おはようございます。
自己実現を繋ぐ
心理カウンセラーの井手章紀
(いであきのり)です。
自分と向き合うという言葉を
今の時代はよく使うようになりました。
私も自分と向き合うことは
私たちが抱える
苦しみから本質的に楽になるためには
必須のことだと思います。
ただ、その「自分と向き合う」という言葉で
自分を傷つけていませんか?
自分と向き合うことが
自分との戦いになってしまうことが
私たちにはよくあります。
すると、自分に当たり前のように罵詈雑言を浴びせたり、
あえて自分の嫌なことを意味もなくしたり、
自分を傷つけるために苦しい状態に身を置いてみたり
してしまいます。
そうした自分への攻撃を
「自分と向き合う」という言葉は正当化してしまいます。
自分と向き合うことの
本質を忘れないでください。
自分を苦しめることを
自分と向き合うとしているなら
いくらやったところで
心地よい現実を目の前にすることはありません。
そうして目の前に創られる現実は苦しみの現実です。
そして、その現実を目の前にして
「いや、まだ自分と向き合えていないことがあるんだ」
と言い、また自分を傷つける
このようなことを繰り返していませんか?
自分と向き合うとは
嘘偽りのないありのままの自分を見るということであり、
そのどす黒い自分に寄り添い、優しく接することです。
ただ、ありのままの自分を見るというのは
時として苦しむこともあります。
ですが、その苦しみは
今まで見ないように、無かったことのようにしていた
重荷のようなものです。
それらは見ないように、無かったことにしている限り
重荷はそこにありますから
私たちの苦しみが本質的に楽になることはありません。
一方で、自分と向き合うと言いながら
自分を攻撃しているなら
それはその行動自体で苦しみを生みます。
例えば、自分の中で苦しい感覚が出てきた際に
「もっと、苦しめ」というような言葉が出てきたり、
「もっと傷つけば素晴らしい現実になるんだ」という感覚が
出てきたりしているなら
それは自分を傷つけることを目的としていますね。
本当に自分と向き合った後というのは
自分の心の器が広がっています。
自分が今まで見ないようにしてきたものを
見るというのは、やはりいい気持ちではないかもしれませんが
それでも終えた後は
自分の中で何か広がりを感じます。
長年抱えていたような肩の重荷が下り、
何とも言えない心地よさを感じます。
改めて、自分と向き合うという言葉は
少し注意して使ってみてください。
私自身、この罠にはよくはまりました。
自分と向き合うと言いながら、自分を攻撃する
これを何度やったか分かりません。
やっている時は何だかそれが正しいことのように
感じられてしまうんですよね…。
ですが、そんな自分との向き合いを終えた後は
いつも疲弊していました。
そんな自分に「本当に情けないな」と
さらに言葉の鞭を打っていました。
皆様も自分と向き合うことが
自分への攻撃になっていないか確認してみてください。
何度も言いますが、
それをいくらやっても自分の現実が心地よくなることはありません。
なぜなら、そもそもそのような状態になっている時は
自分が幸せになったり
心地よくなることを許していませんからね。
本当に自分と向き合っていくと
今まで見ないようにしていた自分に触れるため
そこで苦しさを感じるかもしれません。
ですが、そんな見たくない自分を
自分のペースで受け入れていくことで
今まで凝り固まっていた
苦しみの重荷が少しずつ溶け、
その分、本質的な揺るぎない心地よさが
湧きあがってくるのを感じられますよ。
≪個人カウンセリングの申し込みは下記リンクからお願いします。
質問も随時募集中です。≫
最後までお読みいただき、ありがとうございます。