父を看取って

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先月中旬、父が入院先の伊豆の病院で肺炎により、亡くなりました。

89歳の誕生日を迎えて3日後のことでした。


私は、危篤と言われてから最後の数日間、病室に泊まりこんでいたので、
看取ることができました。

 

昨年10月の父の入院のきっかけは、階段から転落したことによる

外傷性くも膜下でした。
救急病院にかつぎこまれ、危篤状態で家族が呼び集められたのです。

父は驚異的な回復力を見せ、2週間の昏睡状態から目覚めました。

それでも意識障害を患ったため、リハビリに取り組み、
家族総出でサポートしてきました。
 

事故前は、健康診断でもまったく問題がないほど健康体で、
父の素晴らしい生命力と相まって、高齢でも見込みが厳しくても、

「あきらめない」という思いで家族も付き添ってきたのです。

ただ、肺炎を繰り返し発症することとなり、
最後は重症化し、それによって亡くなりました。

 

担当医の先生は最後までできる限りの治療を試みてくれましたし、

危篤と言われてから、病院スタッフの優しさがより身にしみました。

 

付き添いのために病室に入れた簡易ベッドが硬いでしょうと

介護スタッフがマットを追加してくれたり、
看護師さんが、アロマを習ったんですと言って、
ラベンダー・オイルで丁寧に父の手足をマッサージしてくれたり。
 

これから亡くなる人を取り巻く空間は、丁寧で、温かく、優しいものでした。

 

ティムが家族として初めて病室に泊まってくれた時、

夜勤の介護スタッフが、「いつもの夜より、お父さんが安らいでいるように

見えますね。家族がいるから安心しているんですね」と言ったら、

何日も意識レベルが落ちていて、声をかけても応答していなかった父が、

微笑んだそうです。


それは驚異的なことでした。

 

いざという時のためにと母から頼まれて私が用意した着物は、

適切なものがなかなか見つからず、大変でしたが、
やっと見つけたものは父に似合っていて、ほっとしました。

 

病院でも着るものを提供できたのですが、家族が丁寧に選ぶということに

意味があることを実感しました。

 

実際、家族が選ぶのが一番ですよと言ってくれたスタッフの方もいました。

 

密度の濃い時間の中で、ひとりひとりの方の言葉が印象に残っています。

 

亡くなった日の前夜。

病室からあまり離れないようにしていて、しばらくコンビニの食事しか

していなかったので、近くの食事処に母と食べに行きました。

 

ひとりで病院に戻った道すがら。

突然、大切な人を失うというリアリティが迫ってきて、

自分の中から湧いてきた強い感情にしばらく揺さぶられました。

 

そしてその夜が明けた頃。

何日にも及んだ肺炎でも、父は驚異的なほど奮闘し、呼吸を続けていました。

両方の肺が白くなっていて、ほとんど機能しなくなると、

心臓が代わりに頑張っていたのです。

 

でももう限界でした。

 

最後の時が始まると、それは、今まで自分がもっていた、
父が亡くなるということについてのあらゆる考えや恐れ、悲しみを凌駕する、
静謐なプロセス(現実)の進行でした。
安らかな時が訪れました・・・。

私とティムは、C+Fの活動において、
「生老病死」はもっとも深い学びとなると考えてきました。
その体験をすることによって、

人生で何が本当に大切かを知ることができるのです。
そのため、できるだけ身内や親しい人、そして頼まれた場合に、
お産や病い、末期の場に立ち会うようにしてきました。

ただ、体験をすればいいというものではなく、

「在り方」というものがあります。

死にゆく人のためにも、恐れなく、その場にいること(プレゼンス)が

何よりも大切なことです。


今回の体験の中で、こうしたことを学んでいたことを、

本当にありがたく思いました。

そうした在り方の知恵を伝えていくことができるのは、

人間ゆえのことではないかと思っています。


伝統的な社会においては、「生老病死」は自宅で起きることであり、
そのような知恵を引き継いできたのだと思います。

私がしたことは、父が少しでも楽になるよう、
呼吸に合わせて胸に手を当てていたり、
あまりにも苦しい状態になったら、痰の吸い出しを頼みに

看護師さんを呼ぶことなどでしたが、

下顎呼吸が始まってからは、手を握ったり、
恐れなく、光の方に歩いていくように語りかけたりしました。

 

親の最後を子供が見届けるということは、

とても意味深いことだと思いました。

看取りというのは、タイミングが許せばということになりますが。
 

実際、去年、父が救急にかつぎこまれた時も、
次の日はバイロン・ケイティ・ワークの伊豆合宿でした。

父の状態をある程度見届け、家族に託して、
当日、病院から合宿の場に向かったのです。

 

「死」というテーマも含め、深いワークになりました。
 

今回もなんとか両立したかったのですが、状況が異なり、
結果的に2つのワークショップをキャンセルすることになりました。
 

とても申し訳なかったのですが、

参加予定だった皆さんのご理解やご協力をいただいたからこそ

可能になった、貴重な時間でした。

 

亡くなった後は、東京から葬儀屋さんが迎えにくるまで、

窓から美しい風景が見える病室で、何時間も父と過ごすことができました。

その間、父がお世話になった担当医や看護師さん、リハビリスタッフ、

介護スタッフの皆さんが、代わる代わる最後のご挨拶に来られました。

 

実家がある東京へ向かう車を送り出した後、

たまたま友人がベジ寿司をおすそわけしてくれる予定の日だったので、

その特別な日に、美しく、しかもとてもおいしいお寿司と発酵甘酒、

そしてホットティーをいただくことができ、心癒されました。

 

それから、翌日は東京出張だったので、髪を切りに行ったのですが、

仕事のためと考えながらも、実は深いところで、

その時の自分にとって髪を切ることは禊のようなものであるように

感じました。

 

表向きの理由とは異なる、深い流れに導かれ、
必要なことをしているような。


次の日。
 

私とティムは、グリーフケア(遺族の心のケア)のセミナーを

行っている橋爪ご夫妻が運営されているGSIに招かれ、
ケアの有資格者のグループに対するエニアグラムのセミナーを行いました。


参加していらっしゃったのは、葬儀屋さん、お坊さん、GSIの皆さま。

人知では計り知れない、大きな流れの中にいることを実感しました。

 

この1年余り、付き添いとして多くの時間を病院で過ごし、

父の病いに付き合ってきましたが、
父の命を救えなかったとか、もっと何か方法はなかったのかとか、
父とはもっと深い話をしておけばよかったという気持ちがまだ
クリアになった訳ではありません。

でも後悔も含めて、あらゆる気持ちをしっかり感じることで、

そこから自然に展開していくものを大切にしたいと思います。

(苦しくなれば、ワークで取り組むこともできますが。)

哲学者ジェイコブ・ニードルマンは、スピリチュアルな問いとは、

解決するものではなく、深めるものだと言っています。

私が望んでいたシナリオとは違うものの、起きた現実そのものが
とてつもない教えであり、父の贈り物ですらあったような気もします。

 

軍国少年として戦争を体験し、戦後は平和を心から希求した父でした。
そして医師として、患者の立場に立った、よりよい医療も。

1年余りの介護生活の支えとなってくれたり、
祈りを送っていただいた皆さま、ありがとうございました。

 

 

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