皆さま、こんにちは!
仕事の多忙な時期からようやく抜け出すことが出来ました。
先週は小学校の修学旅行に同行したり運動会があったりと、
50過ぎのオッサンカメラマンにはかなり堪えた一週間。
(本業で中古車の仕事のビデオカメラマンをやってます)
日頃から「体力づくり」は励まないといけませんわね。
さて今日は函館本線から峰延(みねのぶ)駅の訪問記です。
ホームで見つけた、気になる「のりかえ案内」の件は
後ほど触れることにしまして、まずは駅の様子をUPしましょう。
峰延駅は明治24年に開業した駅。
明治時代はここから峰延炭鉱(明治40年閉山)まで伸びる
馬車鉄道が伸びていたそうですよ。
そんな話を聞くと、ついつい遺構探しを始めちゃう自分ですが…
炭鉱が閉山したのは110年以上も前のこと。
駅前を眺めても、さすがに形跡はありませんでした。
宮脇俊三先生の著書「北海道690駅」(昭和58年刊行)によれば、
峰延駅の駅前には樹齢130年(現在換算で約170年)の
櫟(いちい)の木があるらしいですけど、
まさかコレではありませんよね?
イチイの木、どこにいっちゃったの~?
国鉄時代は長らく古い木造駅舎が使われていたそうですが、
JR移行直後の昭和63年に現在の駅舎に改築されたとのこと。
峰延駅は昭和59年に無人駅化されてますので、
事務スペースを持たない無人駅仕様の簡易駅舎です。
昭和60年代初頭はリゾートブームに乗っかりイケイケだったJR北海道。
この頃は駅舎が改築が一気に推進された時代でしたっけ。
続いてはホームにイン。
峰延駅は複線上に設けられた相対式ホーム2面2線の駅でした。
ホーム間の線路の間隔が広く空いているのは、
国鉄時代は「上り」特急列車や貨物列車を通過させるための通過線が
この場所に敷かれていたため。
それでは追い抜く「下り」列車はどこで退避させてたかというと…
草むらに覆われて見にくいですけど、
外側のホームはかつては島式で、列車はここで退避していたそうです。
北海道の鉄道貨物輸送が華やかだった時代の名残りですね。
峰延駅での貨物の取り扱いが昭和53年に廃止されて
40年以上が経過しましたけど、
当時から使われていたと思われる食糧倉庫は
今も姿を留めてましたよ。
さてさて、冒頭に書いた「気になるのりかえ案内」の件です。
ホームの上で、いかにも「文字を消しましたよ~」的な雰囲気を
醸し出してる案内看板を見つけました。
エロ本の黒塗りを10円玉で一生懸命削った黒歴史を持つ自分。
隠されるとついつい覗きたくなっちゃうのですよね…
はたして何が書かれているのでしょう?
そんな時は、フォトショでコントラストをいじれば一発回答です。
ふむふむ、峰延駅から石狩月形駅までバス路線が伸びてたみたい。
「JR北海道バス 岩見沢線」を検索すれば
バス路線の素性がわかるかもしれませんね。
そこで時刻表の巻頭に掲載されてる鉄道地図を眺めると、
確かに岩見沢駅と石狩月形駅を結ぶバス路線が存在してました。
石狩月形駅と言えば、今年の5月に廃止されたばかりの札沼線の駅です。
現在は岩見沢駅バスターミナル~月形駅前バス停間を
北海道中央バスの岩見沢線が伸びているので、
単に、JR北海道バスの路線が転換されたために
案内看板が消されたのだと思いましたが…
国鉄時代の時刻表を見ると、バス路線は岩見沢駅からではなく
峰延駅から石狩月形駅にまっすぐ伸びてるのに気づきます。
そこで時刻表を調べると、当時の国鉄バス岩見沢線は
岩見沢駅を出ると峰延駅を経由して石狩月形駅に向かう
現在とは違うルートを辿っていたとのこと。
国鉄バス岩見沢線はJR北海道バスにも引き継がれましたが、
平成15年に廃止されたそうです。
国鉄時代は岩見沢駅を朝の6時15分に出発して
石狩月形駅に7時05分に着く便があったみたいですが、
もし現在も運行されていたら、
廃止直前の札沼線の早朝の列車が撮影できる
鉄道ファンに人気の路線バスだったかもしれませんね。
最後はホームから眺めた構内の様子で〆ます。
古い食糧倉庫に様々な仕様のホーム、駅舎、撤去された待避線等々…
情報量が多い写真が撮れるのが函館本線の駅の魅力でした。
「明治24年開業」は伊達じゃありませんぜ☆
北海道の国鉄(JR)駅を知るなら必読な一冊ですが…
いくら稀少でも価格がインフレ過ぎやしませんかね?
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