このコーナーでは、
私が東海道五十三次を
京都から江戸(東京)に向かって、
ちびちびと歩いている記録を、
文と写真でつづっています。
=
これまでの旅の記録は、
この記事の一番最後の一覧からどうぞ!
三
ハイ、こんにちわ
ちょっといい和・東海道編でございます。
今回は、水口(みなくち)宿周辺散策の前編です。
(写真が多いため、2回に分けてます)
~
まずは、水口宿についてのミニ知識を
水口宿は・・・
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、翌年に東海道を整備した際に、道中に設けられた五十三の宿場の1つです。
↓歌川広重「東海道五十三次の内・水口」
(著作権フリー素材使用)
かの歌川広重は、東海道五十三次の水口宿に関する浮世絵作品で、名産品の1つであるかんぴょうを干す人と旅人を描いています。
次に、移動ルートを地図で確認します
< 前編のおおまかな流れ >
①近江鉄道・水口城南駅 出発
②水口城跡・資料館
③甲賀市ひとまち街道交流館
④駅前からくり時計
➄大岡寺(だいこうじ)・芭蕉句碑
⑥古城山・水口岡山城跡
では、本編をど〜ぞ
日時:11月24日(木) 天気:
三___
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電車に揺られ〜て、やってきたのは
近江鉄道の水口城南駅。(10:30)
今回の周辺散策は、この駅からスタートします。
駅を出てすぐの広場には、お祭りで使う曳山の図が描かれたパネルが展示されていました。
(説明付き)
この写真では3つしかパネルが見えてませんが、周辺にもっとたくさん展示されていました。
そもそも、なんでこの駅をスタート地点にしたのか?
といいますと、実はこの駅から少し南側に、
水口歴史民俗資料館というのがある事を、事前に知ったわけです。
(下の地図で、一番左下部分)
しかし、開館時間を調べると木曜は休館との事・・・
この事実は、行きの電車内で発覚し、草津で電車を乗り換えるまでに、心の整理は出来ていました。
歴史民俗資料館は無理としても、どこか水口の歴史が学べる所に行きたいな~
・・て事で、次に目を付けたのが、
「水口城資料館」!
水口城は、三代将軍・徳川家光が京都に上洛する際の宿館として築城されました。
(1634年・寛永11年)
水口城南駅からは、歩いて約5分。~
で、コチラがその水口城跡+資料館の入口
お城の周りは野洲川からひいた伏流水で囲まれていて、碧水(へきすい)城とも言います。
写真にもあるように、紅葉がキレイでした。
しかーし、不運はここにも連鎖していました。
写真の橋を向こうに向けて渡り、門のところまで行ってみると
固く閉ざされた扉に張り紙が。
「休館日:木曜(訪問した日)・金曜」
ガーン・・・
なんと、この資料館は先述の歴史民俗資料館と同様に、
甲賀市が管理されており、休館日も同じにしているとの事。
水口城跡も資料館も、外から見る事しか出来ませんでした。
気を取り直し、観光マップを見ながら、
次のチェックポイントに向けて足を進めます。
まもなく見えて来たのは・・・
甲賀市ひと・まち街道交流館。
奥の、頭が飛び出ている建物の中には
お祭りで使う曳山(ひきやま)が格納されていました。
毎年4月20日には水口曳山祭が行われます。
旧宿場町一帯に受け継がれる計16基の曳山が、祭の日には巡行され水口囃子(はやし)の音色と共に、宿場町の雰囲気やにぎわいを今に伝えています。
すぐそばのコミュニティセンターで
改めて、水口に関する観光パンフレットなどを物色。
旧街道に戻り、近江鉄道の線路をまたぐと
道路がΨの形に別れます。
(ちなみに、真ん中が旧東海道。)
道路と道路の間に目をやると・・・
からくり時計がありました。
左側に移動すると、説明書きがあり、
朝9時、正午、午後3時、午後6時にからくりが動くそうです。
残念ながら、今回は見れませんでした。
観光マップを頼りに、次の見どころを探すと・・・
古城山という山の中に、水口岡山城跡という文字を発見。
また、近くに大岡寺という寺があり、そこには松尾芭蕉の句碑がある、との事。
まずは、大岡寺に行ってみる事にします。
・・・で、 15〜20分歩いて、到着です。
大岡寺の門前。
大岡寺は、近江西国三十三か所めぐりの寺の1つ(第二十六番霊場)でもあります。
本尊の十一面千手観世音菩薩(ぼさつ)は国指定重要文化財で、家内安全、商売繁昌、進学、就職、厄除等、諸願成就の守護佛です。
しばらく紅葉を眺めた後、階段を登り門をくぐります。
本堂(と思われる。左)入口で手を合わせたのち、写真向かって右端に写っている芭蕉句碑を見に行きました。
句碑をズームアップ
右のいびつな形の石には
「いのちふたつ 中に活たる さくらかな」
と、詠まれた句が刻まれています。
この句にある様に、大岡寺の付近は桜の名所となっているそうです。
敷地内をブラブラしていて見つけた物。
鉛筆供養・進学祈願と書かれてますね。
先ほどの道に戻り・・・
次はの看板に書いてある、水口岡山城跡を目指すことにします。
水口岡山城は、1585年(天正13年)に羽柴秀吉の命により大岡山に築かれ、水口は城下町として栄えていきました。
しかし、三代目城主であった長束正家が関ヶ原の戦いで敗れ、落城してしまいました。
坂道を登って行くと、ツバキの花が頭上に所々見られました。
ピンク色の点がそうです。
道の両側にツバキが見え、キレイでした。
さらに歩いて行くと、
水口岡山城について書かれた看板が。
さらに先に進むと、広場と小さな公園(児童遊園地)があり
こんな、マニア向けな感じの地図が目の前に現れました。
コレが、水口岡山城跡・概要図だそうです。
っちゅうか、コレって「等高線」ってやつやん?
この図を見たとたん、意欲は減退し、
これ以上先に進む気力は消失。
昇ってきた山道を引き返して、入口前の道路に戻りました。
この時点で、時刻は12時。
出発から・・・
歩行距離:4.56km
所要時間:1時間30分
キリが良いので、前半はココでお終いです。
次回は、水口宿散策の後編です。
ここまでご覧くださり、ありがとうございました
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<ちょっといい和 ~東海道編~>
これまでの道程
Take.15 < 東海道編 1 >
・・・三条大橋周辺散策
Take.21 < 東海道編 2 >
・・・三条大橋→大津(前編)
Take.22 < 東海道編 3 >
・・・三条大橋→大津(後編)
Take.23 < 東海道編4 >
・・・大津宿周辺散策(前編)
Take.24 < 東海道編5 >
・・・大津宿周辺散策(後編)
Take.25 < 東海道編6 >
・・・大津宿→草津宿(前編)
Take.26 < 東海道編7 >
・・・大津宿→草津宿(後編)
Take.28 < 東海道編8 >
・・・草津宿周辺散策(前編)
Take.29 < 東海道編9 >
・・・草津宿周辺散策(後編)
Take.32 < 東海道編10 >
・・・草津宿→石部宿(前編)
Take.33 < 東海道編11 >
・・・草津宿→石部宿(後編)
Take.38 < 東海道編12 >
・・・石部宿周辺散策(前編)
Take.39 < 東海道編13 >
・・・石部宿周辺散策(後編)
Take.40 < 東海道編14 >
・・・石部宿→水口宿(前編)
Take.41 < 東海道編15 >
・・・石部宿→水口宿(後編)