※「白血病からの社会復帰」シリーズが初めての方は、コチラ の「シリーズ連載への想い」を先にお読みください
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前回(第18話) の続きです。
「発病前のキャリア~発病~闘病~そして社会復帰」と順に、キャリアコンサルタント目線も添えてお伝えしています。
(※シリーズ目次は、コチラへ )
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「積極的に、骨髄移植を考えておいた方がいいです。ご兄弟はいますか?」
2001年9月下旬。
主治医は、病室の私にそう言いました。
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アメリカ同時多発テロの日、2001年9月11日に、急性骨髄性白血病で緊急入院した時は、既に非常に進行した病状。
(※詳細は、(第4話) ~(第7話) )
翌日から抗がん剤投与したものの、3日後には間質性肺炎。3日後の命も危うい危機に。
幸い、奇跡的に肺炎は回復したものの、一か八かの抗がん剤治療の再開だったからです。
(※詳細は、(第10話) ~(第14話) )
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私には、妹と弟がいます。
母は、当時、既に年齢的にドナーになることは困難でした。
最初の結婚で夫の転勤に付いて回り、再び一人に戻って一人暮らしをしていた私は、妹と弟とあまり密に連絡を取ってはいませんでした。
病室から出られない私。
母が、妹と弟に連絡を取ってくれました。骨髄移植のドナーになれるかどうかの検査に来てもらうために。
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ドナーになるには、HLAと言う白血球の型が一致する必要があります。
HLAが一致する確率は、
兄弟姉妹で、4分の1。
非血縁者(血のつながりがない他人)の場合は、数百~数万分の一の低い確率だそうです。
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母が連絡してくれてから、1週間後くらいだったでしょうか、、
妹と弟が、二人で病室へ来てくれました。
国際結婚をしてニュジーランドに住んでいた妹も、わざわざ検査のためだけに帰国してくれたのです。
無菌室 が満室で、個室で、アイソレーター(巨大な空気清浄機のフード)でベッドの頭の方を覆った状態で、入院していたので、ガラス越しでなく、直接会うことができました。
「久しぶり!元気そうやん!」
と言う妹の声は、今も覚えています。
そして、その隣で心配そうにしていた弟の顔も、、、。
HLAを検査する為の採血をして、妹と弟は帰って行きました。
当時は、HLA検査は保険適用外で、一人の検査代が2万いくらか、、、。当時、失業中の私でしたが、お金のことを言っていられませんでした。
命がかかっていましたから・・・。
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検査結果が出るまで、1週間以上かかったでしょうか!?
主治医が、妹と弟のHLAの検査結果を伝えに、私の元へ訪れました。結果は、、、
こちらへ つづく・・・
※症状などは私の場合の経験談で、白血病の症状を説明しているものではありません。また白血病に関する内容も、元患者の私 の理解の範囲で、正確なものではありません。病に関しては、専門医にご相談くださいませ。
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【シリーズ目次】
◆目次~白血病か らの社会復帰
【幸せな就職のための具体的スキル記事】
◆就活/転職FAQシリーズ(目次)
【働くを楽しむための記事】
■どんな仕事 も楽しめる♪目次集【1~67話、番外編1~54】
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