皆さま、こんにちは!
国鉄時代、釜石線には保線区の管理室を備えた駅があったらしい。
側線にはマルタイやらバラストホッパ車が常駐されいて、
とても賑やかな駅構内だったそうですよ。
最近は「ホッパ車」ではなく「ホッパー車」と表記される方が多いみたいですね。
そんな駅に、一昨年の11月に訪れました。
釜石線・鱒沢(ますざわ)駅です!
の前に…
駅舎はどこに行ったんすか!?
それとこの、ガーデンアーチ的なヤツはなに?
ここに駅名が掲げられているんですけど。
…前にもブログで書きましたが、
釜石線は平成5年に全線でCTC化され、多くの駅が無人駅化されました。
その後、老朽化した木造駅舎は次々と撤去されたのですが、
新たな駅舎が建てられることなく、
ホーム上の待合室と、駅名が引っ付いたアーチ状のフェンスに変ったのですよ。
それにしても、これが駅舎の代わりとは…
ここを訪れる多くの駅ファンが泣いておりますぜ。
駅舎があった時代を偲ぶために見つけてきた航空写真。
昭和51年に撮影された写真です。
国土地理院サイトより転載。
長大な編成の貨物列車が写ってますよね。
DD51牽引の貨物列車で、その後ろは車掌車のヨと…
黒いボギー貨車(無蓋車のトキ15000?)が7両続き、その後に7両の2軸車。
今となっちゃ夢のような編成です。
ついでにもう1枚、昭和23年に撮影された航空写真でした。
国土地理院サイトより転載。
鱒沢駅が開業したのは大正4年のこと。
釜石線の前身である岩手軽便鉄道の手により開業した駅で、
国有化後の昭和23~24年にかけ、762ミリ→1,067ミリ軌間に改軌されました。
写真に白いバラストが写ってますから
おそらくは改軌直後に撮影されたモノと思います。
側線には工事用の車両が留置されてますよね。
こんな賑やかな景色が、毎日のように展開されていた鱒沢駅…
ホームは昔の姿のままなのに、妙に寂しく感じるのはなぜだろう?
鱒沢駅は列車の行き違いが可能な島式ホームを持つ駅です。
このホーム、荒谷前駅と同じ石積みで出来ているので、
軽便鉄道時代に造られたモノで間違いないでしょう。
この日は留置車両はありませんでしたが、側線が残ってますので
保線基地としての役割は今でも担っているようですね。
さてさて、鱒沢駅が保線基地となった理由ですが…
岩手軽便鉄道が敷設された大正時代と言えば、物資輸送の主流は河川舟運。
猿ヶ石川沿に延びる岩手軽便鉄道の駅の中でも
鱒沢駅は特に河川に近い場所にありますので、
建設に必要な資材を搬入する一大拠点だったのではないかと。
あくまでも個人的な憶測ですが、
釜石線の建設に重要な役割を果たした駅だったのではないでしょうかね?
昭和23年に撮影された航空写真を見ると、
この空き地には当時、大きな工場?倉庫があったようです。
これが保線区(遠野保線支区)の管理室だった建物かな?
有人駅時代から残る唯一の建物のようですよ。
釜石線の名物であるエスペラント表記の駅名標、
鱒沢駅はLakta Vojo(ラクタ ヴォーゴ)[天の川]でした。
はじめは、鱒沢駅周辺の夜空がキレイで付けられた駅名かと思いましたが、
案外、目の前を流れる猿ヶ石川が由来だったりして。
そんなことを考えていたら、鱒沢駅がロマン溢れる駅に思えてきちゃいました。
さっきまで「寂しい駅」とか「ファンが泣いている」とか言ってたくせにね。
↑(花巻駅方面)
宮守駅(平成26年11月30日) ・新駅舎(平成29年3月14日)
鱒沢駅(平成26年11月30日)
↓(釜石駅方面)
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