おはようございます。
自己実現を繋ぐ
心理カウンセラーの井手章紀
(いであきのり)です。
誰かの存在が全てで
いつもその方を追いかけていて
その方の一言一言がいつも気になって
そういったことはありませんか?
私は誰かに心酔するというのは
お勧めしません。
たとえそれが
どれだけ素晴らしい方であっても
どれだけ好きな方であってもです。
誰かに心酔されている方は
無意識のうちに別の方に対しては
ぞんざいな扱いをしてしまいます。
直接的にやる場合もあれば
直接何もしなくても
心の中で馬鹿にしたりけなしたり
下に見るということをやっているかもしれません。
もし、誰にもぞんざいな扱いをせず
誰かに心酔しているなら
それは自分に対して
無意識にぞんざいな扱いをしています。
なぜ、はっきりこのように言うかと言うと
誰かを心酔する、あがめるという状態の
裏の姿がこれだからです。
私達は無意識に表の表現と裏の表現を
様々な場所で使い分け、その帳尻を合わせています。
どこかで表を表現する場合
どこかでは必ずと言っていいほど
同じ性質の事で裏を表現します。
誰かを好きと言うのは
とても心地よいことだと思いますが
それが行き過ぎる状態、
心酔、崇拝、過剰な愛という状態は
その裏である嫌いの感覚を
行き過ぎたものに強化してしまいます。
誰かを全肯定している時は
どこかで別の誰かを全否定します。
それが親なのか、家族なのか、友人なのか
パートナーなのか、インターネットの向こうの相手なのか
社会なのかはわかりませんが
誰かをどこかで全否定しています。
分かりやすい例が
誰かを好き(恋愛等関係なく)でいる時、
その周りの人もその方に心酔している状態ですね。
こういった時、人は周りの人ではなく
自分の方に意識を向けて欲しいものです。
こういう時何を思っているか
言葉を選ばずに言うと周りは邪魔なんですね。
自分以外に注目を向けてしまう可能性に
なっているわけですから。
ですが、そのようなことを言っても表現しても
心酔している相手は引いてしまいます。
だから、表面上は
そういった心酔した仲間同士仲良く、
でも心の中では互いに
「今、この人より私の方が見てもらえてる」とか
「あ、こいつ五月蠅いな、近づきすぎだ」とか
思ってしまうわけなんです。
好きになった相手は全肯定、
でも自分と同じような人は全否定の一例です。
それをしていないという時は
冒頭でも言いましたが
その否定の対象が自分です。
自分の考えや意見、感覚を
自分なんかという言葉で一蹴しています。
この現象はどこの場所でも心酔がある限り
大なり小なり起こっています。
勿論、何でも好きと言う感覚が
こうなるわけではありません。
自分の軸を持ったうえで好きになる、推しになる場合は
本当に好きな感覚そのものを楽しんでいますから
問題にはなりません。
これは好きと自分を切り離せている状態です。
人は自分と好きが区別できずに
同一になっている時、それに心酔しています。
この好きと自分が切り離せている状態では
いつも好きに思いを馳せているわけではありません。
それと距離がある時間や人間関係も
その好きに逃げることなく心から大切にしています。
また、その好きになった方や周りからの反応に
自分の全てが左右されるということもありません。
そして、もし合わなくなってきたとても
その方にしがみつくことなく感謝して
離れることができます。
これは言い換えると好きの感覚に
自分が引っ張られていない状態だとも言えますね。
最後にもし
「自分だけを見て欲しい」
「自分の全てをささげたい」
「この人の言うことに間違いない」
「周り邪魔だな」
といった好きというよりは
自分や誰かを見張り、けなしたうえで
成り立つような愛を示したくなった時は
注意されることをお勧めします。
本当に好きという感覚でいる時は
誰のことも見張らずに
ただその感覚を楽しんでいますよ。
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