明日の選挙を前に、改めて選挙公報を見ている。
各党、各個人の意見が一覧になっているので、やはりわかりやすい。
それはもしかしたら、自分が求めているものが明確であれば、
ということなのかもしれないけど。

人によっては、百花繚乱で、かえって混乱したりするのかな?

「政治のことはよくわからない」、「複雑」と、
政治家任せにすることはやめて、そろそろ私たちの中の
「フツーのまっとうな」感覚を信じて、
もっと表現してもいい頃ではないかと思う。
(そうする人が少しずつ増えてきているように思うけど。)

自分の感覚というのは、私についていえば、
明確なのは、たとえば次のこと。

自然エネルギーなど、希望をもたらし、社会を活性化するような政策、
そしてさまざまな構造改革を伴わず、金融中心の経済政策を推進する
アベノミクスが成功するとは思わないこと。

環境汚染の危険性とコストが圧倒的に高い原発は不要ということ。
大地震の可能性が高まっている今、即時廃炉にする必要性があること。

憲法や適切な手続きを違反してまで強引に成立させた安保法案成立は
おかしいよね、とか。
武器輸出をしやすくし、福島の事故を起こしておきながら海外に原発を
売り込むのはおかしいよね、とか。

国を動かす政治家が、戦争はもちろん、それ以外にも重大な判断を誤ることがある、
ということは、これまでの経験から十分すぎるほどわかっていて、
自分の感覚を信じる必要性があると思っている。

原発が危険であると過去35年以上に渡って自分は知っていたのに、
大半の政治家は、その危険性を知らなかった。

イラク戦争が開始される前、なんて愚かなことを、なんて多くの犠牲を
強いることを、と他の多くの人たち同様、自分は思っていたが、
日本政府はその戦争を支持した。

最近は、イラク戦争の過ちと、その結果として「イスラム国」の台頭を許すことに
なったという認識が一般的になっている。

「する」よりも「しない」ことの方がまし、ということはよくある。

今回の選挙は、「改憲勢力3分の2に届くか」が結構話題になっている。
各党によっても「改憲」の内容は違うけれど、私自身はシンプルに、
「下手に変えるよりは、変えない方がまし」と思っている。

たとえ聞こえのよい「改善内容」であったとしても、その奥に
どういう意図があるのかを見抜くことが大事だ。
それは、改正案を提案している人たちを「信頼」できるかどうか
ということになってくる。
だから、「何をするか」だけでなく、「誰がするか」も大切だと思う。

改正案を提案している人たちを、私たちの大半が信頼しているとはいえない。

日本で初めて(男性のみだけど)投票権が認められたのが、1890年。
ただし、一定の納税額を納めた者のみ。
納税条件が撤廃されたのが、1925年。
女性が選挙権を得たのは、戦後の1945年。
本当に最近のことだ。

今、当たり前に見えることが、本当は当たり前のことではないということは、
あらゆることに言えることだけど、投票権についてもね。
その重みを改めて感じる明日。

私たち自身が歴史をつくっている。

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