ネパールに心を寄せて

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ネパールは、私の人生を変えたといってもいいくらい、
その文化や人たちから多大な恩恵を受け、助けてもらいました。

地震の被害が一番大きかったとされるカトマンズに住む友人たち
のことが気にかかります。そして、以前に訪れたことのある、
山間部の人たちのことも。

日本でも世界各地でも、救援活動や募金活動が活発に行われて
いるのは心強いことですが、今も苦境にあるネパールの方々の
ことが気がかりです。

最後にネパールを訪ねたのは、1987年ぐらいとかなり前
なので、友人と音信不通になってしまったものの、
フェイスブックのおかげで何とか探し出すことができ、
アメリカに住んでいる息子さんらしき人の投稿で、
家族が無事らしいとわかったのは、一安心。

今、インターネットが通じているかどうかもわかりませんが。

ネパール有数の観光地であるカトマンズやバクタプール、
パタンなど、何度も通ったなじみのある町で、多くの重要な
建物や文化財が破壊されました。
それは日本にたとえると、京都で親しまれている中心的な
文化財が破壊されることに等しいのです。

観光業が主要な産業であるネパールでそれがいかに大きな
精神的・経済的打撃であるか、そして王制が廃止された後の
ネパールの混迷した政治状況や財政状態を考えると、
復興がいかに大変か、容易に想像できます。

ネパールは、1981年、私が初めて海外旅行をした国。
それも21歳の時のひとり旅でした。

厳密に言うと、日本を出発し、途中、香港でトランジットし、
さらにタイで1泊したので、ネパールが初めての外国
とは言えないのですが。

当時は、精神的に追いつめられていた事情があり、
とにかく日本から一時的に離れようと思ったところ、
大学の指導教授がネパールに行く予定と聞き、
現地でまったく誰も知らない人がいるよりは心強いと思って、
ネパールに行くことにしたのです。

だから正直に言うと、ネパールそのものに興味があった訳
ではなく、何も予備知識がないままでした。

ただ、海外に行くなら、ヨーロッパやアメリカといった、
メジャーなところではないところに行きたい気持ちは前から
あったのですが。

タイからネパールへのフライトでは、ヒマラヤの山々と雲が
神々しいほどの美しさです。
二重の円になった虹も見えました。

そしてネパールの空港に到着した時、もう日本に帰れないかも、
と思ったほど、辺鄙なところに自分が行き着いたことに気づきました。

それでも、適性技術のフィールドワークのために指導教授が
滞在していたホテルに行き着き、フレンドリーなスタッフに
ネパール語を教えてもらったり、
山間部の、急な崖の上にある家々を教授と訪ねたり。
電気もなく、床は土のままです。

路上で物を売っている、10歳にも満たない少年は、
5ケ国語を操っていました。
生きるためのたくましさ。

また、ヒンドゥー教の寺院でその文化に触れたり、
カトマンズの町をサイクリングしながら、歩いている象の隣を
通り過ぎるなど、「先進国」では体験できない現実の展開を
興味深く受けとめていました。

新鮮な発見に満ちた旅でした。

なぜかネパール語は自分の中にすっと入ってきて、
覚えやすいのです。
不思議と沖縄の言葉もそうですが。

挨拶をする時、ネパールの人が手と手を合わせて「ナマステ」と言うことは、
「自分の中の神様が、あなたの中の神様にご挨拶申し上げます」
という意味だと聞いたことがあります。

そんな挨拶の習慣すら知らずにネパール入りしていたのですが、
美しい挨拶のしかたに魅せられました。

また、家長が大阪の万博でネパール館の館長をしていた関係で、
とても親日的という家族との出会いも大きく、
お家に招いていただいたり、
息子さんたちとプールに泳ぎに行ったりするなど、
地元に溶け込んだ体験ができました。

初めてといえる、温かな人情味あふれる人たちとのつながりを
感じ、ネパールで3週間過ごして旅立った時は、理由もなく、
飛行機の中でずっと泣いていたのを覚えています。

また、世界の果てのように感じるところまでひとり旅したことに
よって、自分が生きていく自信もつきました。
あとから考えてみれば、それは「通過儀礼」だったのかも
しれません。

帰国後は、ネパール語教室にしばらく通ったり、
ネパールで会った家族の長男が大阪に留学していたので、
会いにいったり。

そして1987年頃に再びネパールを訪れました。
自分にとって大切な国をティムにも知ってほしかったのです。
長男は日本の女性と結婚し、子供も授かっていました。
再びお家に招いていただいて、一緒に餃子(現地ではモモと
言う)づくりをしたことなどが思い出されます。

親日家の多いネパール。東北の大震災の時にも、多くの支援をしてくれました。

ネパールの方々のお役に立つことを見つけていきたいと思います。
一般的な募金ということだけでなく、顔が見える相手がいる
場合、より直接的にできることもあるのではと思っています。




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