先週末のエニアグラム月例ワークショップのテーマは、
「自己成長」。
その中で死に対する怖れについて触れました。
死に対して怖れることは、生きることを怖れること。
日常で私たちが経験するさまざまな恐れのおおもとにあるのは、
死に対する怖れです。
死を恐れていなければ、日常で起きるさまざまなことに対し、
決然と向かっていくことができるでしょう。
逆に、死を恐れるからこそ、日常のさまざまなことに対して、
ビクビクしながら生きることになります。
だからこそ、「死に対する怖れは、生きることに対する怖れとなる」と
いわれます。
そもそも、死に対する怖れは、どこからくるのでしょう?
ホロトロピック呼吸法を開発した精神科医のスタニスラフ・グロフ博士は、
生まれた時の体験からくると考えています。
胎児にとり、すさまじい陣痛の収縮の中、
産道を通って生まれてくるというのは、
死に等しい体験なのです。
それでは、死に対する怖れを軽減するには、
どうしたらいいのでしょう?
死に対する怖れが少なく、
それにより、十全に生きているように見える人たちがいます。
先週末のワークショップで私は、
そういう人たちは、「自我の死(ego death)」を何度も
体験してきているとお話しました。
「自我の死」というのは、「これが自分だ」と思ってきた自分の死。
たとえば、「よき妻」、「よき息子」をやめた時。
大切な人を失ったり、離婚した時。
学生時代が終わり、社会人になった時。
定年により、仕事人生に終わりを告げた時。
病気により、視力や声を失った時、
老いることも、死に向かっての緩慢な自我の死です。
若い時の容貌を保てなくなったり、体が自由に動かなくなったりするのです。
そうした「自我の死」に向き合い、乗り越えてくる体験は、
死そのものに対する怖れを軽減させます。
20年以上前なのに今でも忘れられませんが、私たちのワークショップに、
半身が義手、義足の女性が来られました。
電車に跳ねられ、腕と脚を切断したのです。
モデルをしていたほどの美しい女性で、どれだけの喪失をこの人は
通過してきたのだろうと考えずにはいられませんでした。
そして彼女はなお、鱗とした美しい存在感を放っているのです。
スティーヴ・ジョブズは、
「死」は「生」による唯一で最高の発明品であると語っていました。
癌の告知を受けた後のスピーチで、次のように言っています。
「自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは、もっとも大切な方法です。
私は人生で大きな決断をするときにかなり助けられてきました。
なぜなら、人からの期待や自分のプライド、失敗への恐れなど、
ほとんどすべてのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のものであり、
それでも残るものだけが本当に大切なことなのです。
自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと
危惧する必要はなくなります。それは私の知る限りの最善策です。
失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。 」
「自己成長」。
その中で死に対する怖れについて触れました。
死に対して怖れることは、生きることを怖れること。
日常で私たちが経験するさまざまな恐れのおおもとにあるのは、
死に対する怖れです。
死を恐れていなければ、日常で起きるさまざまなことに対し、
決然と向かっていくことができるでしょう。
逆に、死を恐れるからこそ、日常のさまざまなことに対して、
ビクビクしながら生きることになります。
だからこそ、「死に対する怖れは、生きることに対する怖れとなる」と
いわれます。
そもそも、死に対する怖れは、どこからくるのでしょう?
ホロトロピック呼吸法を開発した精神科医のスタニスラフ・グロフ博士は、
生まれた時の体験からくると考えています。
胎児にとり、すさまじい陣痛の収縮の中、
産道を通って生まれてくるというのは、
死に等しい体験なのです。
それでは、死に対する怖れを軽減するには、
どうしたらいいのでしょう?
死に対する怖れが少なく、
それにより、十全に生きているように見える人たちがいます。
先週末のワークショップで私は、
そういう人たちは、「自我の死(ego death)」を何度も
体験してきているとお話しました。
「自我の死」というのは、「これが自分だ」と思ってきた自分の死。
たとえば、「よき妻」、「よき息子」をやめた時。
大切な人を失ったり、離婚した時。
学生時代が終わり、社会人になった時。
定年により、仕事人生に終わりを告げた時。
病気により、視力や声を失った時、
老いることも、死に向かっての緩慢な自我の死です。
若い時の容貌を保てなくなったり、体が自由に動かなくなったりするのです。
そうした「自我の死」に向き合い、乗り越えてくる体験は、
死そのものに対する怖れを軽減させます。
20年以上前なのに今でも忘れられませんが、私たちのワークショップに、
半身が義手、義足の女性が来られました。
電車に跳ねられ、腕と脚を切断したのです。
モデルをしていたほどの美しい女性で、どれだけの喪失をこの人は
通過してきたのだろうと考えずにはいられませんでした。
そして彼女はなお、鱗とした美しい存在感を放っているのです。
スティーヴ・ジョブズは、
「死」は「生」による唯一で最高の発明品であると語っていました。
癌の告知を受けた後のスピーチで、次のように言っています。
「自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは、もっとも大切な方法です。
私は人生で大きな決断をするときにかなり助けられてきました。
なぜなら、人からの期待や自分のプライド、失敗への恐れなど、
ほとんどすべてのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のものであり、
それでも残るものだけが本当に大切なことなのです。
自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと
危惧する必要はなくなります。それは私の知る限りの最善策です。
失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。 」