区内の最高地点」ということではない。
あくまでも「自然地形でなおかつ山と呼ばれるものの中では最高」ということである。
例えば、23区西半部の大半は標高30mを超える台地(武蔵野台地)であり、最高地点は練馬区南西端(武蔵関~東伏見の青梅街道沿い=地形図にて確認済み)の約58m。
また人造の“山”を含めれば新宿区の箱根山(45m)が都内最高峰になる。
(東京都港区愛宕1-5-3/本ブログ管理者2019.5.3撮影)
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社殿にお参り♪
主祭神である
「火産霊命(ほむすびのみこと)」を祀っている。
『防火・防災』、『印刷・コンピュータ関係』、『商売繁盛』、『恋愛・結婚・縁結び』にご利益があるといわれている。
(東京都港区愛宕1-5-3/本ブログ管理者2019.5.3撮影)
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「招き石」をナデナデ♪
この石をなでると
福が身につくといわれている。
(東京都港区愛宕1-5-3/本ブログ管理者2019.5.3撮影)
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こっちもナデナデ♪
これが噂の神社犬「こみ」ちゃん。
中庭に繋がれていた。
大人しくて人懐こい、可愛い!!
(東京都港区愛宕1-5-3/本ブログ管理者2019.5.3撮影)
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食欲旺盛!
大きく口開けて、待ってます(笑)
鯉の餌は100円。
社務所にて
御札・御守類と一緒に並んで売られている。
(東京都港区愛宕1-5-3/本ブログ管理者2019.5.3撮影)
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噂の白猫も居た
帰りは女坂から降りてニャ♪
来た道は戻らない。。。
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道が曲がりくねっている分だけ
若干傾斜が緩やかなようである。
(東京都港区愛宕1-5-3/本ブログ管理者2019.5.3撮影)
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明治初期の溜池と虎ノ門
まだ溜池の一部と外堀、
そして門が残っている頃の貴重な写真。
(江戸城外堀跡 地下展示室にて本ブログ管理者2019.5.3撮影)