皆さま、おばんです!
ここ数日、クソ熱い日が続いてますね。
こんな時は雪が残る時期に訪れた駅の訪問記をUP!
一昨年の4月に訪れた
宗谷本線・塩狩(しおかり)駅の訪問記です。
塩狩駅は大正13年に信号場が昇格して誕生した駅でした。
実はSLブームの頃の鉄道ファンにはよく知られていた駅でして、
標高273メートルの塩狩峠を超えために
勇ましい列車の写真が撮れることから
多くのファンが訪れていた有名な撮影スポットでしたの。
自分はSLブームは知らない世代でしたが(さりげなく若さをアピール)、
古い鉄道雑誌で塩狩駅の名をしょっちゅう目にしてました。
だから塩狩駅に来ることをとても楽しみにしてたのですよね。
待合室の中には塩狩峠を越える蒸気機関車の写真が飾られてました。
雪景色に真っ黒な蒸気機関車の姿はよく映えますな。
塩狩駅は昭和61年に無人駅化されましたけど、
以後も有人駅時代の木造駅舎が残ることから
駅ファンにも人気の駅だったのですよ。
出札窓口跡に駅ノートが置かれていて、
ここを訪れるファンも多いのだろうな…と思いましたけど、
実のところ1日の乗車客数は1人にも満たない状態らしい。
JR北海道がこの春に公表した「廃止を含めた管理見直し」の対象駅に
塩狩駅も含まれていたみたいですね。
塩狩駅がいつまでも存続してほしい気持ちは山々ですが、
駅の維持に多額の費用がかかるのも事実。
どうぞ、来年のそのまた翌年のダイヤ改正までも
塩狩駅が元気でありますように。
お次はホームにイン。
塩狩駅は駅舎とホームの間に段差があるために、
こちらの階段を伝ってホームに進入することが出来ます。
こちらが塩狩駅のホーム、
列車の行き違いが可能な相対式ホーム2面2線構造でした。
鉄道雑誌に掲載されてる塩狩駅の古い写真と見比べると、
駅自体はさほど大きな変化はないみたいですね。
低いままのホームに興奮して思わず鼻息を荒くしちゃましたわ。
さてさて、古風な駅舎を持つ塩狩駅でしたが、
ここにはもうひとつ、忘れちゃいけないスポットがあるのでした。
駅舎の入口の向かい側にソレがありましたよ。
「塩狩峠」の標木の手前に石碑がありますけど、こちら
明治42年に塩狩峠で発生した列車分離事故により殉職された
長野政雄さんの顕彰碑でしたの。
自分はこの事故のことを宮脇俊三先生の著書で知りましたが、
事故の概要を書くと、ざっとこんな感じだったようで…
明治42年2月28日に、塩狩峠を通過中の列車が
頂上付近で異常解結する事故が発生。
連結が外れた最後尾の車両は逆走するも
車掌が手ブレーキを操作して、これを制止したそうです。
その際に車掌業務に携わっていたのが
旭川運輸事務所に勤務する長野政雄さんでした。
長野さんは熱心なクリスチャンで、日頃から
「苦楽生死均しく感謝、余は感謝してすべてを神に捧ぐ」
という遺書を懐に携えながら業務に就いてたとか。
今回の事故では乗客は全員無事でしたが、
長野さんは列車を制止する際に車両に巻き込まれ犠牲に。
この実話が作家の三浦綾子さんによって小説化すると大ヒット、
顕彰碑は遺徳を称えて昭和44年に建てられたモノだそうです。
小説の「塩狩峠」を知らないの?って言われそうですけど、
横溝正史さんの小説以外読んだことがなくて、本当に申し訳ない。
駅を出るとすぐの場所に、
この階段の上に記念館があるらしい。
せっかくなので階段を上がってみましたよ。
あらま、ステキなお住まいだこと。
こちらは三浦綾子さんが執筆活動に入る以前、
雑貨屋を営んでいた時代に住まわれてた建物とのこと。
元々は旭川市内の別の場所にあったそうですけど、
解体前に小説「塩狩峠」の舞台でもあるこの地に移設されたとか。
これを見るだけでも
塩狩駅に来る価値があるのではないでしょうかね?
開館する時刻の前に来て、館内を見ずに
白樺を見て満足しちゃった自分が言うのもなんですけど。
…以上、積雪に囲まれた中の塩狩駅の訪問記でした。
事故から110年近くが経過、
特急列車は今も塩狩峠を減速しながら通過してゆきます。
車窓からも顕彰碑が見えますので
通過の際はぜひチェックしてみてくださいね。
(↑旭川駅方面)
塩狩駅(平成28年4月5日)
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