ちょっといい和 Take.49 <東海道編21 - 土山宿後編> | 日々… 、アート・ライフ

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このコーナーでは、

私が東海道五十三次を

京都から江戸(東京)に向かって、

ちびちびと歩いている記録を、

文と写真でつづっています。

歩く=

 

これまでの旅の記録は、

この記事の一番最後の一覧からどうぞ!

 

485系先頭車485系中間車485系中間車485系中間車485系グリーン車485系グリーン車485系中間車485系中間車485系先頭車(ボンネット)

 

ちょい和・東海道編です!ニコ

今回は土山(つちやま)宿・散策の後編です。

 

 

まずは移動ルートを確認しましょう下差し
 

 

 

< 後編のおおまかな流れ >

①生里野地蔵公園

     下矢印

②扇屋伝承文化館

     下矢印

③白川神社

     下矢印

④東海道伝馬館

     下矢印

➄常明寺

     下矢印

⑥市役所土山支所バス停

 

では、本編をど〜ぞニコ下差し

 

 

日時:3月12日(日)  天気晴れ

 

前編のラスト、生里野地蔵公園から 

後編スタートです。=        

ただいまの時刻は、12:41。時計

 

 

西に向かって少し歩くと

 赤いのれんに目がとまり

 

上を見上げると「扇屋伝承文化館」の看板が。ガーン

元となった扇屋は、扇やクシ(櫛)を販売していました。

現在は、旧家を地域住民が購入して改造し、

ギャラリーや販売コーナーになってます。 

ニコ 

 

 

下矢印こちらは一里塚跡の石碑。

 

江戸時代に幕府が東海道を整備した際に、

目印として一里ごとに塚を作りました。

現在は石碑と案内板のみの所が多いですね。ぐすん

 

 

ここ土山宿では、旧東海道の両脇にたくさんの

「旅籠・○○屋」と刻まれた石碑が

点在していました。石碑 石碑 石碑・・・ねー

 

そんな中でも記憶に残ったのが 

 

「寿し屋」という名の旅籠屋さん。

お寿司が名物だったのかな?ほっこり

 

 

さらに少し歩くとやじるし

 

白川神社に到着しました。

祭神は、 速須佐之男尊(はやすさのおのみこと)、

天照大御神(あまてらすおおみかみ)、

豊受大御神(とようけおおみかみ)。

創祀(そうし。神社の起こり)は不明だそうです。

 

上矢印の写真の右下に注目するとダウン

 

「力石」と書かれた看板と1つの石が。ガーン

案内板によると、これは願かけ神石との事。

この神石をなでると健康長寿・祈願成就が

かなうと伝えられています。

石バイバイにやり ナデナデ・・・

 

例年8月に土山祇園というお祭が催されていて、

滋賀県の選択無形民俗文化財に指定されているそうです。ニコ

 

 

また旧東海道に戻り、西に進みます。ウキウキ

  

石碑が3つ並んでますね。うーん 

3軒の店が肩を並べて営業してたんでしょうか。

 

 

森鷗外の祖父・白仙氏が亡くなられた井筒屋。

石碑が先か、電柱が先か?ガーン

(上差し卵が先か、鶏が先か?になぞらえて) 

石碑の真ん前に電柱があり、撮影しづらかったです。ぐすん

 

 

上差し旅籠「平野屋」跡碑と案内板。

平野屋は森鷗外が土山を訪れた際に、

宿泊されたそうです。

また、鷗外が平野屋の人に

「井筒屋を知ってますか?」と尋ねると、

「井筒屋は無くなりました(廃業)」と返事が返ってきたそうです。

(案内板より)民宿

 

 

そして、堤家(二階屋)本陣跡の石碑と案内板。 

 

堤家本陣は屋号から「二階屋本陣」とも呼ばれていました。

しかし堤家本陣は幕末に衰微し、後ほど紹介する

大黒屋が代わりとして利用されました。

 

 

問屋場跡の石碑と案内板。 

 

その先には・・ 

  

前回の最後にチラッと写真を出した、

「東海道伝馬館」がお待ちです!

ニコ音譜

 

入口を入ってまもなく

 

鷗外の来訪を記念しての石碑。石碑 ねー

 

 

いよいよ本館内を見学します。ウシシ

(入館無料。体験工房は有料です)

 

 

中では、東海道の名物や広重の浮世絵を

イメージした盆景作品などが、展示されています。

隣の建物では、京人形で再現された大名行列の

様子などを見る事が出来ます。

侍-馬  侍-馬  侍-馬 

上差し人が馬を引いて歩いているイメージ汗

 

 

街道を往来する際の人馬・荷物の手配や管理を

行なっていた問屋(といや)場跡。

 

 

土山宿本陣は、寛永11年の三代将軍徳川家光の

上洛の時に設けられた物。

将軍、皇族、諸大名などが多く宿泊されたそうです。ニコ

 

 

本陣跡と問屋場跡が、ひしめき合っています。

大黒屋は元々旅籠でしたが、街道を往来する

大名などが多く、土山本陣だけでは対応しきれず、

大旅籠の大黒屋にも本陣を作らせ補佐宿として

指定をしたそうです。うーん

 

 

高札場跡碑と、右奥には明治天皇聖蹟碑。

 

 

上差し陣屋(じんや)跡の石碑+案内板。

陣屋とは、江戸時代、勘定奉行の部下である代官が

住んでいた屋敷のこと。

寛政十二年、土山宿に大火災があった際に

屋敷は燃え、その後も再建はされませんでした。

メラメラ 民宿 メラメラ あせる焦る

 

 

土山宿散策、最後のチェックポイントは

  

臨済宗のお寺、常明寺です。

森鷗外の祖父母と母ミネの遺骨が葬られています。

後に、三人の墓碑は津和野に移されたようです。

 

この寺に足を運んだ主目的はコレです下差し

 

松尾芭蕉が詠んだ句を刻んだ石。

寺の敷地内には案内板などは見当たらず、

ネットで調べてやっと見つけました。ショックあせる 

刻まれている句は

「さみだれに 鳰(にお)のうき巣を 見にゆかむ」

(ガイドブックより引用)

鳰とは、カイツブリという鳥の事です。

文字も見えづらいですね・・・えーん

 

 

これで土山宿散策は、終わりました。ウシシ

 

約10分、歩いて・・・

無事にスタート地点のあいくるバス・

市役所土山支所バス停に戻ってきました!

到着時刻は14:13です。グッニコ

 

今回は、ホントに天気が良くて、

絶好の旅行日和でした。晴れほっこり

 

 

< 土山宿散策まとめ >

歩行距離:9.99km 走る人

所要時間:4時間13分 時計

(スマホアプリ「Runtastic」にて計測)

 

次回の東海道編は、土山宿を出発して

三重県の坂下宿を目指してウォーキングします。

以上、土山宿散策でした!

 

 

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<ちょっといい和 ~東海道編~>

これまでの道程     ダウン

ティータイム Take.15 < 東海道編 1 >
・・・三条大橋周辺散策

ティータイム Take.21 < 東海道編 2 >
・・・三条大橋→大津(前編)

ティータイム Take.22 < 東海道編 3 >
・・・三条大橋→大津(後編)

ティータイム Take.23 < 東海道編4 >
・・・大津宿周辺散策(前編)

ティータイム Take.24 < 東海道編5 >
・・・大津宿周辺散策(後編)

ティータイム Take.25 < 東海道編6 >
・・・大津宿→草津宿(前編)

ティータイム Take.26 < 東海道編7 >
・・・大津宿→草津宿(後編)

ティータイム Take.28 < 東海道編8 >
・・・草津宿周辺散策(前編)

ティータイム Take.29 < 東海道編9 >
・・・草津宿周辺散策(後編)

ティータイム Take.32 < 東海道編10 >
・・・草津宿→石部宿(前編)

ティータイム Take.33 < 東海道編11 >
・・・草津宿→石部宿(後編)

ティータイム Take.38 < 東海道編12 >
・・・石部宿周辺散策(前編)

ティータイム Take.39 < 東海道編13 >
・・・石部宿周辺散策(後編)

ティータイム Take.40 < 東海道編14 >
・・・石部宿→水口宿(前編)

ティータイム Take.41 < 東海道編15 >
・・・石部宿→水口宿(後編)

ティータイム Take.42 < 東海道編16 >
・・・水口宿周辺散策(前編)

ティータイム Take.42 < 東海道編17 >
・・・水口宿周辺散策(後編)

ティータイム Take.45 < 東海道編18 >
・・・水口宿→土山宿(前編)

 

ティータイム Take.46 < 東海道編19 >
・・・水口宿→土山宿(後編)

ティータイム Take.48 < 東海道編20 >
・・・土山宿周辺散策(前編)