得意なことや苦手なことは自分ではありません。
おはようございます。自己実現を繋ぐ心理カウンセラーの井手章紀(いであきのり)です。あなたは自分が苦手なことを淡々とできる人に対して劣等感を抱いたりまたそういった人ができないことを自分が得意であったりするとその方に対して優越感を抱いたりしたことはありませんか?優越感とまではいかなくても何だか安心したという経験はあるかもしれません。そういった劣等感や優越感を感じている時多くの場合、その得意なことや苦手なことと自分の価値、何なら自分そのものが結びついています。得意なこと=自分となっていると鼻が高いですし苦手なこと=自分となっていると惨めさで消えてしまいたくなるような感覚になるのです。そもそもそういった得意なことや苦手なことは本当の自分ではありません。本当の自分という存在はそういった変化する事象に重ね合わせられるものではなく一定に「在る」存在です。仮に得意なことや苦手なことが自分だとしたなら常に自分という存在は誰かとの比較の上にしか成り立ちません。ですが、その比較だけで自分という存在を証明することはできませんね。これは得意なことや苦手なこと以外にも言える話です。うまくいくこと、うまくいかないこと褒められたこと、相手にされなかったこと好かれること、嫌われること等その全てを合わせても自分ではないのです。これらを自分の一部ととらえられるかもしれませんが残念ながらそれらは常に一定でないため自分の一部でもありません。このように言うと何だか悲しい感じに聞こえるかもしれませんがこれを言い換えるとたとえどんなことが得意であろうと苦手であろうと自分という存在は変わらないのです。そして勿論ですが、わざわざそれらを捨てる必要はありません。得意なことや苦手なことはどれもこの社会でやっていくためには必要なツールです。ですが、そこに自分の存在価値を重ね合わせると外の事象に一喜一憂し、必要のない労力と苦しみを勝手に背負うことになります。また得意なことや苦手なことと自分を重ね合わせることとは言い換えると「外」に自分という存在を当てはめているとも言えます。得意なことや苦手なことは自分がしていることだから「内」じゃないのと思われるかもしれませんがそもそも得意や苦手を意識している時は大抵「外」を見ています。本当の揺るぎない不変の自分は「内」にしかありません。本当の揺るぎない不変の自分に気づいていくと得意なことや苦手なことがあってもそこに自分を重ねることなく自分と分けて考えることができるようになります。その状態では得意だからと優越感に浸ることも苦手だからと劣等感に燃えることもありません。すると外の事象に逐一左右されることなく自分にとって必要なことが見え、人生が心地よく開けていきますよ。≪個人カウンセリングの申し込みは下記リンクからお願いします。質問も随時募集中です。≫個人カウンセリングについてはこちらご質問、ご要望はこちら(初めて投稿する際はこちらをご一読下さい。)最後までお読みいただき、ありがとうございます。