※「白血病からの社会復帰」シリーズが初めての方は、コチラの「シリーズ連載への想い」を先にお読みください
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第1話~第45話までのあらすじを一記事でまとめてお伝えします
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【白血病からの社会復帰(第1話~第45話)あらすじ】
2001年9月11日、
急性骨髄性白血病で緊急入院(第4話)
体調不良が続いていたものの、正しい診断が下されないまま、時が過ぎ、ギリギリの状態での発覚でした(第3話)。
そして、緊急入院した夜に、あの「アメリカ同時多発テロ」が勃発したのです。
実は、私が入院した病院でも、その影響でもう一つのドラマ(第13話)が発生していたと知ったのは、随分と後になってからでした。
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入院翌日から抗がん剤投与が始まり、その3日後には間質性肺炎。「3日間がヤマです!」状態に(第10話)。
奇跡的に、肺炎が回復したものの、白血病の積極的治療が危ぶまれる事態に・・・(第12話) 。
次から次へと「命の危機」が訪れました。
そんな中、「何の為に、生きようとがんばるのか」(第16話) 、「働く意味」(第17話) に気づくことになります。
社会保険のありがたさにも・・・(第9話)
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骨髄移植のドナーになるために一致する必要のあるHLA(白血球の型)は、妹とも弟とも一致しませんでした(第19話) 。
その後、幸い、無菌室の中での抗がん剤治療(第23話)は、順調に進みました。抗がん剤の副作用でスキンヘッドになりながらも(第15話)。
共感・同感・同情、、、その違いを実感しながら、、、(第22話)
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そして、2002年1月。
無菌室の中の私に、「骨髄バンクのドナーさんが見つかった!」と言う知らせ(第26話)が入りました。
しかしながら、
当時、病状がよかった私は、ハイリスクハイリターンの移植(第27話)に踏み切るかどうか、、、悩みに悩み抜きました(第28話)。
2001年1月下旬、入院以来5か月ぶりに、二泊三日の外泊!
”自由”がくれた力で、冷静さを取り戻し(第32話) 、「数字マジック」に惑わされていた事に気づきます(第33話) 。
そして、移植を決意(第37話) 。
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しかし
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その後、また移植へ向けてのリスクが、提示されたのです(第38話)。
「右足に潜むリスク」。
抗がん剤を投与して、白血球数が下がる度に、繰り返し腫れあがった右足。検査を重ねても、原因は不明でした(第39話) 。
右足を手術せずに、移植に踏み切るには、リスクが高すぎる。
かと言って、右足を手術すると、歩けなくなるかもしれない・・・。
移植に向けて、右足を手術するのかしないのか、、、考えは、再び堂々めぐりでした。
「いっそ移植を止めれば、右足の手術を悩まなくていい・・・」とまで考え始め、振り出しに戻ります(第40話)
やがて、、、
自分の判断基準(第41話)に、再び立ち戻ることができ、移植に向けて、右足の手術を決意。
残すは、右足手術のために、移植日の延期を、ドナーさんが了承してくれるかどうかでした(第42話)
そして、届いた骨髄バンク経由でのドナーさんからの返事は、二つ返事で「OK!」。ドナーさんの無償の愛に、真に腹をくくれた私でした。(第43話)
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2002年3月。
右足の手術へ・・・。
その時、私は、繰り返された抗がん剤治療で、造血機能(血をつくる力)が落ち、止血作用をする「血小板」が、異常に少なくなっていました。
右足の手術の際に、血が止まらないかもしれない・・・(第44話)。
そんなプラスαのリスクがある中、私にできることは、医師を信頼して身を任せることでした。(第45話)
第46話へつづく・・・・
※あらすじ2は、こちらへ
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【シリーズ目次】
◆【目次1】発病前のキャリア~緊急入院~無菌室での闘病
◆【目次2】移植するのかしないのか~右足の手術
◆【目次3】骨髄移植直前~
【幸せな就職のための具体的スキル記事】
◆就活/転職FAQシリーズ(目次)
【働くを楽しむための記事】
■どんな仕事も楽しめる♪目次集【1~67話、番外編1~54】
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